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うちは読売新聞を購読している。
普段から さほど偏りがない報道内容だと感じている。
ところが本日朝刊のコラム「今日のノート」に疑問を持った。
『謝罪と信頼』とのタイトルの記事だが、
「謝る事は負けなのか。謝罪したら誇りが傷つくのか。信頼が損なわれるのか。」
という書き出し。 続いて
「ナチスドイツは膨大なユダヤ人を殺しただけでなく、
先行して精神障害者、知的障害者など30万人の命を奪っていた。」
「価値なき生命と判定された障害者や患者はガス室や注射で殺された。」
「ドイツの精神医学会は2010年に追悼式典を開き謝罪を表明した。」
その時の学会長が大阪で講演会を開き
「強制断種や殺人に精神科医が積極的に関与した事を知り
恥と怒りと悲しみでいっぱいになる。
謝罪に70年を要した事を悔やむ」と言ったとか。
最後に締めくくりとして
「過去の人々の行為に対し、現代の人間に直接の責任はない。
だが過去の事実を知り、教訓にしていく責任はある。
そういう態度をはっきり示す事が、信頼と尊敬につながる。」
「戦争から70年。日本は信頼を高めることができるだろうか。」
太平洋戦争時、日本がアジアの国々に対して行った事と
ナチスドイツの異常な残虐行為と同列に語る読売編集委員。
日本軍による戦闘に関連した行いと
ナチスによる優勢政策という身勝手な理由からの殺人。
全く性質が違う。
それにも拘らず、「ドイツは謝罪した。日本はどうだ?」
「謝罪もせずに国際社会から信頼されるだろうか?」だって?
このコラムの書き出しに戻ると
「謝る事は負けなのか。謝罪したら誇りが傷つくのか。信頼が損なわれるのか。」
謝る事は勝ち負けではない。
謝る原因もないのに謝る必要はない。
謝る原因もないのに謝罪する事は誇りに傷がつく。
謝罪する原因もないのに謝るべきではない。
それは心底からの謝罪にはならない。
つまり嘘の謝罪をする人は信頼されない。
自虐史観で教育されてきた過去の政治家たちは
とに角謝っておこう。
これで中韓が気が済むなら謝ろう。と何度も謝罪した。
事なかれ主義もあっただろう。
しかし中韓は何度も日本に謝罪を求め、更には賠償金まで請求してきている。
それでも謝罪せよというのか。
不毛な謝罪は何も生まない。
あるのは永遠に続く謝罪と賠償だけ。
それは現在の中韓の執拗な言い掛かりが証明している。
戦後70年談話では「謝罪」や、「植民地支配」、
少なくともこの2語は入れるべきではない、そう思う。
今日の読売新聞のコラムを読んで、強くそう思う。
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