クレヨンと色鉛筆、鉛筆使用。
この作品は、小品で、14cm×18cmという大きさ。
小さいサイズの作品は、牧歌的なものが出来ることが多い。
実物の色はもう少し明るいのですが、
写真の撮り方のせいでうまくいっていません。
街並みとすれば、人は巨人の大きさ。
時は夕暮れ。
武内は、他の絵でも「夕暮れ」というタイトルを付けることが多い。
思い入れがあるのだと思います。
郷愁に近いものかもしれない。
わたしも子供の頃は、夕暮れ時になると、
家々から夕食の匂いがして、外で遊ぶのをやめ、帰途についた。
「ああ、今日一日が終わる」と思い、
安心感や、一抹の寂しさや、充実感が混ざり合う一時。
そんな子供の頃の夕暮れを思します。
「カラスが鳴くから、帰ろう」と皆で歌いだしたりして、
家に帰るのです。
カラスが鳴かなくても歌い、
その歌を歌うことが、帰る合図だった。
教えられてもいないのに、そうであったのが不思議。
この積み木みたいな街並みの絵のせいか、
この絵を見ていると子供の頃の夕暮れを思い出しました。
昨日、ヒロク二さんから相談を持ちかけられました。
木のパネルに絵を貼ってみたいのだけど、
その木をどこで買ったらいいかと。
わたしは木に絵を貼り付けてしまうというのは、あまり賛成じゃない。
重くなるし、整理しにくくなるから。
額装する時にも問題が起こりやすい。
それでも、話しを聞いていました。
最初から、「ろくな考えじゃない!」と言うのは可哀想なので。
買うのは、「1枚パネル板を買って自分で切って持って帰るところ」か、
「ホームセンターで頃合いの木を買って、工房で自分で切る」か、
「1枚買って、それを切ってくれる所で買う」か、と返事をしました。
何故、急にそんなことを言い出したかというと、問い詰めると、
知っている小さな美術館、ビルの一角にあるところで、
作品を展示したいから、だそうで、
額装をする替わりの工夫として考えついたらしい。
もう、ヒロク二さんの頭の中では決まっているみたいなのですが、
そこの担当の方がいいともなんとも言っていないのに、
考えを固めていっているようなのです。
「そこで、サンプルを1つ作ってみたら?」と提案した。
「そのサンプルを見てもらってから、話を進めたら」と、また提案。
「なるほど」と言っているのですが、
もう、その板を用意するのは、話をしたわたしの役目に決まっているようで、
“ホームセンターで頃合いの木を買って、思うサイズに工房で自分で切るのはわたしの仕事”らしい。
ちょっとムッときたわたしは、
「何で、電動ノコギリを使うのはわたしなの?」
「それって、男の仕事じゃないの?」と。
以前、色鉛筆画用のパネルを作った時も、パネルを支える木の棒の角を45°に切るのは、
わたしの役目になり、正確に切れないので組み合わせるのが切ったものにしか分らないようになり、
その木切れとパネル面に貼る作業は全部わたしがすることになった。
ヒロク二さんは見ているだけで、絵をパネルを合わせて「サイズよし!」と言うだけ。
わたしは、釘を口でくわえて黙々と作業していました。
少なく見積もって、20枚以上はあったと思う。
20×4本の棒切れの左右に角度45°ということは、80箇所も角があるということ。
その後、夕食のご飯の支度もした。
よく、ヒロク二さんは、女は男はという言葉を使うので、わざと男の仕事といったのです。
ついでに「言葉はいいから、行動したら」も付け足しておいた。
(これは、わたしの中では、よく思い付く言葉)
誘導尋問でなく、行動を誘導しようとしているのに抗ってみたわけです。
単純にまとめて、こうやって書いていると分り易いと思うのですが、
話の仕方も話題から遠いところから始まり、
横道にそれたりしながら話すから、話を聞くのに忍耐がいる。
耐え難いせいか、ヒロク二さんの顔と反対の方向に貼ってある、
カレンダーをじっとみつめて固まっている時があります。
注意されるまで、カレンダーに目はくぎつけ。
「何でそっちを向いているんだ」と急に言われる時がある。
話を進めるには、順序があると思うのですが、
芸術家だからなのか、すっとばしてその会場のことを考え、
人との相談は勝手に決まったことになって、
そして、額装するのは高くつくから、
なんとか安く展示できる方法はないかという方向に行くみたい。
で、最後に「額装する金銭」に集中してしまうらしい。
そこに集中させないように、相談してみないとと持ちかけているわけです。
「とりあえず、サンプルを1つ作ろうね」と、考えを先に行かせないようにしているのですが、
じわり、じわりとそっち、即ち自分の考えの方に暴走していきます。
なんとか、その担当の方に一度会って、
話をしてみるのというクッションを認識してもらおうと。
道のりが抜けている箇所をね。
ヒロク二さんの言うようにしていたら、ボロボロな会場になりそうで、怖い。
それで、また「針金で展示を・・」と聞くと、よからぬことを考えているような予感が・・・。
アトリエで、ネジ釘の頭に針金が何十にも巻きつけられて、
外からその針金がビョ~ンとはみ出している様子を思い浮かべてしまい
気持ちがずしんと重くなるのでした。
たぶん抽象的な思考が得意なのだと思う。
しかし、もう少し分り易く話して欲しいと切に願っています。
話は変わりますが、白状すると、わたしは電動ノコギリ使えます。
使えるのがくやしい!
ヒロク二さんにしてやられたりという感じもあるのであった。
こんな話の中でも1つ感心したことがあります。
今年で85歳になるのですが、あと個展を2箇所したい場所があることや、
その小さな美術館に話を持っていきたいと思っているのがよく分りました。
普通、85歳にもなれば何もしない人もいますが、
やってみよう!という気持ちが早っているのだと思うと嬉しい。
人によるかもしれませんが、
画家の妻って、あまり優雅じゃないでしょ。
もう、梱包とか荷物運びとかそんなのばかりです。
釘打ちとか。
やっと春めいてきました。
梅の花がやっと。
↑毎年、3月3日には満開なのですが、まだつぼみがあります。
今年は、寒かったのだなと。
↑庭では、灯かりがついたみたいな感じ。
↑水仙のつぼみ。
黄色い水仙です。
↑昨年植えたチューリップの掘り起こしたものを鉢に。
その他にムスカリ、ヒヤシンスの小さいの、ミニチューリップです。
今年は、芽が出るのが、なにもかも遅い。
それでも季節は巡る。
植物に人が癒されたら、その植物も癒されるそうです。
そうだとしたら、とても嬉しいなぁ。
↑最後に、我家のピーちゃん。
こうやって、顎の下をなでられるのが本当に好きらしい。
ヒロク二さんにも「女の子なのに、目が怖いときないかぇ」とか言われています。
よその人が来たら、恥ずかしいくらい慌ててすっこみますが、
私達だけの時は、暴れまわったり、
目が丸くなっていると思ったら隠れているフリしたりして、出てきて脅かします。
抱っこも大きい声で「ナォ~~ン」とねばい鳴き声で要求するし、
「ピーちゃん、存在の大きい猫になっちゃって」といいながら、抱っこします。
すごいゴロゴロの音で、嬉しいのがよく分ります。
イメージが変わってきた今日この頃。