1、4月29日、朝、こだまで掛川へ。天竜浜名湖線のローカル線の旅。遠江と三河の国との境・新所原まで67.7kmの第3セクター。浜名湖の北をまわり全線が登録有形文化財。各駅舎とも鰻屋とか実利的な良き時代の雰囲気を持っている。
ここでは遠江一宮の小国神社を参拝。お宮参りの子供3組、結婚式の新郎新婦2組を見た、人生の一番いい時期。
我輩は全国一宮&国分寺を旅する会の代表でもあるのだ。(タウンウォッチングの会も)
あと新所原駅からJRで名古屋、新幹線で京都へ。ここからが連休ですがな。
2、京都はウイークリーマンション。いつもの河原町2条。京都市役所の200m位北の
昔の公家屋敷などがあったであろう地域。この窓から、3条4条大橋の間にお池大橋と加茂川左岸の川端通りが見える。遠く東山山ろくに見えるのがウエステイングホテルではないかな。こんな位置づけ。昨日は荷物の到着を待って、さっそく散歩。
3、近くの熊野神社の4月29日の神幸行事に出くわした。なにかと思えば馬に乗った神官が神輿を担ぐ子どもたちを引き連れ熊野神社で神事。熊野神社とは白河天皇?が「蟻の熊野詣」の名残で京都に熊野権現を招来した神社。足利義満時代は加茂川にいたる広大な領地を有していたようだが応仁の乱以降衰え江戸時代にやっと熊野神社として再興したとか。
4、神社仏閣もいろいろあってそれぞれが時代の波で興廃を繰り返している。それも歴史なのだ。
5、本日30日は今回のテーマ、足利義満の花の御所を見る。花の御所は同志社大学の向かい烏丸通りの「大聖寺」に「花の御所跡」の石碑と上京区役所手前に「これより北東室町幕府跡」の石碑のみ。大体、東西110m。南北220mというが、630年も前の痕跡は都市化と歴史の重層構造の激しい京都では何ひとつ残っていない。
6、つぎは等持院。ここは歴代足利将軍の木造を安置している禅宗の菩提寺。ツブさに木彫を見た。それぞれ性格を表しているように見える。後世の歴史を知った上での偏見かもしれないが。
イ、初代足利尊氏。ごく普通の顔立ちだが口元にバカになれる、よう分らない性格性が見えるのは歴史を研究する者の偏見か。
源頼朝、足利尊氏、徳川家康、西郷隆盛、それぞれ幕府を開いた人物だが共通な性格は、極めて複雑な性格を持っており、それは顔に出るということではないか。 いかが?
ロ、3代足利義満。髭ずらで口元意思強く、たれ目で日本国の国王と自称するだけの面構え。
ハ、6代足利義教。両眼の間が広く口元が神経質で、義満の強権政治を目指したがしかし人格が至らず、赤松満祐に斬殺されたのはなるほどか。
ニ、8代足利義政は、6代義教に似た雰囲気。神経質で嫁さんに負けて実権を発揮できないと、ワシは知らん勝手にせいと自分の世界に引きこもり、イジイジ生きるという感じ。
ホ、13代足利義輝。体力派的風貌。なるほど歴代将軍の中で唯一実際に刀をとって、白兵戦をやった人物。大将というより、前線部隊の下士官がむいているかも。
ヘ、15代足利義昭。お大尽で輿に乗って担がれるタイプか。ただ担いだ人物が織田信長等悪人ばかりが悲劇か。
7、等持院の庭園は夢想楚石作庭の室町時代の特徴がよく出ている庭で天竜寺の庭と並び賞される。
我輩は、この庭を見ながら抹茶をいただき、しばし思いにふけりましたよ。500円。
抹茶には「等持院 芙蓉の月」というお菓子が優雅で会ったぞな。
8、結論、我輩は京都では小野小町の随心院と足利菩提寺の等持院を勧めるね。
ここでは遠江一宮の小国神社を参拝。お宮参りの子供3組、結婚式の新郎新婦2組を見た、人生の一番いい時期。
我輩は全国一宮&国分寺を旅する会の代表でもあるのだ。(タウンウォッチングの会も)
あと新所原駅からJRで名古屋、新幹線で京都へ。ここからが連休ですがな。
2、京都はウイークリーマンション。いつもの河原町2条。京都市役所の200m位北の
昔の公家屋敷などがあったであろう地域。この窓から、3条4条大橋の間にお池大橋と加茂川左岸の川端通りが見える。遠く東山山ろくに見えるのがウエステイングホテルではないかな。こんな位置づけ。昨日は荷物の到着を待って、さっそく散歩。
3、近くの熊野神社の4月29日の神幸行事に出くわした。なにかと思えば馬に乗った神官が神輿を担ぐ子どもたちを引き連れ熊野神社で神事。熊野神社とは白河天皇?が「蟻の熊野詣」の名残で京都に熊野権現を招来した神社。足利義満時代は加茂川にいたる広大な領地を有していたようだが応仁の乱以降衰え江戸時代にやっと熊野神社として再興したとか。
4、神社仏閣もいろいろあってそれぞれが時代の波で興廃を繰り返している。それも歴史なのだ。
5、本日30日は今回のテーマ、足利義満の花の御所を見る。花の御所は同志社大学の向かい烏丸通りの「大聖寺」に「花の御所跡」の石碑と上京区役所手前に「これより北東室町幕府跡」の石碑のみ。大体、東西110m。南北220mというが、630年も前の痕跡は都市化と歴史の重層構造の激しい京都では何ひとつ残っていない。
6、つぎは等持院。ここは歴代足利将軍の木造を安置している禅宗の菩提寺。ツブさに木彫を見た。それぞれ性格を表しているように見える。後世の歴史を知った上での偏見かもしれないが。
イ、初代足利尊氏。ごく普通の顔立ちだが口元にバカになれる、よう分らない性格性が見えるのは歴史を研究する者の偏見か。
源頼朝、足利尊氏、徳川家康、西郷隆盛、それぞれ幕府を開いた人物だが共通な性格は、極めて複雑な性格を持っており、それは顔に出るということではないか。 いかが?
ロ、3代足利義満。髭ずらで口元意思強く、たれ目で日本国の国王と自称するだけの面構え。
ハ、6代足利義教。両眼の間が広く口元が神経質で、義満の強権政治を目指したがしかし人格が至らず、赤松満祐に斬殺されたのはなるほどか。
ニ、8代足利義政は、6代義教に似た雰囲気。神経質で嫁さんに負けて実権を発揮できないと、ワシは知らん勝手にせいと自分の世界に引きこもり、イジイジ生きるという感じ。
ホ、13代足利義輝。体力派的風貌。なるほど歴代将軍の中で唯一実際に刀をとって、白兵戦をやった人物。大将というより、前線部隊の下士官がむいているかも。
ヘ、15代足利義昭。お大尽で輿に乗って担がれるタイプか。ただ担いだ人物が織田信長等悪人ばかりが悲劇か。
7、等持院の庭園は夢想楚石作庭の室町時代の特徴がよく出ている庭で天竜寺の庭と並び賞される。
我輩は、この庭を見ながら抹茶をいただき、しばし思いにふけりましたよ。500円。
抹茶には「等持院 芙蓉の月」というお菓子が優雅で会ったぞな。
8、結論、我輩は京都では小野小町の随心院と足利菩提寺の等持院を勧めるね。