武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

大阪徘徊図(色鉛筆作品紹介714)と ローマの哲学者の生死感

2022-12-28 21:31:09 | Weblog

左上に“UMEDA”と書きこまれているのは、阪急梅田駅のことでしょう。

大阪へは、阪急電車に乗って行きます。

駅を降りて、散歩をしている風景図といったところ。

風景画ではなく、地図もしくは、図だと思う。

右中央の人物は、自身だろう。

あっちへこっちへと歩いて、街を見ている自分だ。

それと、自分の名前“ヒロクニ”を何と多く書き込んでいることから、

自分が行ったところを記しているのだろうと。

猫がマーキングしているかのような感じもして、可笑しい。

右上は、都会を象徴する女性だ。

街っぽい。

武内は、犬派か猫派かといえば、猫派だ。

飼い主のいうことをあまりきかない。

ちょっと、ブラックジョーク。

 

朝、狭い我家にある短い廊下で、ヒロクニさんと鉢合わせになりお互い顔を見合わせる。

お互いにじゃまな・・という顔。

すかさず、「まあ、こんな所で会うなんて!わたし達は仲がいいのね。」と言い、

「すりすりしましょう!」と言い、ハグした。

「おお、君。こんな所に居たの?」と、わたしの背中を叩く。

じゃまな・・、の気配が吹き飛び、大げさな行動をすることで、

一気に陽気で可笑しなゲームをしている2人になり、わたし達って懲りないな・・と思う。

まあ、とにかくこんな感じで、陽気にやっていける時は、陽気にやっていきたい。

朝、思ったことです。

 

今年もあとわずかになり、年月が経つのが早いと思う。

おせち料理の写真を見ながら、今年はどんな風にしようか?と思う。

掃除もせねば、と思いながら出来ていない。

最終の買い物はいつ行こうとか、思いながら冷蔵庫の中身を点検する。

買い物の大半は、すましていて、

正月になると高くなるもの、海老とか肉はもう冷凍庫に入っているわけです。

正月だからという理由で買ったタラの干物。

これは、塩を抜いてあぶって食べてもいいのですが、

タラの塩見が効いたタラとじゃが芋のコロッケを作りたいと強く思っている。

熱々のコロッケに焼酎か?

まあ、想像するのは簡単だが、思ったイメージ通りになるかはやってみてのところ。

コロッケは、チーズ風味にパルメチザンチーズを入れると合うかな?とか、

着物も着よう!とか、あれこれ思い浮かべ、妄想する。

 

その妄想の近くに、違う妄想がある。

先回のブログの内容で、キケロ著「老年について」を要約して、

『老人になっても身体も使い続け、頭も使い続ける。使えば使う程、生ける屍にはならない。』

『老人になればなるほど、蓄積されたものがあるから重宝される。』

と書きました。

後半は、『死について』『神について』の考察になり、

とても興味深い部分がありました。

■一部を抜粋

*ピュータゴーラス(ピタゴラスのこと)とピュータゴーラスの徒といえば、

 かつてイタリア哲学派と呼ばれていたぐらいだから、

 同国人と言ってよいほどだが、

 彼らは、人間が宇宙の神的精神から流出した魂を持つということを断じて疑わなかった

 とよく聞かされたものだ。

 さらにアポローンの神託によって最高の知者と判定された彼のソクラテース(ソクラテス)が、

 この世を去る日に魂の不死性について論じた事柄も、よく解き明かしてもらった*

引用終わり

この文章の、下線した部分は、わたしが最近、漠然とそうなんだろうと思っていることが、

この紀元前100年頃に語られているので驚いたのです。

宇宙は、物質から生まれ、そして有機物が生まれ、植物が・・、そこから生命体が・・、

そして、人間が生まれ、人には心というものまである。

自然を見ると植物には植物の法則がある。

動物にも遺伝子があり、環境によって進化したりする。

それにも法則を感じます。

人にも遺伝子があり、心というものから精神が発揮され、頭脳を駆使し今の生活がある。

その人間は、倫理観や道徳感を持ち、より良い生活を送れるように工夫をしている。

それは、やはり善なるもので支えられていると思う。

それでも、人は愚かで間違いも起こす。

そういう時、宇宙が作り出した法則を人間に伝えてくれる存在を、神様と呼ぶのだろうか?

このローマ時代の哲学は、今の哲学の基礎となっている。

それを考えると簡単に「神様なんて、そんなの可笑しいって。」と笑い飛ばしたりは出来なくて、

わたしは、この時代の哲学者に直観力の凄さを感じ、聡明さに驚くばかり。

このように感心していても、わたし自身は変わらないでしょう。

やはり、自分で決めた努力、それも小さな努力をコツコツとすることで、

変化する、大げさに言えば「向上する」のでしょうね。

来年も、「主人に優しく」は、項目に入れておきます。

(これが、難しいのだよ。)

ちなみに、日本はローマ共和国があった頃、弥生時代になります。

そして、日本の神様のイメージは、清々しく清らかなで、あまり飾り気がなく、スッキリした風貌を思い浮かべます。

山の頂上に立ち、透き通った眼差しで、見渡している姿を思い浮かべます。

日本の祖霊を手前勝手に、思い浮かべました。

こうやって、想像を広げてしまう癖があります。

困ったものです。

 

 

我家の庭は、花がない時期に入りました。

そんな時、自生している宿根スミレを見て見ると、

↑このように花を付けていました。

これを何とかアレンジしてと思い、

↑花を飾ってみました。

花の付いている株を2本摘み取り、そのままカップへ。

下の方から見ないと、花が見えないのですが、野性的な雰囲気を出しています。

葉っぱばかり目に付きますが、

「これも素敵じゃん。」とヒロクニさんは言ってくれます。

地味なんですが、これもありという事にしています。

↑育苗中のビオラ。

花色が分ってから、鉢に移します。

リボンで色分けしているのは、あまり役に立っていません。

 

 

引用したキケロの文章は、わたしが長い時間をかけて、そうともいえるか・・・????と思うことが、

そのままズバリの表現で表されていましたので、

わたしの思うことの長い道のりを思い浮かべていました。

しかし、どういうふうに書いていいかが、分らず、

午前9:00頃から、用事をしながらですが、今まで午後9:30までかかってしまいました。

同じように思う人も、いるには違いないと思います。

きっと、少数だけど。

わたしにとっては、意外な良書でした。

ヒロクニさん、推薦の本、読んでみるものだと思いました。

ヒロクニさんは、「現代的でしょ。キケロは。」と言います。

夫に1本取られたと思いながら、いつもこうだといいのにと思ったりして。

今日は年末あれこれでした。

文章がごった煮状態で、すいません。

(あれこれでなく、あれもこれも状態だー。)

お読み下さったかた、本当にありがとうございます。

良いお年を迎えられますように!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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