快気分析

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仕組みとアプローチ -  家康と天海による江戸の防御システムから見える土岐一族

2020-10-06 17:39:10 | 明智光秀
 天海が明智光秀の意思を継いだ者だったのかどうかと言うの今だ定かではありません。
 ただ家康と天海が構想した江戸の防御システムと言うのは、万木城(万喜城)を含む各軍事拠点を見ればそれは明らかだと思っています。
 では単刀直入に書きましょう。
 天海がかつて喜多院の住持と江戸崎不動院の住持を兼ねていた時期が有りますが、この両者は多少はズレがありますがほぼ同じ緯度になります。
 そして喜多院(埼玉県川越市)のほぼ真北には日光東照宮や男体山、華厳の滝が有ります。
 では江戸崎不動院のほぼ真北には何が有るのでしょうか? それは茨城県にやはり男体山が有るのです。
 そして何故か観光スポットの袋田の滝があたかも華厳の滝に相当するように存在しています。
 更に江戸崎不動院のほぼ南には家康が構築した東金御殿(増上寺のほぼ東)が有り、そのほぼ南に万木城(万喜城)が有るのです。
 そして更に驚くべき事は万木城(万喜城)のほぼ真西には藤沢御殿が有り、これは近年発掘がされ始めています。
 その藤沢御殿のほぼ真北が喜多院(埼玉県川越市)になります。
 また万木城(万喜城)と江戸城か増上寺あたりのほぼ中間には市原市不入斗にある明智重五郎の名の有る墓が存在するのです。
 ならば江戸崎不動院と藤沢御殿の間には何が有るのか?となると実は拠点となるものが有るのです。それは船橋御殿。
 家康と天海は江戸を守る為に様々な軍事拠点を構築していたと考えていたと思っています。
 そして難攻不落と言われてた万木城(万喜城)もまたその防御システムの一角として江戸の防御システムとして設計に取入れられていたものと考えています。
 万木城(万喜城)は土岐一族である上総土岐氏の居城でしたが、家康と天海がこの城を重視したのはやはり「家康-天海-明智光秀らの土岐一族」の連携の痕跡が見られる証拠であると個人的には考えています。

仕組みとアプローチ -  土岐一族と明智光秀、そして天海関連の観光スポット そして安全に使える「Go To トラベル」キャンペーン

2020-10-06 08:30:50 | 明智光秀
 「Go To トラベル」キャンペーンですが、有名な観光スポットは混んでいて、あまり有名でない所は比較的人が少ない所も結構有るようです。
 しかしあまり有名でないからと言って観光価値が少ないとは限らず、個人の価値観にもよりますが、かなり訪れて見たりインスタ映えなどで価値が高い場所も結構有ると思っているのでその例でも挙げてみましょうか。
 これまで明智光秀関連でかなり記事にして来ましたので、明智光秀、土岐一族、そして関連性についての見方は様々なようですが個人的には関連性有りとみている天海、そして家康と徳川幕府関連で何か良い観光スポットでも無いかとなると、例えば以前に記事で書いた上総土岐氏の居城である万木城(万喜城)が有ります。
 ここには斎藤道三に追放された土岐頼芸が一時身を寄せた事は史実のようですが、更の個人的にはここに明智光秀の妻子ら、もしかしたら光秀自身も生き延びて匿われていた可能性もゼロではないと考えています。
 ここから近くには出城である亀ケ城、鶴ケ城の城跡があるのですが、現在は藪や私有地になっていて入れるかどうかはわかりません。(詳細はわかりません)。
 ただこのあたりが少なくとも上総土岐氏の所領であった事は確かであり、近くには来年予定されている東京オリンピックのサーフィン会場である釣ケ崎海岸が有り、このあたりの海岸を散策するだけでも一見の価値が有ると思えます。
 実はこの釣ケ崎海岸の南隣にはこのサーフィン会場などの海が一望できる見晴らしの良い高台が有るのですが、この高台の名前はネットでの地図で見ても何故か書かれていないのが不思議です。
 「釣ケ崎海岸」とか「太東漁港」でネットの画像検索をすると南側に隣接した高台が見える画像が有るのでわかります。
 あまり有名でない観光スポットなら人混みになりにくいので感染リスクも少なく、そして車で往復すればやはり感染リスクはより少なくなると思うのでお勧めです。
 「Go To トラベル」キャンペーンで浮いたお金は高速代か燃料代、レンタカー代などに充当できるわけですが、比較的道路も空いている日が多いので一般道を使う割合を多くしてもそう負担にはならない事も多いかとも思えます。
 実はこのエリアが天海とも関連していると思っているのですが、それは気が向けば今後の記事にするかも知れません。