鰤にみとれて十二月八日朝了る 加藤楸邨
季語は「鰤(ぶり)」で冬。「十二月八日」は、先の大戦の開戦日(1941)だ。朝市だろうか。見事な鰤に「みとれて」いるうちに、例年のこの日であれば忸怩たる思いがわいてくるものを、そのようなこともなく過ぎてしまったと言うのである。平和のありがたさ。以下は、無着成恭(現・泉福寺住職)のネット発言から。「私はその時、旧制中学の2年生でした。校庭は霜で真白でしたが、その校庭に私たち千名の生徒が裸足で整列させられ、校長から宣戦布告の訓辞を聞いたのでした。六十二年も前、自分がまだ十五才の時の話ですが、十二月八日と言えば、私が鮮明に思い出すのはそのことです。お釈迦様が悟りをひらかれた成道会のことではありません。今、七十五才ぐらいから、上のお年の人はみんなそうなのではないでしょうか。加藤楸邨という俳人の句に『十二月八日の霜の屋根幾万』というのがありますが、霜の屋根幾万の下に、日本人私たちが、軍艦マーチにつづいて『帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れリ』という放送を聞いた時、一瞬シーンとなり、そのあとわけもなく興奮した異常な緊張感が、この句には実によくでていると思います。あのとき味わった悲愴な感慨を、六十二年後、十二月八日から一日遅れた、十二月九日に味わうことになってしまいました。それは小泉純一郎首相による自衛隊の『イラク派遣基本計画閣議決定』の発表です。私はこれを六十二年前の宣戦布告と同じ重さで受取り、体がふるえました。こういうことを言う総理大臣を選んだ日本人はどこまでバカなんだ」(後略)。『加藤楸邨句集』(2004・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)
例句 作者
十二月八日の霜の屋根幾万 加藤楸邨
十二月八日日記に晴とのみ さくたやすい
十二月八日微塵の蝶の翅 安藤幸子
十二月八日の夜を早寝せり 天野初枝
十二月八日沖見てゐる一人 宮城白路