武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

昔の神戸南京町の写真

2009-02-20 14:42:34 | Weblog

この写真は、ヒロク二さんが経営するVOXヒコーキ堂のロック喫茶の大きい方のお店。KLUB TAKEと看板が出ているところがお店だそうだ。1975年~1980年ぐらいじゃないかな?と伺った。もちろん髭を生やして煙草を銜えて、両腕を上げている人物が武内ヒロク二だ。30代後半かな?左にあるゴミの山は、ゴミ捨て場だそうだ。ヒロク二さんが来てからこのゴミ捨て場はとても綺麗になったという。まさしく掃除をしていたのはヒロク二さん。悪の親分のようにみえるが、とてもいいマスターだったらしい。この頃は、8ミリフィルムを撮っていていたという。ジョナス・メカスや新しい映像、実験フィルム等いろんな映像への試みが出た時代だ。
わたしも、大学の頃、京大西部講堂で見たことのないものを見ようとたくさんの実験映画を見た。アンディ・ウォホールのフィルムは、とてつもなく長時間で退屈で途中で出てしまった。ストーリーがまったくない画像だから、忍耐、忍耐だ。寺山修二は、う~んと唸るが結構いい。若松浩二の初期の映画も見た。「胎児が密猟する時」や「犯された白衣」その他いろいろ。アングラに時代が入っていく過程がよくわかる。60年代~80年代は現代に落ち着くまでの過程で、とても変化が多く価値観が変容した時代だ。しかし、恋にときめく21歳の乙女が、なにが悲しくてそんな汗くさく、暗く、忍耐を要するものを見たんだろう。実際、へとへと。しかし、その頃があったおかげか、ヒロク二さんと古い話をすると通じることがあり嬉しいような悲しいような。

現在、お店の跡は噴水のある公園になり、あずまやのある所に店はあった。写真の右にあるバラックの「民生廣東料理」は現在も新しくなって顕在だ。バラックの頃の中華料理の味は抜群だったと当時を知る人は言います。当時の南京町は治安も悪く、ヒロク二さんも体を張ったそう。そんな感じが、ちょっと出てるかな?はっきり言ってこの頃のヒロク二さんとは、写真を見るかぎり結婚したくないと思った。不潔そうだ。まあ、そうは言ってもこの頃は、わたしは13歳ぐらいだろうからありえない事でホッとしています。ヒロク二さんに出会うのは13年後です。


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