江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

湯本温泉 さはこの湯

2018年01月26日 19時47分27秒 | Weblog
 今日、26日は大人の休日倶楽部パスの4日間の最終日。期限の利益(懐かしいね、民法の用語だ)を利用して、無理をしてでも、行けるところまで行こうと、昔のケチな学生時代の放浪癖の再来だ。

 今朝、目が覚めてから、常磐線ならあまり行ったことがない。日帰りにもってこいの路線でないか、と考え、以前からの情報をインプットしてあるから、湯本温泉に行こうと決めた。

 朝九時過ぎに急いで駅まで行き、10時上野発の特急(全席座席指定)に乗って、磐越東線出発駅の いわき の1つ手前の  湯本まで行くことにした。

10時上野発、12時分湯本着の特急いわき何号かで行きました。上野の次が、水戸駅。つまりこれは茨城地域のビジネスマン用の通勤特急なのだ。水戸から茨城の東部、福島にかけての 浜通り は本当にビジネス通りなのだとわかった。代表は、日立 だ。

いずれにせよ、湯本まで行きました。常磐ハワイアンセンターは少し離れているから吾輩は湯本駅周辺の温泉が目的。

温泉神社がありました。こういう神社があるところは、温泉が昔から大事にされているところで、本物の温泉で、いいものです。














雪の 会津若松・鶴ヶ城

2018年01月25日 20時20分36秒 | Weblog
 1月23日、東京で大雪が降った翌日、大人の休日切符を利用して、郡山経由会津若松で泊り。翌日、大雪で有名なJR只見線で只見まで行って、ここで泊り。そして翌日、新潟の 小出 に抜け、ここから浦佐駅で新幹線で上毛高原まで。ここからバスで、猿ケ京温泉まで行って、日帰り温泉を楽しんで、東京に帰るという計画を立てていた。 

 東京の大雪はシベリア寒気団の南岸低気圧のせいだが、これが我輩の予想よりずっと大きかったのだ。

旅行初日の23日火曜は会津若松市内も雪はあったが、それほどびっくりするほどでなかった。

 で当日は会津若松の市内循環観光バスを2回乗って、町の地理を頭に入れ、ついで、日の暮れないうちに、東山温泉の「滝の湯」で日帰り入浴。新撰組の土方歳三も傷の手当てで入湯したとか。柔らかいいい湯だったな。

 こうして当日は雪が降っている中、街ブラもできず、疲れもあり、早めに休んでいたら、夜中に雪がしんしんと降っている。あの南岸低気圧のせいだ。朝起きると、前日に比べモノにならない降雪。道を歩くのも大変。だが我輩は以後の予定があるので、、8時半に巡回バスに乗って、鶴ヶ城 に見物に行きました。 まだ見物人はいない。除雪作業員と化、地元の犬の散歩オジサンとか、カメラマンとか、数人のみ。雪をかき分け、見物しましたのが以下の写真です。

白鷺城という姫路城より、ここ会津若松の 鶴ヶ城の方が綺麗ですばらしい。姫路出身の我輩が言うのだから間違いない。
























こうして、朝の半日でお城見物し、午後の只見線雪見乗車を確認に行くと、JRの係員の女の子がひきつった顔で、只見線は大雪のため、不通ですト。どうするんだい?と言うと、磐越西線の西行き(新潟行き)も 東行き(郡山行き)も不通で、回復のめどが立たないと。

困ったね。どうする?会津で缶詰めか? しばし悩んでいると、駅の近くにバスターミナルがあり、ここに行くと、磐越自動車道を使って、郡山へも、新潟にも行くバスがあるとのこと。

それならと、我輩は新潟まで磐越自動車道の行きの旅をしました。

ここで発見、高速道路は、鉄道と違って、建設年代がずっと若いから、雪に対しても対応が考えられているが、鉄道は明治の頃とにかく鉄道敷設そのものが目的で、昔の街道や川筋をなぞって鉄道を付けた。だから大きな雪などが降ると対応能力を越えてしまうのはやむを得ない、時代の背景を痛感させられたね。

こうして、只見線は不通で、只見町での旅館は電話でキャンセル。新潟までバス旅行となった。

こうなると当初の予定を1日繰り上げ、只見線をショートカットし、新潟から、直接 上毛高原まで行って、ここで、猿ケ京温泉まで、路線バスで行ってきましたよ。越後湯沢を越えると、関東平野に入るが、新潟の大雪が、上州ではウソのように少なくなる。


  これは 猿が京温泉郷の 満点星の湯 という公共浴場の露天風呂から見た 雪に煙る赤谷湖の写真



  いいお湯だったね。ここは水上町に合併していて、群馬県はいろいろ温泉の豊かな県だと思います。











20日は大寒。 皇居には梅が咲き始めています。

2018年01月21日 15時39分59秒 | Weblog
 1年で最も寒さが厳しいころが大寒である。

ヨーロッパでもシベリヤでも猛烈な寒さに襲われているようで、

明日の22日の月曜には、東京地方にも、大雪が予報されるとか。

  でも、ここからが 「春隣」といって、もうすぐ春ですよ!

 久保田万太郎の句に 「叱られて 目をつぶる猫 春隣」という綺麗な句がある。

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皇居東御苑に 梅林坂があり、ここの梅園は太田道灌のころからの生き残りがあるとか。もう梅が咲き始めましたよ。









二の丸庭園には ツバキ や サザンカ がありました。  山茶花は冬の季語。椿の花は春の季語。





水仙もありました。



 1月19日は 阪神淡路大震災から23年。そこで19日の句会に 「薄れゆく 地震(ない)の記憶や 黄水仙」を提出したところ評判がよかった。

 しかし、先輩から、水仙は冬の季語だが 黄水仙 は春の季語であるとの指摘があり、全く恥かしい思いをしたが、別の女性から、「以前、皇后陛下が神戸市長田区の震災地区慰霊に、皇居で摘まれた黄水仙を持ってこられて手向けられた」との話しがあり、我輩も幾分面目が立ったわけでありました。

 同じ二の丸庭園の 菖蒲園 は全く冬の眠りにおりました。



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その後、東京駅まで




駅舎の 天井の 由緒ある文様

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我輩は、タウン・ウォッチング を趣味としているので、ランダムにあちこち歩いている。


前日には、日本橋浜町の 中央区のジム に行き、甘酒横丁を散歩し、人形町の 銭湯に入って、タイ焼きを買いました。



浜町の 明治座では、コロッケのショーをやっていましたよ。




























初閻魔  地獄の釜も今日は休み

2018年01月16日 17時15分26秒 | Weblog
1月16日は、初閻魔。俳句の季語にもある歳時記だ。

地獄の釜の蓋が開く日であると。1年のうち、1月16日と7月16日が閻魔大王の休日で、ここから、商家の奉公人や丁稚・女中も閻魔さまにならい、年2日だけ休めるーーー藪入り というそうだ。

閻魔さまで有名なのは、京都の閻魔大王は、千本閻魔堂、これは引接寺と言って、小野篁が創建者とか。

そして 小野 篁 という実在の人物が、一方で京都の朝廷につかえ、夜は 閻魔大王の使いとして、六道珍皇寺の井戸の地下から、閻魔庁に通って裁判をやっていたいたという伝説がある。

 東京はそれほど閻魔さまと縁がないみたいだ。だって、俳句の季語にも載せていない本があるのだから、関心が薄いのは確かだろう。

でも、我輩は、今日、中央区の浜町のスポーツセンターでトレーニングをしたのちに、深川の閻魔さまに、お参りに行ってきました。

今日は初閻魔の日なので、参拝者が多いかと思ったが、なんとわずか5人程度。

文京区には、源覚寺という 「こんにゃく閻魔」がある。こんにゃくを供えれば眼病を治すとか。むかし我輩も行ったことがある。なんでこんにゃくなのか?

まあ、東京は、1600年の江戸幕府開闢以来の、近世都市とそれ以降の明治近代都市だから、東京人はあまり閻魔様とお付き合いが多くないのでないか。

その点、京都は平安遷都以来だから、昔の魑魅魍魎の世界がよくマッチしているのだろう、六道珍皇寺界隈は、むかしむかしの葬祭地 鳥辺野 の入り口であり、現在の西本願寺墓地のあたりで、多くの恐ろしい地下世界の伝説や閻魔信者がいるようだ。

 深川の閻魔様。 清澄庭園の近くにある「法乗院」というお寺だが、ここの閻魔さまが深川の閻魔さまである。



このお寺には、閻魔様にいろいろな悪厄を取り除いてもらうべく、商売繁盛、夫婦円満や、病気平癒、学業成就 等々普通のお願いみたいだ。

これらに、ちゃんとできないとなると、閻魔さまの出番だネ。

これらは地獄相変図というもので、以前 ブルガリアの有名な古い寺院に行った時も同じような地獄絵図を見せられたね。



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なお、全然関係ないが、この深川の閻魔様に行く途中、清澄通りの 仙台掘り川の 海辺橋のたもとに、芭蕉さまがおわしました。
 
 何と、松尾芭蕉さまは、奥の細道 出立の祭、従来から住んでいた大川沿いの芭蕉庵を処分し、ここ [採茶庵]で数日すごしたのち、ここから舟で千住まで行ったとか。






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神田明神 大黒祭り とか

2018年01月13日 19時09分51秒 | Weblog
 神田明神は今日明日と、タイコク祭り とか、何かに書いてあった。

正月の初もうでのつもりでもあり、神田駿河台で今年初の 俳句句会の後、アフターの宴会を逃れて、一人で神田明神を訪問しました。

 神社の入り口で、天野屋という甘酒屋でまず甘酒を一杯。350円。老若男女が門前市をなし、甘酒を飲んでいる。ここは昔、赤穂浪士の天野ナニガシが甘酒を飲んだとか、経営していたとか。

神田明神の南大門。





続いて、ダイコク祭り。 なるほど 大黒様が鎮座しておられました。しかし、なぜ 大黒祭り なのか不明。

大黒さまに拝んでいる。



本来の、神田明神の本殿は、近在のサラリーマン・ウーマンが初詣の感じ。土曜の夕方に、多くの人がいる。



お賽銭箱は、畳4畳ぐらいの大きなプール。そりゃ書き入れ時だ。ちなみに、お札の賽銭はちらほらだ。



 神田明神で拝んで、裏に回ると、江戸神社 なるものがあった。



これの説明書き



 室町時代前からの由緒のある神社みたいだね。

そして最後に、神社の舞台で 獅子舞 の演武をやっていた。

 

 この後、我輩は、秋葉原まで歩いて行く。と、電気街のオタク的若者が多いね。さすが秋葉原だ。


以上が、今日 1月13日 土曜の我輩の散歩でした。

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正月も12日となると 元の木阿弥

2018年01月12日 21時55分14秒 | Weblog
今年は特に時間の流れが速く感じる。 加齢と比例するのかも知れないね。

今年の正月は、近所の神社や公園を運動がてら散歩するスタイルだ。病後の健康にとの意味でも1日1万歩を目指している。

1月1日の初詣は既報の通りだが、2日以降では、練馬区の光が丘公園がよかったね。

更に大塚の 「天祖神社」昔の巣鴨村の総鎮守社だ。






大塚の駅前は非常に雰囲気のいい街だな。また飲みに行きたくなったね。

次は、新宿西口公園の、つまりかっての 十二杜の熊野神社。



江戸時代の歓楽街が、今は新宿公園や住宅街に変貌している。

次に、乗馬クラブのある町田市の鶴川の帰りに、若者の街、下北沢を歩いたね。ここは基本的に原宿と同じコンセプトだな。本多劇場を中心に若者の街。ただカメラらを持っていないと記録がないのが残念。それから三軒茶屋まで、バスで行く。

そして10日は昔の友人たちと新年会。久しぶりに昼間から酒を飲み料理を食ったら、病人によくない感じだな。

そして今日12日は、隼町の 国立劇場の国立演芸場で、落語・漫談・コント・講談・売り声などの大衆芸能を 当日券で、しかも老人割引で楽しみました。



こんないい緞帳を飾っているが、観客は我輩を含めて、老人のはげ頭や白髪頭ばかり。女性も同様の世代。

いアや、老人の福祉施設かね? 役者は、年明けから、新宿の末広亭 や 池袋演芸館で正月を出演し、今日、国立演芸館に出ていると言っているが、いやー老人が多いのに愕然としたね。これは我輩の姿の、 合わせ鏡 だ。

あけましておめでとうございます

2018年01月01日 19時39分54秒 | Weblog
2018年が始まりました。

12月31日は 「大祓い」 で1年のけがれを綺麗に洗い落し、新年を迎える。これは各神社でやる重要な行事。

そして、1月1日は 「歳旦祭」で歳の初めに五穀豊穣、国民の福祉安寧を皇祖・天神地祇に祈る行事である。

そこで一句
      おお祓い 歳旦祭や 去年今年  (年明けから、季語3つを連ねるようなへぼ句です)

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12月30日の明治神宮





新年の参拝者300万人を想定し、本堂の前に幅50m奥行25mの真っ白な 賽銭プール が拵えてあった。

明治神宮に行く途中で、国立競技場のオリンピックに向けての工事進捗状況




隣の神宮スケート場


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1月1日 の散歩に初詣しました。

1、住吉神社





 江戸時代の初期の地図には、隅田川の水の中にぽかり浮いている神社の絵がある。これが住吉神社だ。家康入部のころ、摂津の佃島の漁民を江戸につれてきた。彼らの本尊 住吉大社を分祭したのであろう。 その後隅田川の中州で時々顔を出すあたりを、大々的に埋め立て、いまの月島ができた。築島が本礼の言葉。 その後石川なんとかさんが所領し、石川島となり、寄せ場になったり、監獄になったり、石川島造船所になったり、江戸の260年は長いのだ。

2、隅田川を渡って 鉄砲洲神社にお参り







 地元の小さな神社だからこじんまりでいいね。茅野輪 をくぐり、富士講の跡が残っているのもうれしいね。
幕末にこの辺りから、聖路加病院あたりが、外国人居住区になっていった。建前の尊王攘夷を言いながら、なし崩しに外国との交流を進めた幕府の知恵者が居たのだろう。

3、築地本願寺にお参りに行く。浄土真宗のお寺でも正月は、多くはないがお参りに来ていました。




本堂の内部は席が空いていた。


今年の 言葉 ですって。 京都清水寺では 「北」だったが、本願寺の 「開」の方がありがたみがあるね。

4、築地場外市場の先の 波除稲荷神社







 場所柄、参拝客が多く、50人ぐらいはいたね。それより正月1日から営業している店があり、外国人や日本人も群がっていたね。多くは1月5日まで休みと書いてあったが。


こうじて、新年の散歩 約1万1千歩を歩きました。

このあと、一家で雑煮を食べて  コゾ コトシ(去年今年)を過ごしました。

新聞とTVをみることを控えれば随分充実した生活となります。



 皆様も、今年1年 息災であられますように。 


私も 去年は 姉夫婦の同時死亡や、自分のネフローゼ症での入院騒ぎがありました。

  本当に、一寸先は闇 無常迅速。

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