武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

夜の街角(作品紹介712)と “さびしさ”はどこから?

2022-12-14 16:21:52 | Weblog

赤と青の対比が強烈な作品です。

「ああ、街だ。」と、わたしは即座につぶやく。

人、建物、その間を縫うようにある暗がり。

人はだまし絵のように、組み込まれている。

また、路地を思わせる交差した青色の線。

そして、黄色の灯かり。

建物にあるひしめく窓。

やはり、ネオンを感じさせる色合いで、都会を思わせる。

2003年作となっているので、もう19年前に描いたものだ。

月日が流れるのが早いと感じる今日この頃。

作品を見ても、同じことを思います。

 

今日の朝は、若山牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」で始まりました。

ヒロクニさんは、この句を3度繰り返して、言った。

“寂しさ”の部分が、頭に残り、ヒロクニさんらしいと思った。

「よく覚えているねぇ~。」と言うと、

「中学で習ったからね。」と。

(あまり中学校へは行かなかったと聞いているが、文章は好きだったのかもしれません。)

ヒロクニさんは、やたら「さびしい」という言葉を言う人で、

秋になると「ああ、さびしい。」を連発し、

風が冷たくなるのを感じても、「さびしい。」とよく言います。

よく例で上げられる、木の葉が散っても“さびしいねぇ”を地でいきます。

ひらがなで“さびしい”と書きましたが、

ヒロクニさんのさびしいは、「寂しい」「淋しい」とどちらになのか?

また、ニュアンスの似たものでは、「侘しい」という感じもするのです。

わたしの中で有名な武内の言葉は、『淋しいと何するかわからん』というもの。

寂しさのあまり、何をしでかすか分らないという意味。

この言葉のせいか、あまり淋しい思いをさせると碌な事をしないのだろうと思いこみ、

内心ハラハラするわたしです。

そのせいか、“さびしい”と言っているのを聞くと、同調するのではなく、

“碌な事をしない”に怯え、行動を見張ったりしている。

警戒態勢に入る。

そうでない時は、

「“さびしい”って言うけれど、そのさびしさはどんなもので、

 自分の心の中のどんなところからくるのかな?それ、考えたことがある?」と、聞きます。

「そんなこと考えたことがない。」という返事。

以下会話

わたし  「それは、何か自分の中に在るわけだから、それを知らないと“さびしさに支配されている”だけじゃない?」

ヒロクニさん「そんなふうに思ったことがない。」

わたし   「まあ、人は平家物語じゃないけど、『諸行無常の鐘がなり』って、

       無常感というものを持っているらしいけど、

       そういう“さびしさ“に近い?」

ヒロクニさん「よくわからん。夕方に思いは強く抱くことが多いけど。」

わたし   「人は、人類は滅亡するって思い込みもするでしょ。

       子供の教室でも、人類滅亡の図を描いた6年生がいたくらいよ。

       やはり、永遠がなく、滅びるということに傾きやすい傾向が人にはあるって。」

ヒロクニさん「人類は、滅亡するの?」

わたし   「太陽が消滅したら、終わりじゃない?」

ヒロクニさん「俺、今すごく胸がドキドキした。そしたら、どうするの?」

わたし   「そんな時まで生きてないから、考えたことがないわ。」

      「そういえば、恩師のO氏が『祇園精舎の金がなるの鐘が、俺に鳴ったんよ。』って、

       顔面蒼白で言われた時、

       わたしどう言えばいいのか、言葉が見つからなくて、困ったことがあったわ。

       思いこんでいるようで、何を言っても今はダメだと思ったことある。

       思い込みはいけないと思わない?

       人は悪い方には、強烈に思いこむ癖があると思う。

       あなたも。否定の感情の方が人の心には食い込み易いのよ。

       安心という事の方が、人の心にとっては難しいと思わない?」

ヒロクニさん「いやぁ、太陽がなくなることの方が気になるなぁ~。」

わたし   「科学が発達して、月に移住とかするから大丈夫よ。知らんけど。」

ヒロクニさん「太陽の話が、ショックだったねぇ~。」

こうやって、話があらぬ方向へ行った。

太陽の消滅の話が、脳にどんなショックを与えたかわからないが、

この話の後、機嫌が良くって、にこやかでした。

“さびしい”に支配されるのを防ぐことが出来たようです。

さびしそうにする姿って、どんなふうかと言うと、

何か小さくなって、ちぃ~とした感じで、ぶつぶつ言う感じかな。

そして、機嫌が悪く、何かとわたしの行動を注意したりする。

さびしそうな雰囲気が大げさで、わざとらしい。

たぶん、かまって欲しいのだと思う。

主婦業というのも、細かくやりだしたらキリがないものだし、

ケーキやお料理も工夫しだすとすることが多いもので、わたしはけっこう忙しいのです。

それで、掃除がおざなりになっている。

机の上も置いた物で一杯になっていて、机の上にのったピピちゃんが、

置いた物をグチャグチャにして、トイレットペーパーの紙で遊んだらしく、紙が山に。

また、猫の手でクイッと鉛筆を転がして、下へ落としたりとしている。

拾ってない・・、そのまま。

さすがに、来週から、年末の掃除を初めようと思っています。

このところ、忙しさは止まず、もう1つ1つ用事をこなすことにしました。

一気に用事を片付けようと、掛け持ちしようとするとおかしくなるようです。

探し物に時間がかかったりと。←これ悲しい

トホホ・・。

 

 

食卓の花

↑買い足したビオラは、白っぽい色を2色。

花びらに薄い水色があるものでビオラにしては大きい花のもの。

もう1つは、ブッチがしっかり入った薄い黄色いもの。

庭では、ジニアとビオラしかないので、それをコップに。

来年の春は、白色が基調になった花が多くなるなぁ~と思いながら見ています。

 

 

寒くなりました。

寒さが苦手な良人と一緒にいるので、我家はあまり寒くありません。

灯油代、ガス代には寒くなるでしょう。

「主人は、秋になると、この葉が散っても“さびしい”っていうんです。」とある人に言ったら、

「ご主人、素敵な感受性を持っていらしゃって、素晴らしいですよ。」と言われたことがあります。

そんなふうに言われて、ギクッとしたこともある。

目からうろこが落ちた感じでした。

確かにこういうふうに捉えた方がいい。

頭ではそうだと思っても、なかなか切り替えがうまくいきません。

もうすぐクリスマスですが、クリスマスを通り越して、気持ちは正月に向かっています。

清らかで清々しい日が迎えられることを祈って。

おかしな夫婦の会話などを読んで下さった方、あまり尊敬出来ない2人ですが、

これからもよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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