竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
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荷がゆれて夕陽がゆれて年の暮  岩淵喜代子

2019-12-27 | 今日の季語


荷がゆれて夕陽がゆれて年の暮  岩淵喜代子


いろいろあった今年一年
作者の年の暮れを無事に越えられるという
安堵感が滲んでいるようだ
現代ではみな荷物は自動車が運ぶが
荷車の荷物が夕日を背に揺れている光景
私のも幼児期の記憶にある
(小林たけし)

歳末の慌ただしさを詠んだ句は枚挙にいとまがないが、掲句は逆である。と言って、忙中閑ありといった類いのものでもない。このゆれている「荷」のイメージは、馬車の上のそれを思わせる。大きな荷を積んだ馬車が、夕陽の丘に消えていく。牧歌的な雰囲気もあるけれど、それ以上にゆったりと迫ってくるのは、行く年を思う作者の心である。すなわち、行く年を具象化するとすれば、今年あったこと、起きたこと、その他もろもろの事象などをひっくるめた大きな「荷」がゆれながら、これまたゆれる夕陽の彼方へと去っていくという図。もちろん夕陽が沈み幾夜かが明ければ、丘の向うには新しい年のの景観が開けているはずなのだ。「年の暮」の慌ただしさのなかにも、人はどこかで、ふっと世の雑事から解放されたひとときを味わいたいと願うものなのだろう。その願いが、たとえばこのようなかたちを伴って、作者の心のなかに描かれ張り付けられたということだろう。そしてこの「荷」は、おそらくいつまでも解かれることはないのである。来年の暮にも次の年の暮にも、永遠にゆれながら夕陽の丘の彼方へと消えていくのみ……。それが、年が行くということなのだ。去り行く年への思いを、寂しくも美しく、沁み入るが如くに抒情した佳句である。現代俳句文庫57『岩淵喜代子句集』(2005・ふらんす堂)所収。(清水哲男)

【年の暮】 としのくれ
◇「歳晩」(さいばん) ◇「年末」 ◇「歳末」 ◇「年の瀬」 ◇「年の果」 ◇「年の終」 ◇「年の残り」 ◇「年尽く」 ◇「年果つ」 ◇「年つまる」
12月も半ばを過ぎると、いよいよ正月の準備が始まり、年の暮の実感が生まれる。一年の節目としてのあわただしい暮しの中で、年を惜しむ心境や新年を待つ心持のないまぜとなった気持ちが重なる。

例句 作者

歳晩の脚立に妻の指図待つ 安居正浩
拍手してみんな留任年の暮 松倉ゆずる
小傾城行きてなぶらん年の暮 其角
忘れゐし袂の銭や年の暮 吉田冬葉
小鳥屋は小鳥と居たり年の暮 林 翔
映すものなき歳晩の潦 永方裕子
路の辺に鴨下りて年暮れんとす 前田普羅
年暮るる振り向きざまに駒ケ獄 福田甲子雄
年くれぬ笠着て草鞋はきながら 芭蕉
歳晩やものの終りは煙立て 能村登四郎