竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

湯ざめとは松尾和子の歌のやう 今井杏太郎

2019-12-12 | 今日の季語


湯ざめとは松尾和子の歌のやう 今井杏太郎

季語は「湯ざめ」で冬。はっはっは、こりゃいいや。たしかに、おっしやるとおりです。ちょっと他の歌手でも考えてみたけれど、思い当たらなかった。やはり「松尾和子」が最適だ。句は即興かもしれないが、こういうことは日頃から思ってないと、咄嗟には出てこないものだ。作者は松尾和子全盛期のころから、既に「湯ざめ」を感じていたにちがいない。ムード歌謡と言われた。フランク永井とのデュエット「東京ナイトクラブ」や和田弘とマヒナスターズとの「誰よりも君を愛す」あたりが、代表作だろう。「お座敷小唄」を加えてもいいかな。口先で歌うというのではないが、歌詞内容にさほど思い入れを込めずに歌うのが特長だった。歌詞がどうであれ、行き着く先は甘美で生活臭のない愛の世界と決め込んで、そこに向けて予定調和的に歌い進めるのだから、歌詞との間に妙な感覚的ギャップが生まれてくる。そこがムーディなのであり魅力的なのだが、しかし、このギャップにこだわれば、どこまでいっても中途半端で落ち着かない世界が残されてしまう。まさに「湯ざめ」と同じことで、聴く側の熱が上昇しないままに歌が終わってしまうのだから、なんとなく風邪気味のような心持ちになったりするわけだ。松尾和子が57歳の若さで亡くなったのは1992年、自宅の階段からの転落が、数時間後に死を招いた。その二年ほど前、一度だけ新宿のクラブでステージを見たことがある。「俳句研究」(2006年2月号)所載。(清水哲男)

湯ざめ】 ゆざめ
湯上りに身体を冷やしてしまうこと。冬季は身体が冷えやすく風邪をひいてしますことにもなる。

例句 作者

湯ざめして遥かなるものははるかなり 藤田湘子
湯ざめしてもの食む音の身に返る 岡本 眸
後より掴まるるごと湯ざめせり 古賀まり子
湯ざめして或夜の妻の美しく 鈴木花蓑
わが部屋に湯ざめせし身の灯をともす 中村汀女
化粧ふれば女は湯ざめ知らぬなり 竹下しづの女
つぎつぎに星座のそろふ湯ざめかな 福田甲子雄

野良猫に軒借られゐて漱石忌 尾池和子

2019-12-11 | 今日の季語


野良猫に軒借られゐて漱石忌 尾池和子


実際には猫より犬派だったようだが、漱石といえば猫、そして夏目家の墓がある雑司が谷界隈には野良猫が実に多い。野良猫の寿命は4~5年といわれ、冬を越せるかどうかが命の分かれ目ともいわれる。先日、冷たい雨を軒先でしのいでいる猫のシルエットに気づいた。耳先がV字型にカットされている避妊去勢済みの猫である。縁側で昼寝をするほどの顔なじみではあるが、一定距離を保つことは決めているらしく、近づくと跳んで逃げる。ああ、またあの猫だな、と思いつつ、野良猫に名前を付けることはなんとなくはばかれ、白茶と色合いで呼んだりしている。そういえば『吾輩は猫である』の一章の最後に吾輩は「名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯無名の猫で終るつもりだ」とつぶやいていた。軒先で雨宿りする猫はどう思っているのだろう。漱石忌の今日もやってきたら、きっと名前を付けてあげようかと思う。「大きなお世話」と言われるだろうか。〈ふくろふに昼の挨拶してしまふ〉〈双六に地獄ありけり落ちにけり〉『ふくろふに』(2014)所収。(土肥あき子)


【漱石忌】 そうせきき
12月9日。文豪夏目漱石の忌日。1916年没。享年49歳。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「三四郎」「それから」「門」等がある。俳人正岡子規と親交があり、句作者としても屈指であった。

例句 作者

僧堂の門閉ざしあり漱石忌 藤崎 実
揚げたてのコロッケを喰ふ漱石忌 平野無石
銀の匙に麦粉そなへん漱石忌 中 勘助
漱石忌猫に食はしてのち夕餉 平井照敏
倫敦に蓑虫住むや漱石忌 橋本風車
漱石忌枯野おほかた日が当り 森 澄雄
妻の嘘夫の嘘や漱石忌 阿波野青畝
うす紅の和菓子の紙や漱石忌 有馬朗人
漱石忌余生ひそかにおくりけり 久保田万太郎

鰤にみとれて十二月八日朝了る 加藤楸邨

2019-12-08 | 今日の季語


鰤にみとれて十二月八日朝了る 加藤楸邨

季語は「鰤(ぶり)」で冬。「十二月八日」は、先の大戦の開戦日(1941)だ。朝市だろうか。見事な鰤に「みとれて」いるうちに、例年のこの日であれば忸怩たる思いがわいてくるものを、そのようなこともなく過ぎてしまったと言うのである。平和のありがたさ。以下は、無着成恭(現・泉福寺住職)のネット発言から。「私はその時、旧制中学の2年生でした。校庭は霜で真白でしたが、その校庭に私たち千名の生徒が裸足で整列させられ、校長から宣戦布告の訓辞を聞いたのでした。六十二年も前、自分がまだ十五才の時の話ですが、十二月八日と言えば、私が鮮明に思い出すのはそのことです。お釈迦様が悟りをひらかれた成道会のことではありません。今、七十五才ぐらいから、上のお年の人はみんなそうなのではないでしょうか。加藤楸邨という俳人の句に『十二月八日の霜の屋根幾万』というのがありますが、霜の屋根幾万の下に、日本人私たちが、軍艦マーチにつづいて『帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れリ』という放送を聞いた時、一瞬シーンとなり、そのあとわけもなく興奮した異常な緊張感が、この句には実によくでていると思います。あのとき味わった悲愴な感慨を、六十二年後、十二月八日から一日遅れた、十二月九日に味わうことになってしまいました。それは小泉純一郎首相による自衛隊の『イラク派遣基本計画閣議決定』の発表です。私はこれを六十二年前の宣戦布告と同じ重さで受取り、体がふるえました。こういうことを言う総理大臣を選んだ日本人はどこまでバカなんだ」(後略)。『加藤楸邨句集』(2004・芸林21世紀文庫)所収。(清水哲男)

例句 作者

十二月八日の霜の屋根幾万 加藤楸邨
十二月八日日記に晴とのみ さくたやすい
十二月八日微塵の蝶の翅 安藤幸子
十二月八日の夜を早寝せり 天野初枝
十二月八日沖見てゐる一人 宮城白路

大雪となりて果てたる楽屋口 安藤鶴夫

2019-12-07 | 今日の季語


大雪となりて果てたる楽屋口 安藤鶴夫

寄席が始まる頃から、すでに雪は降っていたのだろう。番組が進んで最後のトリが終わる頃には、すっかり大雪になってしまった。楽屋に詰めていた鶴夫は、帰ろうとした楽屋口で雪に驚いているのだ。出演者たちは出番が終われば、それぞれすぐに楽屋を出て帰って行く。いっぽう木戸口から帰りを急ぐ客たちも、大雪になってしまったことに慌てながら散って行く。その表の様子には一切ふれていないにもかかわらず、句の裏にはその様子もはっきり見えている。今はなき人形町末広か、新宿末広亭あたりだろうか。いずれにせよ東京にある寄席での大雪である。東京では10cmも降れば大雪。これから贔屓の落語家と、近所の居酒屋へ雪見酒としゃれこもうとしているのかもしれない。からっぽになった客席も楽屋も、冷えこんできて寂しさがいや増す。寄席では、雪の日は高座に雪の噺がかかったりする。雪を舞台にした落語には「鰍沢」「夢金」「除夜の雪」「雪てん」……などがあるが、多くはない。癖の強かった「アンツル」こと安藤鶴夫の業績はすばらしかったけれど、敵も少なくなかったことで知られる。多くの演芸評論だけでなく、小説『巷談本牧亭』で直木賞を受賞した。久保田万太郎に師事した。ほ【大雪】 たいせつ
二十四節気の一つ。立冬の30日後、小雪の15日後で、陽暦では12月7、8日頃に当たる。この頃になると、いよいよ寒さも本格化し南国からも霜の便りが届く。

例句 作者

大雪の鵯聞いてゐる墓の虚子 対馬ひさし
大雪や暦に記す覚え書き 椎橋清翠
大雪や棕梠葉鋭くひろがりて 柴園芳衛
かに「とどのつまりは電車に乗って日短か」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

大仏の屋根を残して時雨けり 諸九尼

2019-12-06 | 今日の季語


大仏の屋根を残して時雨けり 諸九尼

俳句を始めて新たに知ったことは多い。十三夜がいわゆる十五夜の二日前でなく、一月遅れの月であることなどが典型だが、さまざまな忌日、行事の他にも、囀(さえずり)と小鳥の違いなど挙げればきりがない。「時雨」もそのうちのひとつ、冷たくしとしと降る冬の雨だと漠然と思っていた。実際は、初冬にさっと降っては上がる雨のことをいい、春や晩秋の通り雨は「春時雨」「秋時雨」といって区別している。「すぐる」から「しぐれ」となったという説もあり、京都のような盆地の時雨が、いわゆる時雨らしい時雨なのだと聞く。本田あふひに〈しぐるゝや灯待たるゝ能舞臺〉という句があるが、「灯(あかり)待たるゝ」に、少し冷えながらもさほど降りこめられることはないとわかっている夕時雨の趣が感じられる。掲句の時雨はさらに明るい。東大寺の大仏殿と思われるのでやはり盆地、時雨の空を仰ぐと雲が真上だけ少し黒い雨雲、でも大仏殿の屋根はうすうすと光って、濡れているようには思えないなあ、と見るうち時雨は通り過ぎてしまう。さらりと詠まれていて、句だけ見ると、昨日の句会でまわってきた一句です、と言っても通りそうだが、作者の諸九尼(しょきゅうに)は一七一四年、福岡の庄屋の五女として生まれている。近隣に嫁ぐが、一七四三年、浮風という俳諧師を追って欠落、以来、京や難波で共に宗匠として俳諧に専念し、浮風の死後すぐ尼になったという、その時諸九、四十九歳。〈夕がほや一日の息ふつとつく〉〈一雫こぼして延びる木の芽かな〉〈けふの月目のおとろへを忘れけり〉〈鶏頭や老ても紅はうすからず〉繊細さと太さをあわせもつ句は今も腐らない。『諸九尼句集』(1786)所

【時雨】 しぐれ
◇「朝時雨」 ◇「夕時雨」 ◇「小夜時雨」 ◇「村時雨」 ◇「北時雨」 ◇「横時雨」 ◇「片時雨」 ◇「時雨雲」
時雨とは本来、急に雨がぱらぱらと少時間降ることであり、降る範囲も狭い。日差しの当たっているところと雨の降っているところが同時に見えるほどである。山際を雨足が動いていく眺めを「山めぐり」とも言う。いずれにしろ、初冬に見られる季節現象である。とりわけ時雨に相応しい京都では、昔から詩歌の題材として、愛着を持って詠まれつづけてきた。「北山時雨」などという美しい言葉もある。「しぐるる」と動詞にも活用する。

例句 作者

小夜時雨ほとけに履かす足袋買ひに 梶山千鶴子
蕪村忌の毛馬の夕闇しぐれかな 村井美意子
天地の間にほろと時雨かな 高浜虚子
南部見て北都に泊つるしぐれかな 千田百里
かき消ゆるまでにしぐるる人と海 跡部祐三郎
うつくしきあぎととあへり能登時雨 飴山 實
洞あればかくれ鬼の木しぐれけり 岩城久治
肥前しぐれて光体となる壺の群 佐川広治
水にまだあをぞらのこるしぐれかな 久保田万太郎
しぐるるやほのほあげぬは火といはず 片山由美子

冬晴れへ手を出し足も七十歳 坪内稔典

2019-12-05 | 今日の季語


冬晴れへ手を出し足も七十歳 坪内稔典

冬晴れへ足と手を出して、ああ、自分も七十歳なのだなぁ。と感慨を込めて空を見上げる情景とともに、この「手を出し足も」が曲者だと思う。「手も足も出ない」となると。まったく施す手段がなくなって窮地に陥るという意味だが、この言葉を逆手にとって、手も足も出すのだから、なに、七十歳がどうした、これからさ、という気概が感じられる。また「手を出し」でいったん休止を入れて「足も」と音だけで聞くと、伊予弁の「あしも」と重なり。早世した子規と作者が「あしも七十歳ぞ」と唱和しているようだ。「霰散るキリンが卵産む寸前」「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」言葉の楽しさ満載の句集である。『ヤツとオレ』(2015)所収。(三宅やよい)

【冬晴れ】 ふゆばれ
◇「冬日和」 ◇「冬晴るる」
冬の冴えわたった晴天。語感は、その晴れようの鋭さ、厳しさを伝える。冬晴れの下でのくっきりとした物象のたたずまいには印象鮮明なものがある。

例句 作者

寒晴や句会なき日は一老人 大牧 広
切通し抜けて田に出る冬日和 藤田あけ烏
冬晴れや朝かと思ふ昼寝ざめ 日野草城
天照るや梅に椿に冬日和 鬼貫
冬晴れて那須野は雲の湧くところ 渡辺水巴
冬晴れの水音鋭がり来る日暮 岸田稚魚
鉄橋に水ゆたかなる冬日和 飯田蛇笏
寒晴や安全ピンといふ不安 千田百里

冬川や朽ちて渡さぬ橋長し 寺田寅彦

2019-12-04 | 今日の季語


冬川や朽ちて渡さぬ橋長し 寺田寅彦

辺境の川にかかる橋は別として、車輛が頻繁に通るような橋は、今どきは耐震性も見かけもずいぶん立派なものになってきている。ここで詠まれている橋は木橋か土橋か、いずれにせよ老朽化してしまって、人が渡ることが禁じられている橋であろう。冬であれば、人が通らない橋は一段と寒々しく眺められ、渡れないということで実際以上に長い橋のように感じられるのだ。おそらく、その川は郊外を流れているのであろう。川はいつもより水かさが増して、白々と流れているかのように想像される。だからなおさらのこと、橋の老朽化が強く印象づけられ、いっそう長いものに感じられるのであろう。寒さのなかにも、古き良き時代の風景を感じさせてくれる句である。俳人としてもよく知られている寅彦は、二十歳の頃に俳句を見てもらうために夏目漱石を訪ね、いくつかの俳句が「ホトトギス」に掲載された。漱石には「谷深み杉を流すや冬の川」がある。『俳句と地球物理』(1997)所収。(八木忠栄)

【冬の川】 ふゆのかわ(・・カハ)
◇「冬川」 ◇「冬川原」
冬の川と言えば、水嵩が少なく、流れも細く、或いは所々途切れたりして細々と流れている姿が思い浮かぶ。川の中の洲や川原石も目立つが、季語としては流れに視点が置かれている。荒涼たる景色ではあっても、流れる水を見るとほっとする思いもある。

例句 作者

家の裏ばかり流れて冬の川 細見綾子
仰向けに冬川流れ無一物 成田千空
沿ひ行けば夜の雲うつる冬の川 山口誓子
冬の河浅みの澄みのけふも暮る 松村蒼石
冬川の末はひかりとなりにけり 谷野予志
冬川鳴るただ冬川の鳴るばかり 菅原鬨也
流れ来るもの一つなき冬の川 五十嵐播水
冬川のひびきを背に夜の伽 石原八束
冬河に新聞全紙浸かり浮く 山口誓子
冬川に出て何を見る人の妻 飯田蛇笏

おでん煮る玉子の数と頭数 奥村せいち

2019-12-03 | 今日の季語


おでん煮る玉子の数と頭数 奥村せいち

季語は「おでん」で冬。「煮込み田楽」の略称(って、ご存知でしたか)。昔の関西では「関東だき」と言っていたけれど、いまではどうだろうか。句意は明瞭。どこの家庭でも、おでんの大きな具は人数分だけ煮る。当たり前と言えば当たり前だ。が、ここに着眼して詠んだ作者の気持ちには、この当たり前を通じて、庶民の暮らしのつつましさ全体を表現したいという意図がある。おそらくは、かつての食糧難時代を経験された方だろう。いまでこそ食べようと思えばいくつでも食べられる玉子だが、当時はとても高価で、なかなか口に入らなかった。現在「頭数」分だけ煮るのは、むろん食糧難を思い出してのことではないけれど、しかしどこかに過剰な贅沢に対する躊躇の意識があって、そうしていると言えなくもない。食糧難の記憶は、体験者個々人のそれを越えて、社会的なそれとして残存しているような気がする。だからまず現在の家計にはほとんど影響しない玉子でも、依然として一人一個ずつなのではなかろうか。作者のような目で生活を見つめてみると、他にも同じようなことが発見できそうだ。個人が忘れ去ったこと、あるいは体験しなかったことでも、社会が代々受け継いで覚えているという証が……。掲句に、そういうことを考えさせられた。俳誌「航標」(2004年12月号・「今年の秀句五句選」欄)所載。(清水哲男)

【おでん】
◇「関東煮」(かんとうだき) ◇「おでん酒」
煮込み田楽を語源とする料理。田楽はもともと焼豆腐に味噌をつけて焼いたもの。豆腐の代りに蒟蒻が用いられ、焼く代りに煮込んだのが初まり。食材もはんぺん、大根、竹輪、卵と多種。
例句 作者
面倒なことに相成るおでんかな 中村わさび
人情のほろびしおでん煮えにけり 久保田万太郎
おでんの灯文学祭は夜となりぬ 山口青邨
おでん酒あしもとの闇濃かりけり 久米三汀
おでん酒わが家に戻り難きかな 村山古郷
おでん酒夫の多弁を目で封じ 斎藤佳織
おでん屋に同じ淋しさ同じ唄 岡本 眸
煮えたぎるおでん誤診にあらざるや 森 総彦
俄か寒おでん煮えつつゆるびけり 水原秋櫻子
すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ 佐野まもる


遠い木が見えてくる夕十二月   能村登四郎

2019-12-01 | 今日の季語


遠い木が見えてくる夕十二月   能村登四郎

散るべき葉がことごとく散ってしまうと、今までは見えなかった遠くの木も見えてきて、風景が一変する。この季節の夕刻は大気も澄んでくるので、なおさらである。そろそろ歳末のあわただしい気分になろうかというころ、作者は束の間の静かな夕景に心を休めている。さりげない表現だが、【十二月】 じゅうにがつ(ジフニグワツ)

概ね仲冬に相当するが、1年の締めくくりの月でもあり、初旬・中旬・下旬と次第に年の瀬の雰囲気も色濃く加わる。寒さも日増しに深まる印象がある。
例句 作者

人も車も片割れ月も十二月 清水基吉
十二月八日微塵の蝶の翅 安藤幸子
さまざまの赤き実のある十二月 森 澄雄
うしろから大きい何か十二月 山崎 聰
十二月八日日記に晴とのみ さくたやすい
なき母を知る人来り十二月 長谷川かな女
十二月八日沖見てゐる一人 宮城白路
浚渫船杭つかみ出す十二月 秋元不死男
山国へ退りし山や十二月 伊藤通明
炉ほとりの甕に澄む日や十二月 飯田蛇笏
十二月を静的にとらえた名句のひとつだろう。『有為の山』所収。(清水哲男)