江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

御用納め

2016年12月28日 18時32分07秒 | Weblog

今日12月28日は御用納め。会社では御用なんて大げさを言わず、仕事納めというような。

いずれにせよ、一部の緊急職を除いて、大多数の人たちがいろいろ多端であった平成28年・2016年の仕事を終えて新年を迎えるという区切りの日である。昔に比べて随分簡単になったようだが、それでも歳の終わり区切りの日の観念がある。

吾輩は退職自由人。拘束される仕事も御用のないが、生きている世界で2016年を終えることとなる。その記念日に、日比谷公園で今年最後のテニスをやった。仲間の老人男女は12名。今年無事息災に生きたよねと。天気晴朗なれど風強しの中で、3時間のゲームを楽しみました。

終わってから吾輩は有楽町に繰り出し、師走の風景を眺めました。

有楽町の宝くじ売り場。ずいぶん客が少ない。

銀座1丁目の大衆割烹 三州屋。海鮮盛とビール。いつも満員だ。どんな人が来ているのかな?

次に、銀座コリドー地下の天ぷら屋 かんだ  年の瀬のご挨拶で、 天ぷら盛と 原酒 黒曜〔これはうまい酒だ〕。

  これで吾輩の2016年は終わらない。 明日29日、30日、31日もある。1日1日を大事にしよう。

30日には大学女子富士山駅伝が 富士吉田市の浅間神社からスタートする。

 

 


2016年報道写真展を見る

2016年12月25日 15時43分29秒 | Weblog

日本橋三越で2016年報道写真展が開かれている。例によって「退屈御家人」は見に行きました。

よく言えば 好奇心旺盛、悪く言えば、軽佻浮薄。これが吾輩です。江戸の時代にも御家人たちはあちこち物見高い野次馬となって、押すな押すなをやったのだろう。

伊調 馨の4連覇。国民栄誉賞。


安倍マリオ

熊本城は屋根瓦が崩壊。潰れはしなかったが。

伊勢志摩サミット。あの時のメンバーが3-4人姿を消す。

ケンブリッジ飛鳥

豪栄道の優勝。だが続かない。

泣き虫愛ちゃんの雄姿

日本ラグビーの進歩

カヌーで初の銀メダル

体操女子の記念写真を撮ってる人を撮る

パラリンピックでは何でも使うのだ

この後すぐに谷垣幹事長が自転車で転倒。重体に


すみだ北斎美術館オープン

2016年12月24日 15時03分00秒 | Weblog

葛飾北斎は1760年、本所割り下水といわれる場所に生まれ、1849年に89歳で本所でなくなった。そこで、墨田区はその生地近くに「すみだ北斎美術館」を設立、本年11月22日にオープンとなった。

オープンのテーマは、「北斎の帰還」と題して、幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻」を全巻一挙初公開というのが売りの文句だ。実際この絵巻は、海外に流出したまま100年余り全く行くへ不明だったのを、オークションで手に入れたものらしい。

この絵巻は、隅田川河口の両国橋、柳橋から隅田川をさかのぼり、両岸の風景を丁寧に描きながら日本堤から歩いて吉原に入り、吉原遊びをしている絵巻で全長7mにも及ぶ大作である。最後は吉原での宴会風景で終わっているが、この絵の中心人物が葛飾北斎の自画像ともいわれるが、その証明がつかないらしい。

このほかに、牛島神社に奉納した絵の複製があった。これは素晴らしい。流行病で大被害がでた時代に、荒ぶる神=須佐能の尊 が疫病の鬼を捕まえてもう2度と悪さをしませんという誓約書を書かせている構図だ。先日どこかのTVが、関東大震災で消滅してしまい、白黒の写真しか残っていない奉納額を現代技術を駆使して、北斎の色合いを再現したものだ。

このほかに北斎美術館で、絵を描いているのアトリエでの北斎の姿を蝋人形的に見せていたのが、リアルでよかったね。

北斎の作品は富嶽36景やいろいろあるが、それら鑑賞は皆様にお任せすることにし、隣の野見の宿祢神社に。

なお、すぐ近くに、前回の河竹黙阿弥の終焉の地のあんない図があった


河竹黙阿弥の明治散切りもの 講演を聞く

2016年12月17日 18時26分33秒 | Weblog

今日17日土曜日は快晴。日比谷図書館で「河竹黙阿弥と散切物の風俗」という明治大学の神山先生の講演を聞いた。

 何しろ黙阿弥は、江戸の末期から明治の前半に生きた歌舞伎の神様戯作者だ。「三人吉三郭初買」や「白波5人男〔青砥縞紅彩画〕など、7・5調の名セリフを知っている人も多かろう。

明治維新の大混乱期を経て、日本の社会、文化が大変動し、日本人の生活意識も激変した中で、ちょんまげの断髪、刀の廃刀、仇討禁止令などの中で、明治の世の4民平等と立身出世意欲、自己実現、禁欲、目的追及の観念を有しつつ、「志願ー出郷ー学問ー挫折ー帰郷」という過程を、多くの〔負け犬〕の失意の姿を描いたのが、散切物とか。逆に成功者は軍人とか官吏とか。当時は末は博士か大臣かがあったね。

こんな散切物が、その後の新派とか新国劇とか、日本映画とか、歌謡曲の中に脈脈と継続している。そういえば、「津軽海峡冬景色」もその流れの1つなんだ。    こういう面白い話を聞いた。

その前に日比谷公園で「新酒大会」とかで露店が出ていたので、熱燗を飲みながら広島お好み焼きを食べた。そうすると、同じ日比谷公園の噴水広場で、「東京クリスマス マーケット2016」ドイツ風のクリスマス的食べ物やビール、ワインをやっていた。日本酒を飲んだ後だが、話のタネに、ホットビールなるものをを飲んだ。ビールをあっためるのはわかるが、なんか果物なんかを入れて変な味。半分飲んで捨てたよ。

その後、講演会を最初はアルコールのせいで眠りながら聞いていたが、楽しかったね。

講演会終了後はそろそろ寒くなったので、銀座まで歩いて、銀座の有名な大衆飲屋「三州屋」で、時節柄、寒ブリの刺身とビールで一人楽しみました。 カメラをもっていかなかったので、絵がないのは悲しいね。

 

2、 昨日は寒い快晴のなか、錦糸町の猿江公園で3時間のテニス。

3、 一昨日は授業で、日ロ領土問題で知っていることを書いてくださいとテーマを与えたが,みんなあまり興味も知識もないようだった。

 


大人の休日 その4 羽越線を地図鉄する

2016年12月02日 10時52分40秒 | Weblog

大人の休日最終日の11月28日、かっての青春18切符の自由な放浪旅を思い起こし、日本海の列車旅を楽しんでてきました。

1、持ち物は〔全日本道路地図〕、〔カメラ〕、〔タブレット〕だけの極めて簡易。

2、8:40 東京発こまち7号。盛岡経由、田沢湖線で秋田駅着 12:30 。

3、12:58 秋田発 羽越線特急「いなほ」10号 新潟行き。

  今回の旅行は、地図を片手に鉄道を巡るという、いわゆる 地図鉄 の愉しみである。

  鉄道ファンは多くいるが、ジャンルが細かく分かれているようだ。 「撮り鉄」は鉄道写真を撮るのが愉しみ。オーソドックスなのが時刻表片手に鉄道を巡る。私は地図帳だ。

4、秋田から北へ行く 五能線 は以前乗ったことがあるローカル列車だ。秋田から南へ行く列車はなかなか乗る機会がなかったので、今回、秋田ー新潟を特急で行こうというもの。

5、秋田発12:58分。駅のコンビニで弁当とビールを仕入れ乗り込む。老人の夫婦ずれ旅行者が目に付くが、今これがブームなのかも。

6、秋田を出発してすぐに列車は強風のために徐行・停車。曇り時々雨の天気。羽後本庄までの日本海側の海風は激しい。おかげで40分の遅れとなった。運転士は途中の停車駅での乗り換え時間を極力短縮する努力が見えるが、列車の時間遅れを回復するには至らなかった。

7、16時を過ぎるころになると日没で周辺景色が見えなくなる。当初16:33新潟着の予定が40分遅れ。新潟発16:41の時は間に合わず。だが新潟は始発駅のありがたさ、次の17:21発の 「とき」338号で東京着19:40。

8、結局、今日一日で、約10時間半ほど、列車に座りっぱなし、ほとんど動くことなしという、列車の旅でした。

カメラを映す気分もなく、ひたすら地図と沿線の風景を楽しみました。


大人の休日 その3 銀山温泉

2016年12月01日 21時08分54秒 | Weblog

銀山温泉は大正ロマンの絵姿で有名だ。一度は行ってみたいと思ていたが、大人の休日パスで日帰りをやってみた。

11月27日、7:12分の山形新幹線で大石田まで。ここからバスで銀山温泉に入る計画。だがよく考えると銀山温泉は1日過ごすほどの温泉ではなさそうだ。

そこで、まず山形新幹線で、米沢で降り、ここで2時間ほど米沢見物をして、大石田に入り、銀山温泉で約3時間半過ごす計画に変更。

7時12分発のつばさ14号で出発。

約1か月前の蔵王温泉・お釜訪問の時は、沿線の山は秋の紅葉真っ盛りだった。だが1か月後のこの日は、東北の山は冬の寸前。灰色にすくんだ枯れ木と赤茶けた病葉の山。わずか1か月前の紅葉の賑わいとの時間の経過が自然の摂理。

9時24分米沢着。約2時間で米沢見物。バスの時刻表を聞き上杉神社へ行くつもりが、山形弁の聞き取りが悪く、降りるべき停留所を聞き逃し、なんと、米沢の奥座敷、小野川温泉まで行ってしまった。なんと小野小町伝説のある温泉だ。温泉につかるには時間がないのが残念。

尼湯といって小野小町が発見した湯という。父親を捜しに京より旅した小町がここで病に倒れ、病をいやした湯とか。

小野小町の由緒らしい名水のようだ。

ここから折り返しのバスで米沢駅へ。11時21分の大石田行の新幹線には20分程余裕ができたので、タクシーで米沢神社を1周して米沢見物は終了。上杉家の栄枯盛衰を考えさせられる。

11:21の新幹線で最上川沿いの大石田12:20。ここからバスで銀山温泉までレトロなボンネットバスで40分弱。この温泉で約3時間20分の滞在を予定。

大正ロマンの風情

絵になる街だ。川の両側に数十軒の旅館だけ。

徐々に日が暮れてゆく

日暮れの早い時期で夕闇が迫る。

銀山温泉は銀山採掘の結果生まれた温泉。採掘跡地が公開されている。銀山廃坑後,工夫たちが温泉宿を開いたとか。

温泉街の上の銀山跡地がある。これは訪問するべし。

現地では3か所の外湯があり、その一つに入ってきました。硫黄分のある優しい湯で結構な湯でしたよ。旅館に泊まっている人も外湯に入るみたい。若い女性も利用していたよ。

この後16:35発のバスで大石田まで。17:11発のつばさで東京着20:48。まあ予想外もあったが、臨機応変、楽しかったね。