快気分析

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仕組みとアプローチ -  6月1日の茶会の後、信長が外出していない事はどうしてわかったのか

2020-10-21 18:14:03 | 明智光秀
 本能寺の変で信長を襲撃した部隊ですが、明らかに本物の信長が本能寺にまだいると言う事がわかっていたから実行できた事は間違いありません。
 仮に信長が本能寺におらず、襲撃が空振りに終わってしまったら襲撃する側にとって大変な事になるからです。
 では「信長が本能寺にいて絶対に外出していない」、と言う事はどうやって把握していたのでしょうか。
 仮に何か所の建物などから監視していても全てを把握はできないはずで、信長が仮に危険を嗅ぎ取って脱出を試みたら、とても外部からの監視では無理なのかと思えます。
 そうすると考えられるのは「影武者ではない本物の信長が本能寺にいる事を本能寺の内部にいて確認していた者がいたはず」と言う事になるのでしょうか。
 当日、本能寺にいたのは博多商人の島井宗室と神屋宗湛、そして将棋指し、更に食事用意などの関係の女性ら、更に森蘭丸や弥助など信長の側近ら、そして僅かな守備兵だけでした。
 この中に信長の存在を何らかの手段で外部に伝えていた者がいた可能性は高いのかも知れません。

仕組みとアプローチ -  明智光秀は敗死した主君に二度も仕えていた それが意味する事

2020-10-21 08:30:34 | 明智光秀
 明智光秀なんですが、敗死した主君に二度も仕えていたのが史実のようです。
 最初は斎藤道三、次に朝倉義景。
 しかしいずれも主君を守る為に戦死したわけでもなく生き残り、そして次の新しい主君、最終的には織田信長に認められて出世しています。
 これが何を意味するのか?ですが、その一つは「主君が敗死しても巻き添えにならずに生き残り、そして再度出世するノウハウが有るのだろう」と当時の武将らに一目置かれ、それで明智光秀の配下となる武将が増えたケースも有るのか、とも思えます。
 当時は戦国時代。
 「主君や寄親がいつ敗死するかわからない可能性」と言うのは当時の諸武将にも有ったわけで、それならば「仮に主君や寄親が敗死した後にもどれだけ自分が生き残れ、そして再度活躍できるのか」、と言う事が当時の諸武将の間では大きなテーマだったのではないでしょうか。
 何だか「今で言うなら倒産企業から転職した者でもチャンスは有る」、と言う希望を求める当時の人達が明智光秀の配下で「失敗経験から得られた貴重なノウハウをもとに力を発揮していた」ように思えます。
 最近、よく大企業などで「失敗経験こそが大事であり、失敗を恐れるな、失敗を恐れずにトライする人を高評価する」とかの評価基準が有るようですが、本当に貴重な失敗経験なんて「倒産に至らないようなオママゴトの失敗パフォーマンス程度では得られないものである事が多い」のではないしょうか?
 本当に会社を倒産させてしまったような失敗経験こそが貴重なノウハウなのである、と言うケースは少なくないように思えます。