『失フ』
幼い頃、定規で遊んでいる内に折ってしまった。
何故あの時、僕はあんなに悲しかったんだろう
あんなに涙が出たのだろう
初めて人の死に出遭ったのは、小学4年生の事だった。
顔の上に掛けられた白い布を見ても、その下の黄色い皮膚を見ても、悲しくはなかった。
むしろ夢中になって従兄と遊んで、母に泣きながら怒られるくらいだった。
その母の涙に、初めて祖父の死の悲しみを感じた。
失恋したのは、小学3年の時が初めてだ。
失恋というより、相手にもされなかった。
悲しくなかったから、それ程好きでなかったのかも知れない。
本格的なのは、予備校生時代の冬。
恋人が出来たと聞かされて、ショックで何も手につかなくなった
本当に好きだったんだ。
人は心を遷したものを失うと、悲しい気持ちになる。
とても とても
だから変わる事は、別れは、切ない。
新しい周囲に自分が慣れるまでは時間を要する。
自分が変わるまで。
失ったものを過去に出切るまで。
それでも僕は全ての過去を見送ってきた。
悲しい事だろうか。
抱え切れなくなって全てのものを放り投げたこともあった。
責められる事だろうか。
前を向く度に、新しい色のペンキで上から塗り潰してきた。
現在の僕は、「今の僕」というものにしか見えない。
じゃあ僕の過去は、失くなってしまったのか?
僕は時々掘り返して見る。
すると、奥深くの地層から地表まで、染み出しているものがある。
それは嬉しい事だった。
今が全てだけど、
全ては今だけじゃない。
繋がっている……
それは嬉しい事だ。
笑顔に為った。
その表情には、君の全てが詰まっているんだね。
憎らしくなって、切なくなって、僕は頬っぺたを引っ張った。
君は表情を崩すけど、やっぱり笑顔なんだ。
つられて、僕も笑顔なんだ。
いつかは、僕も、変わる。君も、変わる。
その時も、笑顔でね。
全てが詰まってるって知ってるから。
泣きそうになる笑顔にも、世界が全部が詰まってる
その涙は拭えないけど、いつまでも
さよなら。
「失フ」、文章塾で読みました。ストレートに詩的に思いを語っておられて胸にジンときます。喪失を感じる出来事を重ねて記憶を辿ることはとても勇気のいることだと思います。記憶がなければ「とりかえしのつかないせつなさ」みたいな喪失感はないでしょうね。でも記憶がなければ自分は自分ではないような気がします。結局、何かを失って悲しみながら生きていくことになるんだろうなぁ。(いつになく真面目なコメントだと自画自賛です)
文章塾の最終回、僕はストレートに文章塾との別れを書かれた文章は評価を入れませんでした・・・それは自分にとって「評価できない」からなんです。自分にとって「おはなし」ではないからなんです。
さて、その文章塾ですがこれからのあり方を話しておられる掲示板も読みに行っています。でも、自分にはわからないです。800字で文章を書いてコメントし合うコミュニティとしてしか認識してなかった場所なんです。先にシステムがある中に入ったという意識だったんです。枠自体を考えるなんて自分にはすごい難題です。自分なりの考えができてきたら参加したいと思います。
ああ、長くなってしまいました。
おっちーさんを気づかっているつもりが、つい「いつまでも待ちます」とか書いて、うちにすぐに来たりしにくくしちゃったかもしれません。時間の余裕ができたらうちにも遊びに来てやってくださいね。
では~
多分気付いてらっしゃると思いますが、コメント入れてないだけで、そちらに覗きには行っています。すみません、正直言うと作品はダーッとしか読んでません。ごめんなさい。
> 結局、何かを失って悲しみながら生きていくことになるんだろうなぁ。
そうですねえ、僕の数少ない読書から、宮本輝さんの『青が散る』という作品の中で、登場人物が
「人は死ぬ。だから人生は悲しいものなんだよ」
みたいな事を言っていました。
その真意が今伝わってきたような気がしますね。
> いつになく真面目なコメントだと自画自賛です
そこできちんと自画自賛されるところが、矢菱さんだなあ。絶対笑わせるもんなあ。ヴァッキーさん同様、サービス精神が素晴らしいです。
> 自分なりの考えができてきたら参加したいと思います。
はいー。是非是非。
読んでて「えっ?」って思ったとか、そこはこうなんじゃんって思ったとか、チラッとでも思うことがあったら気楽に書き込んじゃってください。
矢菱さんがこのコメントでおっしゃった今のご自身の立場を書くだけでも、掲示板は賑わいますし、僕は歓迎します。
どんどん。がんがん。よろしくどうぞ。
ではまたあとでー