
大仏の屋根を残して時雨けり 諸九尼
俳句を始めて新たに知ったことは多い。十三夜がいわゆる十五夜の二日前でなく、一月遅れの月であることなどが典型だが、さまざまな忌日、行事の他にも、囀(さえずり)と小鳥の違いなど挙げればきりがない。「時雨」もそのうちのひとつ、冷たくしとしと降る冬の雨だと漠然と思っていた。実際は、初冬にさっと降っては上がる雨のことをいい、春や晩秋の通り雨は「春時雨」「秋時雨」といって区別している。「すぐる」から「しぐれ」となったという説もあり、京都のような盆地の時雨が、いわゆる時雨らしい時雨なのだと聞く。本田あふひに〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞臺〉という句があるが、「灯(あかり)待たるゝ」に、少し冷えながらもさほど降りこめられることはないとわかっている夕時雨の趣が感じられる。掲句の時雨はさらに明るい。東大寺の大仏殿と思われるのでやはり盆地、時雨の空を仰ぐと雲が真上だけ少し黒い雨雲、でも大仏殿の屋根はうすうすと光って、濡れているようには思えないなあ、と見るうち時雨は通り過ぎてしまう。さらりと詠まれていて、句だけ見ると、昨日の句会でまわってきた一句です、と言っても通りそうだが、作者の諸九尼(しょきゅうに)は一七一四年、福岡の庄屋の五女として生まれている。近隣に嫁ぐが、一七四三年、浮風という俳諧師を追って欠落、以来、京や難波で共に宗匠として俳諧に専念し、浮風の死後すぐ尼になったという、その時諸九、四十九歳。〈夕がほや一日の息ふつとつく〉〈一雫こぼして延びる木の芽かな〉〈けふの月目のおとろへを忘れけり〉〈鶏頭や老ても紅はうすからず〉繊細さと太さをあわせもつ句は今も腐らない。『諸九尼句集』(1786)所
【時雨】 しぐれ
◇「朝時雨」 ◇「夕時雨」 ◇「小夜時雨」 ◇「村時雨」 ◇「北時雨」 ◇「横時雨」 ◇「片時雨」 ◇「時雨雲」
時雨とは本来、急に雨がぱらぱらと少時間降ることであり、降る範囲も狭い。日差しの当たっているところと雨の降っているところが同時に見えるほどである。山際を雨足が動いていく眺めを「山めぐり」とも言う。いずれにしろ、初冬に見られる季節現象である。とりわけ時雨に相応しい京都では、昔から詩歌の題材として、愛着を持って詠まれつづけてきた。「北山時雨」などという美しい言葉もある。「しぐるる」と動詞にも活用する。
例句 作者
小夜時雨ほとけに履かす足袋買ひに 梶山千鶴子
蕪村忌の毛馬の夕闇しぐれかな 村井美意子
天地の間にほろと時雨かな 高浜虚子
南部見て北都に泊つるしぐれかな 千田百里
かき消ゆるまでにしぐるる人と海 跡部祐三郎
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實
洞あればかくれ鬼の木しぐれけり 岩城久治
肥前しぐれて光体となる壺の群 佐川広治
水にまだあをぞらのこるしぐれかな 久保田万太郎
しぐるるやほのほあげぬは火といはず 片山由美子