快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで負けていなければどうなっていたのか

2018-11-11 20:01:09 | 明智光秀
 山崎の戦いで明智光秀らの明智軍は大敗しました。
 以前の記事で書いた水野監物守隆ですが、明智光秀に当初同行し、その後も明智方の与力として準備していた最中に明智光秀が討たれ、後に秀吉政権となった歴史から水野監物守隆は「当代記」にも有る通り、歴史的に抹殺される方向となったようです。
 山崎の戦い時点ではそれだけ反信長の風潮も強かったようなので「明智方に与するのも当然」と言うのがこの当時の世相だったようなのですが、その「自然の流れ」を超越した「秀吉らの工作活動」に明智方は大敗した、と言うのがどうも当時の状況のようです。
 では仮にですが山崎の戦いで明智軍側が勝利、或いは同格で睨みあい程度になっていたらどうなっていたか?
 勝利していなくて同格で睨み合いだった場合でも、少なくとも北条征伐は無かったわけで、そうすると明智光秀は北条氏を後ろ盾に勢力拡大、家康の徳川軍も北条征伐前までは北条方ですからこれに与して東日本制圧。
 明智、徳川、北条連合勢は織田信雄か織田信孝のどちらかを奉じて秀吉の率いる毛利、宇喜多らの勢力と国内二分の対立構造となっていたかも知れません。


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