前回の記事で貞観地震と近似している点を書きました。
関連して南海トラフ地震については、もう少し書いておきたいと思ったので記事にしました。
南海トラフ地震に関しても前回に記事で書きました通り、その発生は「わかりません」。
以前の記事でも書きましたが、前回の東南海地震が1944年、南海地震が1946年なので、まだ40年と少々した経ていません。
では貞観地震の前はどうだったのか?と言うと、こんな感じです。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
715年6月30日・7月1日(7月4・5日)(和銅8年5月25日・26日) 遠江国地震 - M 6.5〜7.5、三河国・ 遠江国(静岡・愛知)で地震。正倉47棟が倒壊。天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)。
734年5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 畿内七道地震 - M 7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊する。
745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M 7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県〜岐阜県を南北に走る養老断層の2つ前の活動とする説がある(1586年天正地震と1596年9月の慶長3地震の)。
762年6月5日(6月9日)(天平宝字6年5月9日) 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M 7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM 7 3⁄4〜8 1⁄4と同じものである可能性がある[36]。
797年(延暦16年)8月14日、南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている[37]。 (800年6月に富士山が噴火)
(中略)
1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 - M 6.3、死者20人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
引用終了
つまり貞観地震の前は797年が最後であり、880年の出雲地震より83年ほど前です。
とすると現在は未だ昭和の南海トラフ地震からまだ72年程ですから、もう少し後かも知れないかとも考えられますが、多少は前後するかも知れないのと、地殻やプレートの動きそのものの速さや方向、他様々な状況が当時とは違っている事もあるかも知れず、「わからない」としか言えません。
上記の引用によれば、745年の天平地震、或いは762年の美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)での地震が880年から118年~135年前であるのに対し、1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震から現在までは約125年である事から、類似している点が一部あるとは思えます。
また明治時代は1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 から鳥取県や島根県での大地震は発生せずに濃尾地震が発生しています。
このように単純には比較できないので、「わからない」としか言えません。
関連して南海トラフ地震については、もう少し書いておきたいと思ったので記事にしました。
南海トラフ地震に関しても前回に記事で書きました通り、その発生は「わかりません」。
以前の記事でも書きましたが、前回の東南海地震が1944年、南海地震が1946年なので、まだ40年と少々した経ていません。
では貞観地震の前はどうだったのか?と言うと、こんな感じです。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
715年6月30日・7月1日(7月4・5日)(和銅8年5月25日・26日) 遠江国地震 - M 6.5〜7.5、三河国・ 遠江国(静岡・愛知)で地震。正倉47棟が倒壊。天竜川が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水(『続日本紀』)。
734年5月14日(5月18日)(天平6年4月7日) 畿内七道地震 - M 7、死者多数(『続日本紀』)。生駒断層直下型。誉田山古墳一部崩壊する。
745年6月1日(6月5日)(天平17年4月27日) 天平地震 - M 7.9。岐阜県美濃地方で地震。天皇平城京に復都(『続日本紀』)。愛知県〜岐阜県を南北に走る養老断層の2つ前の活動とする説がある(1586年天正地震と1596年9月の慶長3地震の)。
762年6月5日(6月9日)(天平宝字6年5月9日) 美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)で地震(『続日本紀』) - M 7以上。糸魚川静岡構造線活断層系で発生したM 7 3⁄4〜8 1⁄4と同じものである可能性がある[36]。
797年(延暦16年)8月14日、南海トラフ地震があった可能性が保立道久により指摘されている[37]。 (800年6月に富士山が噴火)
(中略)
1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 - M 6.3、死者20人。
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
引用終了
つまり貞観地震の前は797年が最後であり、880年の出雲地震より83年ほど前です。
とすると現在は未だ昭和の南海トラフ地震からまだ72年程ですから、もう少し後かも知れないかとも考えられますが、多少は前後するかも知れないのと、地殻やプレートの動きそのものの速さや方向、他様々な状況が当時とは違っている事もあるかも知れず、「わからない」としか言えません。
上記の引用によれば、745年の天平地震、或いは762年の美濃・飛騨・信濃(岐阜・長野)での地震が880年から118年~135年前であるのに対し、1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震から現在までは約125年である事から、類似している点が一部あるとは思えます。
また明治時代は1889年(明治22年)7月28日 熊本地震 から鳥取県や島根県での大地震は発生せずに濃尾地震が発生しています。
このように単純には比較できないので、「わからない」としか言えません。