江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

ブルーノート東京

2019年01月23日 08時19分47秒 | Weblog
ブルーノート東京に初めて行った。 日本におけるジャズの聖地。

南青山の、骨董通り先 根津美術館のとなりだった。 この辺りは知らないわけではないが、以前はジャズのライブに関心がなかったから場所もわからなかったのだろう。







ブルーノート東京の演奏は二、三日毎にプレーヤーが変化し、出演者のランクに応じてミュージックチャージが異なる仕組みのようだ。

ブルーノートは1939年にNYで設立され、 その史上最強のジャズレーベルを 80 周年記念と銘打って、本日は日本人が演奏する趣向とか。

思うに 1939 年というと戦前だ。 それを戦後の日本に導入したのは きっと駐留軍だろう。そうなると、青山の近くの ワシントンハイツの米軍人と思われる 。終戦直後の東京に多方面に影響を植え付けたのが、いま代々木公園となっているワシントンハイツの住人たちだから。

たとえば、クリーニング業 生鮮野菜の販売等々。思えば戦後の青山はその影響を大きく受けて日本全土に発信してきたのだ。

青山とジャズで そんな感慨 敗戦直後の東京の姿の想像にとらわれた。

ジャズは分からない我輩だが、ブルーノート東京の圧倒的迫力に暫し浸ったものだ。
観客多くも頭ふりふりジャズに陶酔していた。
人生万般 狂った方が勝ち。

食前酒も料理も良かった。



上毛三山へ 初旅

2019年01月19日 11時23分50秒 | Weblog
1月18日 上毛三山、つまり、上つ毛の国 群馬県の 赤城山 榛名山 妙義山へ初旅に行きました。

しかし軟弱な我輩はなんと、クラブツーリズムのバスに乗って しかも 、それぞれの山の下にある神社に参っただけなのです。 これは楽チンだ。山に登る気力も体力もなくなったね。

赤城山下の大沼にある赤城神社は、零下3 度の真冬 猛烈に寒く参拝者もなし。




榛名山下の榛名神社は 寒くはなかったが、参拝者は少し。小正月も終わったからな。





これが本来の御神体。 何千万年前かの噴火の後、 侵食されて 生まれた奇岩が、歴史時代の我々の先人が神の居ますところと考えられたのだろう 。真下の本殿がそれを示している。





つぎは妙義山。ここも奇岩で日本3奇勝といわれるそうな





この165段の階段を登るのが大変。昔は簡単に登れたものが体力の劣化で苦労をする 。

昔、 ある国会議員との雑談で、(お爺の川またぎ ) つまり、若いころは平気で小川を飛び越えられたが、年を取ると、飛び越えようとすると小川に落ちてしまう譬えを聞いたことがある。

こんな面白い昔の人の表現を何度か聞いた。そういう国会議員もみんな引退し、その息子の代になってしまった。

知り合いの議員がほとんどいなくなった。




稀勢の里引退の日の国技館

2019年01月16日 21時02分13秒 | Weblog
本日16日、横綱 稀勢の里引退しました

今日 引退することはないと思っていたから、この日に相撲観戦を組んでいたのだが、残念、稀勢の里は引退を余儀なくされました。






稀勢の里の 幟り もこれが今日最後かもしれない。



 今日16日の番付表。稀勢の里は 東の正横綱のに置かれている。しかし、これには三日間の黒星が続いている。



この日の横綱白鵬と北勝富士の対戦で、白鵬は土俵の俵を伝って逃げ、北勝富士の足の出が速いと決定された。



これが象徴するように 白鵬と稀勢の里との差異というもの、 即ち実力差と言うものであろう。

勝負の世界の厳しさでありこれもやむを得ないのかもしれない。
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国技館地下での金300円なりのちゃんこ料理です。

東京ドームふるさと祭り

2019年01月14日 21時57分58秒 | Weblog
1月13日、東京ドームで ふるさと祭り を見て参りました。まず最初は盛岡さんさ祭りでありました、次は八戸三社祭で、その次は高知よさこい祭りでありました。大体1時間に1本ぐらいのペースで各地の祭りを集めておりました。これが1月11日から1月20日まで続くのであります。それだけ東京には地方から来てる人& 野次馬が多いと言うことであります。
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谷中銀座…正月の自由 即ち…選択の自由

2019年01月11日 19時59分12秒 | Weblog
正月11日、吾輩は今日は午前中読書。「問わず語り」(鎌倉時代初期の源氏物語か) と「三河物語」これは徳川幕府の安定期以降の武士の世界の生き方をめぐる混乱。を読みました。最近は古典は漫画で読むに限ると思いました。

今日は午前中からこういう昔の本を読みながら時間をつぶしました。


午後3時過ぎから 少し運動もしないといけないと思い、昔から気になっておった 谷根千(東京の昔の下町=谷中・千駄木・根津 の頭を取って、地域再活性化を図るグループが名付けたもの)に行こうと思いました。

具体的には地下鉄千代田線で千駄木駅まで行き、ここから 「よみせ通り」(名前がいいねー) と 谷中銀座を歩きました。

谷中銀座の入り口に酒屋があり、ここで新種の 白酒=どぶろく を売っていたものですから店のおばちゃんに、吾輩は金500円なりでいっぱいひっかけましたよ。途中で口が寂しくなりまして 隣の 肉屋でミンチコロッケの揚げたて1ケ200円も買って食べました。

谷中の銀座通りは、クロスする 「よみせ通り」 と同じく非常に庶民的なところでありまして、外国人も結構おりました。私もこれをを見物しながら雰囲気を楽しみながら、散歩した次第であります。


これが谷中銀座の だんだん通り と言われるだんだん坂の反対側の入り口であります。西日暮里から、だんだん坂を下って谷中銀座を買い物に行くのであります。

ここはちょうど 江東区の 砂町銀座 の雰囲気とよく似ております。ここは江戸時代の庶民の街、いっぽう砂町は、昭和以降の庶民の街のような気がいたします。


谷中銀座のほんの数分先に、大黒天経王寺 と言うお寺があり、ここは明暦元年の創設であって、地元の豪農が勧進して作った言う話であります。

 その後慶応4年 1868年に 上野の彰義隊が攻められ、敗残兵がこの寺に逃げ込み、政府軍から攻撃を受け、、その時の弾痕の後が、今も門の板に残っています。





 その先の西日暮里の駅に行く途中、JRや新幹線の 交通の要衝を見ました。



その後、近くの朝倉彫塑館 に行きましたら、入館は4時までと言うことで、その時4時半でありましてアウトでした。


   こうして今日はもう帰ろうと思って地下鉄の千駄木駅まで行こうとしたところ、都営バスの停留所があります。私は東京都の老人パスを持っており(年間20,000円ぐらい払っております。)とにかくこれを利用させてもらおうと思い、すぐ来たバスに乗ると浅草寿町行きでありました。

そこで 浅草ロック で降り、思いついて近くの 「ドジョウの飯田家」に行きました。

今日は金曜日の5時過ぎだったもんですから、結構空いておりまして 私1人だけの客であっても充分対応してくれました。やはり、お店は、暇なときに行くべきだと痛感。


久しぶりにどじょう鍋を堪能させてもらいましたよ。 幸せ。


あと浅草を歩いて帰りましたが、途中で浅草らしい雰囲気があったので皆様にお見せします。





こうして今日の 退屈御家人 の自由すなわち、行動の自由、選択の自由 楽しみの自由 を正月からエンジョイしてるわけであります。 おしまい。

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夏目漱石の [漱石山房]を見る。

2019年01月10日 18時04分00秒 | Weblog
今日10日 新宿区牛込に、夏目漱石の旧宅を復元した 新宿区立 漱石山房 を見に行きました。


 なかなか凛とした男前ですね。


これが漱石の 書斎 を正確に復元したものです。文豪が頭の中で知的生産をする現場です。これを見ると我らもいろいろ見習うことが多いなぁと感じました。


これが有名な漱石の木曜会のポンチ絵です。木曜会と言うのは明治39年ごろから漱石を慕う人々による 文化人サークル と言えるもので ここで知的な人々の談論風発が行われたとか。

 正月早々、飲み食いばかりでなく、ちょっと知的な感じになった気分。いいね。

1月6日 小寒 。 新年初の杉並散歩

2019年01月06日 19時01分13秒 | Weblog
今日は1月6日 日曜日。24節気の 小寒 である。

正月の日曜日です。年寄りは特に行くところもない。

体力の劣化を考え毎日10,000歩を歩くのが望ましいと思っている。なかなかしかし難しい。

今日はたまたま杉並区の 大田黒公園(登録有形文化財)& 角川公園(登録有形文化財)& 荻外荘(国指定史跡)を思いついたので、見に行きました。・・・・これが野次馬精神 であります。

まず大田黒公園。大正元年=明治46年19歳でロンドン大学入学、以後、ドッビシ―やストラビンスキーなどを日本に紹介,執筆活動を進めた、日本の初期の音楽人の住居跡(昭和8年製作と)である。









次は角川源義公園。角川書店のオーナーで、俳人の住居跡。









次は近衛文麿の住宅跡。昭和戦前期に内閣総理大臣を3度務めた近衛文麿の別荘跡地。当時の荻外荘会談等の政治の舞台となったところ。現在は建物をオープンしていない。










  杉並区は文化の跡が多く、奥が深いね。  先日の 江戸東京建物博物館に 勝るとも劣らない!


われ、老人の退屈御家人は、あちこち 健康散歩に出かけるようにしているが、1日1万歩を歩くのはかなりむつかしい。体力の劣化は否定しがたいね。  新年早々、泣きが入るとは、吾輩も老いてきたね。

遅ればせながら箱根駅伝

2019年01月04日 22時20分37秒 | Weblog
1月3日は箱根駅伝の復路の日である。

この日我ら大学の同級生たち十数名は箱根駅伝の応援のために、理工学部の後楽園校舎でパノラマビューの映像を見ながらまず応援し、 その後大手町に到着する頃に現場に応援に行こうと言うことになりました。





これがパノラマビューの映像です。さすが理工学部の電子工学が何かをやってる連中はそういう技術があるのですね。われわれは酒も飲まずにただ応援するのみです。そして時間が経てばいよいよ大手町に行きました







大手町は大混雑。各大学がそれぞれ独自の応援スタイルが最高潮。しかしわが大学の応援団がいるところを探しましたが、大手町界隈は猛烈なファンや野次馬で混雑しており、どこに応援団がいるかわかりませんでした。そこで新橋近くまで行きましたがわからん。そこでたまたま中央大学学員会荒川支部のの皆さんが応援しているところに合流させてもらって一緒に応援しました。





これらは2位の青山学院の選手と3位の東洋大の選手の勇姿です。
1位東海大学の選手をスマホで写そうと思ったら選手のスピードがあまりにも早くカメラが追いつかなかったため写せませんでした。トホホ



いろいろ各大学の選手が過ぎ去っていきましたがここにシード権を取れず11位に終わった中央大学の選手が写っています。よくがんばった!

この後われわれは新橋駅から東京駅までJRで移動し東京駅構内の地下の飲み屋で第一回目の反省会祝賀会?をやりました。

その後半分は後楽園校舎へ帰りそこで学長や理事長や運動部の関係者たちとの祝賀会ではないが反省会でもない中途半端な打ち上げ会をやったのではないかと思います。

吾輩はそれに参加せずさよならしました。ほどほどの付き合いがいいですね。

あけましておめでとうございます

2019年01月02日 13時54分51秒 | Weblog
1月2日は皇居で新年祝賀一般参賀です。

吾輩は朝箱根駅伝のスタートをも見てしばらくしてから散歩に出かけました。

その途中、お正月の良いお天気の中、風が冷たい寒さの中にも
春が近づいているのを感じました。





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花鳥風月が日本人の感性の源泉です。


みよちゃんが よちよち歩く 春隣




散歩の後には銭湯に寄りました。

銭湯では二日が初湯で、江戸の昔から大正頃までは各人が祝儀を包んで番台へ差し出すならいがあったそうな。今はその習慣も廃れた。
ちなみに吾輩は年賀のタオル1本もらいました。

駅伝の 絶叫横目に 初湯かな