武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

まさこの夢(色鉛筆作品730)と 寂しさと時間

2023-04-25 18:17:57 | Weblog

この絵のタイトルは、「まさこの夢」。

40年ぐらい前、武内が40代の頃に描かれました。

使用している色鉛筆は、カステル社のものになります。

色鉛筆の使い方も、先を尖らせて、細い線で描いています。

渦巻きから伸びている線になにかが付いていて、シューと渦巻きにとりこまれそうだ。

その間に“まさこ”さんが、ふわっと浮いている。

この絵を見ていると、「夢」すなわち深層の中での世界に侵入しているような気持ちもする。

しかし、深層の中は意外に暗く、不条理な物の存在がある。

“まさこ”は、漂い、どこに行くのであろうか?

 

こんなことを思っていると、武内から聞いた夢の話しを思い出しました。

武内の話から、何度も同じ夢を見るストーリーがあり、それに渦巻きが出ててきます。

自分は子供で、駄菓子屋に行くと、必ず同じお婆さんが店番をしていて、

あれ欲しい、これ欲しいと言っても取ってくれない。

違うものを渡してくるのだそう。

子供心に何で、言うものを取ってくれないだろうと思っていると、

そのお婆さんが手を出しなさいと催促する。

手を出すと、お婆さんが手のひらに見えないようにして何かを置くのだそうだ。

それを見ようと手を近づけると、手のひらに“渦”がのっている。

その渦を見ながら、「渦だ。」と。

じっと手のひらを見ているのと、「渦だ。」と思っていると必ずそこで夢が覚める。

この夢を何回も見ているそうで、話しぶりから、

この「渦だ・・・。」の瞬間が最重要箇所らしく、

発見と驚きの瞬間に軽いショックのようなものを受けるらしい。

夢を象徴していると思うのは、やはり右端の渦。

それと、関連があるのかどうかは分らないが、武内の絵には“渦”がよく登場します。

この絵を見ながら、武内がよく言う、

「俺はシュールリアリスト。」というのは、こういう絵を見た時よく分ります。

 

 

妹の三回忌にあたり、久しぶりに我家の親族が集まった。

コロナ禍に亡くなったので、今回は遠くの親戚も交えての三回忌になった。

久しぶりに見た親戚も皆、歳を取っていた。

寒くて、お通夜の晩も凍るような風が吹き、コロナ禍だったのでドアはどこも開放していて、

非常に寒い日だった。

あれから、3年。

なんと月日の経つのが早い事と思いながら、皆の顔を見ていたのです。

家に帰ってから、ヒロクニさんに

「ヒロクニさんが亡くなって、ヒロクニさんの友人も亡くなっていって、

 わたし1人になってしまったら、寂しすぎる。

 どうしよう。」と言った。

すると、「君もわかってきたじゃない。」と言われ、

大丈夫だよ等の言葉を期待してしたが為に、しんみりしてしまった。

その間、透明度のある気持ちが続き、これが時間なんだと感じた。

時間はいつだって同じように流れているものなのだけど、

時折、大きく人の営みを感じさせる。

「生まれて死ぬ。」

時間が流れている証拠だ。

「大丈夫。」と気休めでもそう言われていたら、

「そうよね~。」と雑事に耽溺していたかもしれないのだが、

「君もわかってきたじゃない。」と言われたので、分ってしまった。

わたしは、普段どちらかというと、浮ついてウキウキしていたい性質なので、

こうやって静寂にも似た、時間の流れをこの時感じながら、

“寂しい”という感情もいいと思ったのです。

今まで、経験してきた寂しさと違い、

今日思った“寂しさ”は、人が必然的に、ふと感じる寂しさのような気がしているのです。

それは、時間と関係がある。

こんなことを思った時、こういうテーマを持った文学作品を読んでみたくなります。

「ヒロクニさん、教えて!」

と言ったら、どんな本を紹介してくれるのでしょうか?

やはり、フランス文学を推すのかもしれません。

わたしは、フランスのものは、古典的な「モンテ・クリスト伯」なんかが好きなのですが・・。

いつも読んで下さっている方がいるならば、

今日は、「夫婦喧嘩は犬をも食わん。」と言われている、

言い争いの言葉を書き連ねた内容でないので、良かったかしら。

ヒロクニさんは、考えられないことを言ったり、したりするので、

つい書いてしまいます。

こんなわたし達ですが、これからもよろしくお願いします。

 

最後に、ビオラ。

↑紫ぽいピンクなのですが、紫色に写っています。

あじさいみたいに。