死ぬまでの話のタネにと、ヒトも行くなる[薄墨桜」を見るために、はるばる岐阜の奥地の根尾谷まで行きました。
ただ我輩も以前のように、体力も気力もある頃なら、車ですっ飛んで行くのだが、老人になると、バスに乗せてもらってガイド付きの安楽な見学がよろしいようで。
でも一応は計画した。過去の薄墨桜の開花実績を勘案して、現地は北部で寒いところだから少し後の方の日時がよかろうと、ベストを選んだのが4月9日の月曜日。
だが、敵もさる者、今年は全国的に桜開花が早く、根尾谷ににおいてもその例にもれず、ベストの日を選んだのに、もう散っていたよ。 涙なみだ。御縁がなかったのだ。
1500歳と言い、継体天皇がお手植えになったとか、そんなに植物の、桜の生命力がもつものなのか? 宇野千代 さんなら分かるが。屁理屈・講釈はやめてただ桜の生命を見るがよろし。
でも今年は散っても一部にまだかろうじて花弁が残っていたのは、それでよしとしよう。
ただこれを見るだけに、10年来行こう行こうと考えていたが、時間は作るものであり、実行の着手が必要なのだ。
かの マキュアべり語録にこういうのがある。いわく、「 ボッカチオが デカメロンの中で言っているように、≪やった後で後悔する方が、やらないで後悔するよりずっとましだ≫と」 歳をとるとこういうことが分かってくるね。さびしい限りだ。
ちなみに岐阜北部の根尾谷は野生の桜も多いみたいだ。現地の雰囲気は、こんな感じ。