こういう気持ちになるのかな?と思いながら見ています。
冬枯れの線路道の横を、精神崩壊したかのような人がさすらう。
寂しい冬の風景である。
この絵は、「こういうのも取り上げてみてよ。」と渡されました。
ドローイングのような線(茶色の部分)と動き回る赤い線。
そして、季節と場所を思わせる描写が、鉛筆で出来上がっている。
茶色の線の部分は、油絵具を使用していて、
紙に油が滲む効果が気に入っているらしく、
家には油絵具で描かれたメモ(小さいドローイング)がよく貼ってあります。
この絵を見た時、ドッキリしました。
落書きのような絵で、作品だったの?と。
気を取り直し、まだまだ見続けていると、人気のない播州の田舎の風景を思い出しました。
山陽電鉄に乗って、駅を降りても静かで、店も少ない駅です。
駅を降りて、歩いている内に、こんな所に私は住めるかなという思いが湧き、
「寂しいところだね。」と武内に言うと、
「美しいと思わない?播州のこういう風景は好きだよ。」と言う。
寂しがりなのに、こういう所が好きなのに驚き、
風景よりその言っている顔を見てしまった。
寂しがりやは、さびしいところも好きなのか・・・、
毒をもって毒を制す的なのかな、と思い意外でした。
この絵の冬枯れを見ていると、そんな播州の風景を思い出す。
そして、夕日に向かって進み、歩いた道のりを。
この絵、寂しい絵なのですが、線が遊んでいるので、そこに救いを感じます。
線や描画から楽しんで描いてある部分を見ると、
寂しさのにも楽しさを発見し、妙な気持ちになる。
ムムム・・?と変な感覚ですが。
「播州をさすらった時期」というのが武内にはあると聞いているので、
そんな片鱗を感じました。
そんなわたし達の日常を。
雑用のとぎれることのない毎日。
やっとレントゲンを取ったかと思えば、
念の為にということで、CTスキャンの検査を進められたヒロクニさん。
レントゲンで影があったので、確認の為に、明日も病院。
その影のことを、何も言われてないのに自分で判断して「肺がん」と思いこんだりして、
「医者は、何て言ってたの。」という質問を何度もする。
人の話、この場合は医者の話を聞いていない模様。
「先生は、肺がんなんてこれっぽちも言ってないよ。」と言うが、
「いやぁ、煙草は長年すっているから、自分のせいだ。しょうがない。」とブツブツ。
そして、「自業自得だ。」とやっている。
「しょうがない。」と言いきれる所が、凄いなーと思いつつ夕食の準備。
台所に居座るヒロクニさん。
準備の横で、ミュージシャンのYOSHIKI氏がテレビに映っていた。
70年代ロック喫茶(VOXヒコーキ堂)をやっていたヒロクニさんだが、
YOSIKIとかは全く知らない。
そして、テレビを見るヒロクニさんの顔、表情が異様だ。
テレビを切らないで、見続けている。
顔が見知らぬ宇宙人を眺めているような顔。
警戒しているような表情。
横で笑いをこらえるわたし。
テレビを見ながら、観察して分ってくることを逃さず感知しようという感じが、
蛇が獲物を狙うような感じだ。
目を画面から離さず、「一家言持っとる。」と言った。
次に、YOSHIKIさんが、自分というのは、
「YOSIKIというプロデューサーにプロデュースされているのがYOSIKIなのか、
また別のYOSIKIがいるのかは、自分でも分らない」と言っているのを聞いて、
「こんな言い方が出来る人なんだね。」とポツリ。
最後は、「変わっている。」と。
変人が、変わっていると、言い切ったのが、可笑しくて笑ってしまった。
宇宙人のように思っているのが分った。
ヒロクニさんのことを「最所、宇宙人かと思いました。言っていることが全然分らなくて。」と、
聞くことが多いわたし。
宇宙人VS宇宙人だと、こんな関係になるのか・・、と思って可笑しい。
ヒロクニさんの顔の表情も鑑賞し甲斐があった。
蛇にならなくてもいいよなぁーと思いつつ。
わたしは、60代のための化粧の仕方に励んでいたので、
YOSIKIさんの口元、リップの塗り方にプロの技を感じていました。
ヒロクニさんは、後から、「この人の曲、もう忘れてしまった。
この人もまだまだじゃない。これからじゃない?」と言う。
ヒロクニさんにかかったら、皆、これからにされるのです。
自分のことも「これから。」なので。
そして、食事を終え、デザートにりんごを食べながら、わたしは本を取り出し読み始めた。
「何を読んでいるの?」と聞かれ、
「キケロの『老年について』」と答えると、
「そんな重苦しいもの読むのやめろよ。寒いのに。」と言われる。
「この本は、わたしに読めって、あなたが進めた本で、部屋に置いていったのは自分だよ。」と言う。
「ローマ時代の歴史に詳しくなったし、あの頃の哲学が凄いというのが分ってきたから読んでいるの。」
ヒロクニさんは、「それ、徳とか出てくるでしょ。」と言いながら、
「そんなもの読んでもしょうがないよ。」と来る。
自分が意味深に薦めたくせに、しょうがないとくるりと意見を変える。
気分屋な人です。
気分屋じゃないわたしは、毎回、「前言っていたことは、何なの?」となる。
気を取り直し、「これ、読み始めだけど、老人になっても衰えないっていう内容だよ。」と言うと、
「野蛮な頃の話だ。」と反撃してくる。
「そんなことないって。今でもプラトンの哲学は生きているし、この時代の叡智はあるって。
プラトンのあの図形が出てくる考えも、何のことかはっきり分らないけど、
原子の構造が今分っている時代からすると、意味があると思えてくるもの。
はっきり分らないけど。」
はっきり分らないの部分で、笑ったヒロクニさんの顔が近づいてくる。
「何で、顔が近づいてるの。」と言い、押しやる。
まだ途中なのですが、今のところ、
『老人になっても身体も使い続け、頭も使い続ける。使えば使う程、生ける屍にはならない。』
『老人になればなるほど、蓄積されたものがあるから重宝される』
この2点を強調しています。
こんな内容とは思いませんでした。
確か、ヒロクニさんは、「こういう本でも読んで、自分を高めなさい。」と、
いうようなことを言っていたと思うのですが、
いきなり「読むの止めちまえ。」に驚いたのでした。
寒くなったので、ストーブの前にいることが多くなって、会話が多くなりました。
いつも痴話げんか的になり、犬猫がじゃれているような感じになります。
まあ、こうだと寂しくはない。
そんな時、焼いてみたどら焼き。
↑家でも簡単に作れるのですね。
ホットプレートを使うとうまくいくみたい。
油を引かず、焼くとこんがり茶色に。
買ってきた出来合いのこしあんと、バターを挟みました。
はちみつが入っているのが、ホットケーキとの違いだと知りました。
手軽に出来るようなので、気にいっています。
自分用のは、バターをたっぷり入れて、スペシャルに。
美味しかったですよ。
ストーブの前に集まってしまって、会話が多くなりました。
喧嘩に発展しないように気をつけなければなりません。
良人は、ムッとすることを言う天才。
キケロの「老人について」は、興味深い。
また、ブログに書くかもしれません。
本当に寒くなってしまって、19日は部屋でもダウンジャケットを着て過ごしました。
明日は、CTスキャンの検査の付き添いです。
雑用が、次から次に増える年末。
もう、師走に突入しているような感じ。
今日も、相変わらずの私たち夫婦の日常をお読み下さり、ありがとうございます。
(それでも、横に居て、絵の方は進化していると思っています)