ちょっと皆さんの影響で読んでみたくなりまして、小林秀雄さんと茂木健一郎さんの著作をそれぞれ2冊づつ、手に入れました。
すごくいろいろ考えたことあったんですが、全部読んでからそれは論じたいと思います。
今1冊目を半分ほど読んだところです。これ僕にしてはすごく速いペースなんですよ。やっぱり興味を本気で持つと、違いますね。(じゃあ紫式部はそれほどでもなかったのか、って話だが)
小林秀雄さんはともかく、茂木健一郎さんって方は、最初テレビで見たとき、こんな大物だとは思わなかったんですよ。
だって髪ボサボサだし、顔は優しそうでおおよそ科学者の鋭い眼光というものとは無縁。
普通のおっさんやん!みたいな。
NHKの『プロフェッショナル~仕事の流儀』では、レギュラー解説者されてますが、隣のアナウンサーの女性の方がゲストに話振るの上手いし。彼女の方がいい事訊くし(笑)……いや、僕が観た時ですよ。僕の感想。
でも本のカバーについてるプロフィール見たら、驚いて。
僕は肩書きではあまり人を判断しないように心掛けてはいるんですが、それでも、これはハンパないな、と。
科学者なんですから、テレビに出るのは本職じゃありませんよね。そんな上手い方がちょっと疑いの目になっちゃいます。(と、いう目でこれからテレビにでてる茂木さんを見ようと思った)
テレビに出るからには、そういうスキルがあるんだろうと思ったんですよう。ちょっとでもバカにしてごめんなさい。
でも、それでもまだ、茂木さんの理論には100%の信頼は持てないんです。
なぜかというと、それはコマンタさんのブログのコメントでも述べましたが、「心」の問題が、残されている、ということ。
定量化できない「心」や「気持ち」を説明できない。
当然なんですが、そんなもん、「論」では解明できない。
でもそんな大きな問題、「これからの科学の発達による」とそのままにしておくのもなんだと思うんですよね。
もちろんそういった問題は、言葉では説明つかないんですが、たくさんの言葉を積み重ねることによって、それがある方向は示せる。ベクトルは描けるとも思うんです。
つまり、実体そのものは論ずることができなくても、こっちの方にあるよ、というベクトルを示すことで、その輪郭がぼんやり、いや、そういうベクトルを、「知る」キッカケを、限りなく重ねることで、輪郭がいや実体が、「感じられる」のではないか、と思うのです。
こう述べていくと、これはますます科学者の仕事ではない気がしてきました。それはアーティスト、作家の仕事かもしれません。
でも、ちょっと本を読んだ感じでは、茂木さんはまったくその問題から逃げているわけではないんですよね。いつか解き明かそうとはしている。
そう、いつか、「理論」で気の問題を喝破できる日が来ることを、心待ちにしています。
あ、、、でも、、それを喝破している人、それにいちばん近い人を僕は知っているかもしれない。
太極拳のおっしょさん。
あの方の理論は、科学と読んでもいいものである。
しかも人の「気」について説いている。
ずっと思ってはいたが、やっぱり、
すげ。
すごくいろいろ考えたことあったんですが、全部読んでからそれは論じたいと思います。
今1冊目を半分ほど読んだところです。これ僕にしてはすごく速いペースなんですよ。やっぱり興味を本気で持つと、違いますね。(じゃあ紫式部はそれほどでもなかったのか、って話だが)
小林秀雄さんはともかく、茂木健一郎さんって方は、最初テレビで見たとき、こんな大物だとは思わなかったんですよ。
だって髪ボサボサだし、顔は優しそうでおおよそ科学者の鋭い眼光というものとは無縁。
普通のおっさんやん!みたいな。
NHKの『プロフェッショナル~仕事の流儀』では、レギュラー解説者されてますが、隣のアナウンサーの女性の方がゲストに話振るの上手いし。彼女の方がいい事訊くし(笑)……いや、僕が観た時ですよ。僕の感想。
でも本のカバーについてるプロフィール見たら、驚いて。
僕は肩書きではあまり人を判断しないように心掛けてはいるんですが、それでも、これはハンパないな、と。
科学者なんですから、テレビに出るのは本職じゃありませんよね。そんな上手い方がちょっと疑いの目になっちゃいます。(と、いう目でこれからテレビにでてる茂木さんを見ようと思った)
テレビに出るからには、そういうスキルがあるんだろうと思ったんですよう。ちょっとでもバカにしてごめんなさい。
でも、それでもまだ、茂木さんの理論には100%の信頼は持てないんです。
なぜかというと、それはコマンタさんのブログのコメントでも述べましたが、「心」の問題が、残されている、ということ。
定量化できない「心」や「気持ち」を説明できない。
当然なんですが、そんなもん、「論」では解明できない。
でもそんな大きな問題、「これからの科学の発達による」とそのままにしておくのもなんだと思うんですよね。
もちろんそういった問題は、言葉では説明つかないんですが、たくさんの言葉を積み重ねることによって、それがある方向は示せる。ベクトルは描けるとも思うんです。
つまり、実体そのものは論ずることができなくても、こっちの方にあるよ、というベクトルを示すことで、その輪郭がぼんやり、いや、そういうベクトルを、「知る」キッカケを、限りなく重ねることで、輪郭がいや実体が、「感じられる」のではないか、と思うのです。
こう述べていくと、これはますます科学者の仕事ではない気がしてきました。それはアーティスト、作家の仕事かもしれません。
でも、ちょっと本を読んだ感じでは、茂木さんはまったくその問題から逃げているわけではないんですよね。いつか解き明かそうとはしている。
そう、いつか、「理論」で気の問題を喝破できる日が来ることを、心待ちにしています。
あ、、、でも、、それを喝破している人、それにいちばん近い人を僕は知っているかもしれない。
太極拳のおっしょさん。
あの方の理論は、科学と読んでもいいものである。
しかも人の「気」について説いている。
ずっと思ってはいたが、やっぱり、
すげ。