不穏な感じがする。
不気味。
年齢がばれるけれど、大阪にある“太陽の搭”の中の展示を思い出してしまった。
子供の頃見た塔の中は原始的なイメージだった。
赤い照明に照らされた、原始時代の生き物は不気味であったが、
怖いもの見たさと、ぞくぞくする感触とが混ざり合って、印象的でした。
子供心に変な快感を覚え、帰ってから時間が経っても、
その感触を思い出し、反芻していました。
この絵にも似たような感触があり、生命を感じます。
そう思って見ていましたが、絵の裏にタイトルが書き込まれており、
「花の風」2019、となっていて、戸惑っています。
どこに花が描かれている?
風のイメージはある。
ゆらゆら揺れている植物的なものを全体から感じ、風で揺れているのだと。
そして、風船が数多く上昇し、下から上へ登る感覚もある。
しかし、花を感じるのが難しい。
この絵は、「この絵がいいんじゃない?」と、武内に薦められたもの。
当人が、いいと言うものは難しい絵が多くて、ここはわたしの悩めるところだ。
追い討ちをかけるように、
「分からないのか・・・。」と言われることがあり、
「はい。」と言うと、また「分からないんだな!」と言われ、プリッと横を向く。
気落ちするらしい。
なるべく期待に答えたいが、無理なことは無理なのです。
この絵を見ていると、
蛙の卵が孵化しておたまじゃくしが泳いでいるようにも思えてくる。
生命は感じるよね。と自分で相槌を打ったりして・・・。
海底で揺れている海草に卵が産み付けられている図とか、
細胞分裂している様子とか、そんなことしか浮かばない・・。
とりあえず、生命を感じている次第。
「花の風」というタイトルさえなければ、いろんなふうにとらえられる絵だ。
こんなことを考えている内に、
タイトルを「陽炎」と変えさせようかな?と思っている。
絵自体は、シュールな作品なんだと思います。
このところ季節はずれな暖かさが訪れている。
12月というのに、秋のはじまりのような感じだ。
買い物に行く道には、赤や黄色の葉が舞い、道の隅に固まっている。
赤い色にもいろいろあり、
その色合いの違いを見て、赤いにも種類があるなと歩くのは楽しい。
銀杏は、葉がほどんどない木も多くなり、枝だけがくっきりしていると、
この暖かさも一時のものだと思う。
今年の正月は、どんなふうに過ごそうか?
そんなことを思い浮かべながら過ごしています。
おせち料理は、ピックアップして数品にして、
ピーちゃん(猫)は年の瀬に入浴させて、
3人で「今年もよろしくお願いします。」という儀式は我家の定番です。
正月は、物価がいきなり高くなるので、
買えるものは買って冷凍しておこうか?と主婦らしく考えています。
ヒロクニさんと夕食の後、紅茶を入れ、自家製パンプキンパイを食べていると、
「地球上に平和が訪れることは、ないのかもしれない。」と真剣な表情。
「いつの時代も、どこかで争いや戦争がある。」
「平和というのは、戦争と戦争の間の時間のことなのか?」
と、言う。
年の瀬の毎年思うことを考え、準備を思い巡らしていたので、
いきなり大きな人類の課題を突きだされ、パイが喉に詰まる。
わたしは、人類の歴史の年表を思い浮かべ、
あらゆる年表に○○戦争と並んでいることから、「そうかもしれない。」と言った。
その後、気持ちが落ち着かなくなる。
ヒロクニさんは、ロシアとウクライナの戦争(ウクライナ応援)や、
イスラエルとハマスの戦闘をニュースで見て、考えていたようです。
ニュースでは、イスラエルのガザ攻撃ばかりが非難されているようで、
ハマスに対しての非難が少なすぎるというのが、わたしの思うところ。
ハマスがガザの一般住民を戦闘の楯にしているからの結果でもあるのでは?
卑怯な戦法だ。
わたしは、ハマス側が人道的であるはずがないと思っていて、
残虐さは、こちらの方が上だと思っています。
ニュースを見る限り、情報戦が繰り広げられているという感じだ。
イスラエルは元々容赦ない国。
ここの部分を非難されているのではあると思うが。
ヒロクニさんからの言葉にうなずいてしまい、
落ち着かなくなった気持ちを平静にするために、ちょっと考えていた。
それには、道徳心が必要ではないだろうか?
国が道徳心を持つ。
約束を守る、条約を破らない、恫喝しない、過剰な欲を持たない等。
これだけでも、紛争は少なくなるような気がします。
道徳心のない国とは?
あれこれすぐに思い浮かぶ。
今の段階では、ヒロクニさんの言うように「地球上には、紛争や戦争がなくならない。」のだろう。
(ところで、ハマスに資金援助しているイランも非難を浴びていない。)
落ち着きたいから、あれこれ考えてしまいました。
落ち葉の色をうっとりと見ている時は、幸せな感じがしていました。
ヒロクニさんは、幼少の頃が戦中だったので、ニュースを見ると感情が波立つみたい。
わたしは季節はずれの暖かさに浸って、
図書館へ行ったり、買い物の道を楽しんだり、紅葉を見たりして、
ゆるゆるしていましたが、
ヒロクニさんは違う気持ちでいたようです。
ヒロクニさんの一言で、ギャップを埋めさせられ、同じ地点に立つことに。
夫婦は、やはり同じ位置にいるべきなのか・・・。
散歩の途中で写真を撮りました。
↑なんときれいな赤!と思って写真を。
↑違う角度からもう一枚。
この道は急な坂道の途中で、写真を撮る為に
カートをわきに置き、手を離すと
カートは倒れ、起そうと思うとめがねが落ち、
手に持っていた上っ張りは、地べたに落ち、あたふたしていました。
この暖かさは、16日まで続くらしい。
今日は、とりとめのない内容になってしまいました。
わたしは、暖かさでふわふわと緩くなっていました。
よく考えると、ヒロクニさんは常に自分に鞭打ち、ゆっくりする人ではない。
私は、ほんわかしていたので、鞭を打たれたような気がします。
幸せ感というのも、いつ訪れるか分からないもの。
紅葉を見ている内に、導かれたのでしょう。
今日は、内容が薄くなってしまったような・・・。
(自分ではそう感じる)
それでも、最後までお読みになってくれた方、ありがとうございます。