これは、地下鉄の絵。
正面に兜をかぶったような人は、「運転士」です。
この形が単体で、ドンとアップで描かれた絵のタイトルが「運転士」でした。
ブルーとピンクの色合いで、皆夕焼けに包まれているような印象を受けます。
顔の中央の鼻筋の部分は、ビルで旗のようにパンツがたなびいていたり、
その上は、コップに歯ブラシ。
後ろには、待機する電車。
扇形の上には、走る電車と可愛い家。
虹のような部分は区切られていて、珈琲カップ、振られている手、建物、花、ドクロ、星。
よく見るとファンタジック。
わたしは、かわいい家のありように心が惹かれます。
この家に「安心」を感じるのです。
この絵は、ハチャメチャなのですが、どことなく懐かしい気持ちを喚起され、
子供の頃感じていた安心感ってあったなぁと思い出したりしています。
98と書きこまれているので、25年前の作品。
作品を見ると月日を感じますが、あれからそんなに時間が経ったのか?と。
体感では、ちょっと前ぐらいの感覚なのです。
「光陰矢の如し」とは、こういうことかと痛感します。
夕食を終え、すぐさまアトリエに行き制作に励むヒロクニさん。
わたしはりんごを食べたくなり、デザートとして用意し、ヒロクニさんを呼ぶ。
『ぐんま名月』というりんごが好きになり、
夜デザートとして食べるのが我家では流行っています。
(ヒロクニさんは、夜に果物を食べるとホッとするらしい。)
そのりんごが売って無くて、代替として、王淋やシナノゴールドに変わると、がっくりくるぐらい。
甘みが強く、酸味が少なく、さっぱりしている。
それが、わたしの好きな味のようです。
そうやって、一緒に食べていると、ヒロクニさんから“美術談義”を聞くことになった。
「エンリコ・バイって、知ってる?」と言われ、
「知らない。」と言うと、
「君は何もしっちゃいないね。」とくる。
心の中で「知らないものは、知らないよね。しょうがないよね。
自分だって料理やいろんな手続きのことは知らないくせに。
知ってる知ってないで軽蔑されるいわれはないよね~。」と思い、
「知らないことは罪じゃない。今から知ればいい。」と言いながら、パソコンを取り出した。
画像を見ながら、ほんとに知らない絵で画家でした。
1924年~2003年。イタリア人。シュールレアリズムの後のダダイズムの人だ。
絵を見るとアバンギャルド。
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この絵を指差し、「この絵も素晴らしいと思わない?」と。
「とてもいい。」と同調するわたし。
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次にこんなスタイルの絵を見た時に、
「この四角い人の顔、あなたの絵に通じるというか、同じように見えるんですけど。」とわたし。
「同質のものだ。わたしもエンリコ・バイも。」と、横目でちらりとわたしの顔を見ているのがわかる。
「この流れが、ジャン・デュビュッフェにつながっているからねぇ。」
「そんなことも知らないで、デュビュッフェを見ていたの。」
“そんなことも知らないで”というくだりが憎らしい。
「今、知ったからいいのじゃない。
知らないことを知ってるっていう方が悪いと思わない?」と開き直る。
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エンリコ・バイの作品でこのような四角い顔が見られるのは、
紐を使ったコラージュ作品に多く見られます。
知らなかった画家とはいえ、1950年~1960年のこれらの作品は、どんな評価だったのかと思いました。
「じゃあ、次は“カレル・アペル”を引いてみて。」と。
こちらの画家の絵の方が、見たことがあると思いながら見ました。
日本には、エンリコ・バイよりも、
同時期に同じような資質のオランダの画家“カレル・アペル”の方が紹介されていたのか?。
そう思いながら、見ていました。
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上が、カレル・アペルの作品。(小さい画像しかなかった)
これも、ヒロクニさんに通じるところがあると思い見ていました。
時々、ヒロクニさんの絵を見て、「この絵で大丈夫なのか?」という疑問が起こる時があります。
これらの絵を見て、大丈夫と思いました。
その横で、「俺は、アバンギャルドが好きなんよ。」と一言。
エンリコ・バイは、確かにアバンギャルドの推奨者でした。
ヒロクニさんは、「彼らは、インテリなの。紳士なの。その辺をよく知らないと。」
もう、そうですか~、そうですか~しか言えないわたしであります。
著書「薔薇の名前」で有名なウンベルト・エーコーは、彼の協力者だったようです。
きっとインテリ仲間なんでしょう。
残念ながら、この本が流行った時、手に取りませんでした。
難しそうなイメージがしたのです。
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↑こちらが、エンリコ・バイの近影
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↑こちらが、カレル・アペルの近影
お顔を拝見すると、円熟した画家の顔をしておられます。
主人の絵は、日本でなく外国に持っていってみるとどういう反応になるのかに興味を覚えました。
ほんと、エンリコ・バイは、カタカナで検索してもあまり出てこなくて、
“enrico baj”で検索すると多く出てきます。
日本では、興味がない画家になっています。
りんごを食べながら、意外な美術講座を受けることになりました。
知らないことは、知らないと言い、知ればいいと思います。
何かと軽蔑の眼差しを向けようとするヒロクニさんって、嫌な感じ。
小さくなって恥じ入るよりも、好奇心を持って知ればいい。
わたしは、ヒロクニさんと違って道に迷ったら、すかさず人に聞きます。
そうやって目的地に着くことが多い。
そのわたしに付いてきて、ヒロクニさんは目的地に着くことが、あるのよ~ん。
このコンビネーション、素晴らしいでしょ。
いつも日常の一コマの写真をのせるのですが、カメラが部屋で見つかりません。
掃除をしろってことなのか?
そう思いながら、今この文章を書いています。
見つかったら、アップする次第。
最近、よく探し物をします。
これ、老化現象ですよね。
今日は、現代美術の元祖、創始者の画家の美術談義でした。
ヒロクニさんを通しての画家の話し。
ヒロクニさんは、外では隠れインテリの称号を得ていますが、妻からすると、
「この人、頭がおかしいのじゃない。」と思われがち。
今日は、その汚名を返上することが出来ただろうか?
いろんな絵があるのだと、思って頂けたら幸いです。
今日もお読み頂きありがとうございます。