太郎は焦っていた。どうしても、何度勝負しても、弟に勝てない。その事実が、彼のプライドをいたく傷つけていた。
長距離走――いまも弟を追って、しゃにむに走っている。そんな中、弟が振り返って兄の方を見た。そして前に向き直るとき、口元に笑みを浮かべた。少なくとも、兄の目にはそう映った。そのイメージが、目蓋にこびりついて離れない。あれは、自分に対する嘲りの笑いだ。そうとしか思えなかった。
負けたくない。弟にだけは、これ以上負けるわけにいかない。その強い思いが頭を駆け巡り、身体を独占していた。
けれどもはや、弟の姿は見えない。はるか先へ行ってしまった。今や自分には、全く勝機がない。そう思った瞬間、体内に電流が走ったような感覚に襲われた。
太郎はしゃがみ込み、頭頂を地面に擦りつけた。そこを軸に、身体を回転させた。続いて今度は肩を軸に、体を回した。そんなことを繰り返し、でんぐり返しを何百回と続けながら、太郎はゴールに向かって少しずつ進んでいった。
――弟は、もうとっくにゴールしただろう。それはわかっていた。だからこそ、自分は「信念」を曲げることができない。太郎はまた一回、もう一回でんぐり返した。
太郎がでんぐり返しに夢中になっていると、
「兄さん」
弟の呼ぶ声が聞こえた。
太郎はすぐ我に返り、声のする方に顔を向けた。そこには弟の姿があった。周囲を見渡すと、十数名の見知った仲間の姿が見えた。
彼は、いつの間にかゴールまでたどり着いていた――それに気付いたとき初めて、太郎は体中の痛みを感じとった。
あたりは既に暗くなっていた。顔が影になっていて、仲間の表情を窺うことはできない。たぶん、一様に呆れた顔をしているだろう。太郎には分かっていた。
ふいに、周囲が明るくなった。仲間たちの顔が、はっきりと見えた。同時に、爆音が鳴り響いた。なにかの爆発音――
――それは、花火だった――
花火は絶え間なく夜空に打ち上げられ、鮮やかな光があたりを彩っていた。
色とりどりの光で照らされる中、太郎を囲む面々は、無表情だった。声をあげる者も一人としていない。
やはりそうだ。太郎は思った。呆れて声も出ないのだろう。それなら帰ってくれればいいのに。やり場のない恥ずかしさと焦燥感が、彼の体にあふれていた。
「ごめんなさい」
思わず太郎はそう口走っていた。目から涙があふれていた。
弟には負けた、仲間からは馬鹿にされる。散々な試合だった。しかもそれは、完全なる自業自得といえた。もう、自分には生きる価値もない、そんな言葉さえ頭をかすめていた。
そんな時、
「凄いよ」
耳を疑う言葉が聞こえた。そら耳かと思った。花火の爆音がそう聞こえたかと。
「無茶苦茶やるなあ」
次の瞬間、その場にいた全員に笑いが起きた。
――やはり――
これが皆の本音だ。俺は、大馬鹿者だ。皆に笑われて当然。弟に馬鹿にされて当然。恥ずかしくて身の置きどころが無い。
次郎に手を引き上げられて、立ち上がった。
「やっぱり兄さんには敵わないよ」
弟の言っている意味が分からない。自分は非力だ。次郎は凄い。皆も凄い。
自分は、無力だ。
「ありがとう」
誰が言ったかよく分からなかった。
「ありがとう」
自然にそう答えていた。
「あっちに行こう」
全員が、太郎を笑顔で導いていた。花火がいちばんよく見える場所へ。
行く途中、いそがせるから、石かなにかにつまずいてしまった。
――そしたら、またみんなに、わらわれた。
長距離走――いまも弟を追って、しゃにむに走っている。そんな中、弟が振り返って兄の方を見た。そして前に向き直るとき、口元に笑みを浮かべた。少なくとも、兄の目にはそう映った。そのイメージが、目蓋にこびりついて離れない。あれは、自分に対する嘲りの笑いだ。そうとしか思えなかった。
負けたくない。弟にだけは、これ以上負けるわけにいかない。その強い思いが頭を駆け巡り、身体を独占していた。
けれどもはや、弟の姿は見えない。はるか先へ行ってしまった。今や自分には、全く勝機がない。そう思った瞬間、体内に電流が走ったような感覚に襲われた。
太郎はしゃがみ込み、頭頂を地面に擦りつけた。そこを軸に、身体を回転させた。続いて今度は肩を軸に、体を回した。そんなことを繰り返し、でんぐり返しを何百回と続けながら、太郎はゴールに向かって少しずつ進んでいった。
――弟は、もうとっくにゴールしただろう。それはわかっていた。だからこそ、自分は「信念」を曲げることができない。太郎はまた一回、もう一回でんぐり返した。
太郎がでんぐり返しに夢中になっていると、
「兄さん」
弟の呼ぶ声が聞こえた。
太郎はすぐ我に返り、声のする方に顔を向けた。そこには弟の姿があった。周囲を見渡すと、十数名の見知った仲間の姿が見えた。
彼は、いつの間にかゴールまでたどり着いていた――それに気付いたとき初めて、太郎は体中の痛みを感じとった。
あたりは既に暗くなっていた。顔が影になっていて、仲間の表情を窺うことはできない。たぶん、一様に呆れた顔をしているだろう。太郎には分かっていた。
ふいに、周囲が明るくなった。仲間たちの顔が、はっきりと見えた。同時に、爆音が鳴り響いた。なにかの爆発音――
――それは、花火だった――
花火は絶え間なく夜空に打ち上げられ、鮮やかな光があたりを彩っていた。
色とりどりの光で照らされる中、太郎を囲む面々は、無表情だった。声をあげる者も一人としていない。
やはりそうだ。太郎は思った。呆れて声も出ないのだろう。それなら帰ってくれればいいのに。やり場のない恥ずかしさと焦燥感が、彼の体にあふれていた。
「ごめんなさい」
思わず太郎はそう口走っていた。目から涙があふれていた。
弟には負けた、仲間からは馬鹿にされる。散々な試合だった。しかもそれは、完全なる自業自得といえた。もう、自分には生きる価値もない、そんな言葉さえ頭をかすめていた。
そんな時、
「凄いよ」
耳を疑う言葉が聞こえた。そら耳かと思った。花火の爆音がそう聞こえたかと。
「無茶苦茶やるなあ」
次の瞬間、その場にいた全員に笑いが起きた。
――やはり――
これが皆の本音だ。俺は、大馬鹿者だ。皆に笑われて当然。弟に馬鹿にされて当然。恥ずかしくて身の置きどころが無い。
次郎に手を引き上げられて、立ち上がった。
「やっぱり兄さんには敵わないよ」
弟の言っている意味が分からない。自分は非力だ。次郎は凄い。皆も凄い。
自分は、無力だ。
「ありがとう」
誰が言ったかよく分からなかった。
「ありがとう」
自然にそう答えていた。
「あっちに行こう」
全員が、太郎を笑顔で導いていた。花火がいちばんよく見える場所へ。
行く途中、いそがせるから、石かなにかにつまずいてしまった。
――そしたら、またみんなに、わらわれた。
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