快気分析

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仕組みとアプローチ -  高山右近が独自の判断で明智光秀を裏切ったと言う事は考えられない

2020-11-03 10:24:50 | 明智光秀
 明智光秀が大敗した山崎の戦いでは、高山右近が裏切ったと言う見方が多いようです。
 根拠として、高山右近の家臣や親族がこの戦いの前に明智方の使いにはあたかも明智方へ与するような事を言っておきながら、急変して大山崎の街を占拠し、そして東黒門を無防備に叩いた明智勢を突然急襲したと言う事が有ったから、と言うのがその理由のようです。
 この点については以前の記事で既に書きましたが、高山右近が単独で判断する事などは考えられず、必ずイエズス会の指令が有ったと考えています。
 何故か?と言うと、仮にイエズス会が明智方に与するように指示していたのを、高山右近が命令を聞かずに勝手に秀吉方に寝返ったと言うのは考えられないからです。
 もう一つ、仮に高山右近が勝手に秀吉方に寝返ったとしたら、それはキリシタンの京極マリアが母である京極高次(洗礼を受ける予定だったのが父が洗礼を受けた直後数日に突然死したので洗礼を見合わせていただけで1601年~1603年に間には洗礼を受けてたのでした)をも裏切る、つまり2重の裏切りになるからです。
 山崎の戦いでは京極高次は明智方に与していたからです。
 イエズス会が仮に高山右近にも京極高次にも明智方に与するように指示していたのなら、高山右近は秀吉方に与すると言う事は、イエズス会に対して、そして京極高次に対しても裏切り行為をする事になるわけです。
 こんな事を高山右近がする事など有り得ないと思いませんか? 普通は考えられません。
 つまりは「イエズス会が高山右近には秀吉方へ秘密裏に与するように指示し、そして更にその目くらましの為に京極高次には明智方に与しながらも危険な山崎の戦いには行かせないようにした」、のではないでしょうか。
 なので「高山右近の裏切り」と言うよりは「イエズス会が明智光秀に示していた明智方へ加勢のニュアンスとは反対の事を高山右近には指示していた」、と言う所かと考えています。
 尚、中川清秀は秀吉との内誓紙が有った事、高山右近の近縁であった事から秀吉方に与したのはごく自然な事だと思われます。
 また中川清秀の茨木城は高山右近の高槻城よりも更に西に有り、秀吉勢の進軍コースから見ても秀吉方に与するようにしないと中川清秀自身が危険になってしまいます。明智勢は茨木城付近にまで援軍を送ってません。
 ところでこの点を考えると、中川清秀の近縁の高山右近が秀吉方に寝返る可能性が高いと言う事を明智光秀は何故わからなかったのでしょうか?
 実は明智光秀はもしかして薄々わかっていながら、当時の状況では味方の軍勢へはとてもそれを口にできなかったのかも知れません。
 真相はどうだったのでしょう。


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