武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ペシミスト(色鉛筆・作品紹介684)と 悲観も極に至れば

2022-08-13 16:47:24 | Weblog

この絵の左をを指差して、

「この人はペシミストなの。この絵はペシミストが描いた絵なんだと言って、皆で笑う絵なんだ」と、

解説してくれた。

ますます、分りにくい。

かえって頭が混乱する。

「中央の、白いお皿に料理がのっているように見える部分があるけど、

 これ、しあわせ食堂の本の書き下ろしのカットのメモを使ったの?」と聞いた。

「ああ、それ模様が見えるよねぇ。何だろうねぇ」と。

「ハンバーグでも描いたのかと思ったんですが・・・」と言うと、

「それは違う。しあわせ食堂のメモじゃない。違うメモを使った」と返事が。

さらに、「左の形がいいと思って、これから使おうかと思って仕上げてみた」と言う。

現在、台所に簡単に額装され、飾られている。

台所にいる度に、見ていると、フッとにこやかになる。

そして、「ユーモラスなこと」と思う。

プイッと顔を背けているところが、いじらしい。

これが、ペシミスト?

そう思うと可愛いけど、ペシミストの意味は「厭世思想」とか「悲観主義者」とあり、

調べると、

この世が嫌いな人。 この世に生きるほどの価値はない、という思想の人。 厭世家。」だそう。

大雑把に言うと、ものごとを悪い方に考える人のことでしょうね。

(語源はラテン語で、最悪のものを意味する「pessimum」に由来するそうです。)

そういうのを見て笑う絵なんだろうか・・・。

描いた武内は、言いながら、笑っていました。

わたしが思うには、普段、武内は心配性で物事を悪い方に想像することが多い人だ。

「石橋を叩いて渡る」タイプ。

もう少しニュアンスをたすと、「石橋を叩いて叩いて、壊してしまってどうするの?」と言うくらい、

同じ所に留まり、「早く、渡らないとかえって危ないでしょ」と言う具合。

無意味な用心をします。

心配性だ。

また、この世のことを“シャバと言い、斜に構えて世の中を見ています。

そんな武内の顔が、パソコンの画面の上から見え、「ちょっと話を聞いて」と言われたら、

即、「その話っていい話なの?」と上目ずかいで見る。

すると、「いや、・・・・・」と一歩引いて無言に。

「やっぱり、悪い話で、最悪のことを考えていたの?

 それは、それでいいのだけど、不安とか悪い考えって、かえってそっちに近づいて、

 やっぱりそうなったと納得する事態に成りやすいと思わない?

 いい流れの方も、同時に考えてみたら?」

と、老眼鏡を鼻眼鏡にして言う。

わたしは1つ決めたことがあって、

「未来のことで、不安や心配しすぎになる時、不安や心配ばかりして悪い状態になるよりも、

不安や心配もせず未来を考え、出来ることをして、結果として悪い状態になるのなら、

後者の方がいいと決めた。」

決めてから、まだ変更していない。

不安や心配は打ち消すことで消えるものは消し、どうしても解決しないものは、なんらかの対策を考えるというふうにすることにした。

それと、自分の心の中に、意外な不安の原因もある。

これが取り除かれない限り、同じことを繰り返すような気がします。

でも、それが自分では、はっきり分らなかったりする。

こう思うまでには、いろいろなことがあり、理不尽と思う出来事もありました。

(内容は割愛します。関係ないわたしにトバッチリが降りかかったというようなこと。)

しかし、理不尽な事というのも、生涯に一度は体験するようになっているのかもしれないと

近頃、思い至りました。ある種の法則のような感じがした。

このことに気づくまでに、なんと時間がかかったか。

やっと、この頃の「負の感情」を手放しはじめているところです。

今振り返ると若い時の方が、わたしは厭世的で「なんだか面白くないわ」と思っていました。

現実と理想の差が大きく、またその理想とやらもあやふやで、

社会に出てからもぎこちなく、未熟なので感情に支配される始末。

強烈な理不尽によって、厭世的では生きれなくなって、生き延びなくっちゃとなり、

今に至ります。

生きる価値はあるのです。(笑)

 

ヒロク二さんはわたしと違って、極端を行ったり来たりするので、

急に楽天家になったり、重苦しい悲観者になったりしますが、

これはこれでバランスをとっているのでしょう。

それと、絵を描き続けている限り、体力要りますから前向きにならざるを得ないというジレンマ。

そこで楽天的になる。

やはり、悲観ばかりでは難しいのだと思いました。

 

今、アトリエで制作に励むヒロク二さん。

物音がかなりしている。

制作をやってるのね、と思う。

ヒロク二さんの部屋は、クーラーがないですよねぇ~。

扇風機で風を送っているだけ。

厭世家ではここまで頑張れないと思います。

 

 

ひまわりの花数が増えてきました。

↑まだ、背は高くなりませんが、花が多く咲くように。

秋ごろまで咲くらしいので、どれだけ大きくなるか楽しみにしています。

 

↑暑くて庭に出るのがおっくうになってしまい、草もボウボウ。

さやいんげんも抜いた。

石がある所に植えていました。

春蒔いたネギがやっと成長してきた。

まだ、大きくなっていませんが、冷奴に添えるのに役立っています。

細かいネギですが、意外と丈夫。

 

↑花が少ないのでニチニチ草を買い足しました。

選ぶ時、ホームセンターも暑くて、どの色にしようかと決められなくて、

かえって長居してしまいました。

 

ペシミストというのは、

「この世は最悪で苦しい世界ととらえている」ということから、

不安とか、心配の話になり、私的見解を書きました。

わたしは東洋人だなぁ~と思うのは、

「禍福は糾える縄の如し」の如く、何もかも「悪」と捉えきれない部分があります。

西洋の言葉を、カタカナで「ペシミスト」と言うと、気取った感じがします。

日本語で語って欲しい。

未だに、「イノベーション」と言われても、さっぱりなんです。

今日は読み難かったかもしれないと思いつつ、

最後までお読み頂いた方ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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顔を確認しました。 (さほりん)
2022-08-20 10:53:31
コメントありがとうございます。
まずは、顔を発見しました。茶色の中に、イギリス的ホラーのように顔が浮かびあがっていますね。しかし、よく見つけたなぁ~と思うと同時に、よく絵をみてくれているのだなと思い感心しました。斜に構えた感じとは、うまく言いますね。ドンピシャ!

「未来のことで不安や心配になること」これは、ヒロク二さんが、不安を打ち明ける、それも長時間で細かい心配を聞かされることから、考えるようになったのだと思います。私にしたら、「そこまでよく考えつくなー」なので。もしかしたら、不安を言うことで、甘えているだけかもしれませんが、ある種まじめな性格もあるので、それを紐解いて、どこで不安に結びつくのかを一緒に考えましょうとしていた。今は、年月が経って、「また、不安か。考えてもしかたがないだろ」と乱暴になりましたが・・・。ヒロク二さんの不安を説得することをしている内に、時折訪れる私自身の不安もよく考えるようになった。怪我の功名というのでしょうか。
理不尽なことについては、人は生涯に一度はこういう目に会うことがあるのだと、納得した時に、氷解してきました。ずっと自分は、「酷い目にあった」「自分だけがこんなことに巻き込まれて、苦しかった」「不運な」という思いを後生大事にかかえていたのだと。これって、運を悪くしていると、気がついた。その瞬間が最近でした。人は気がつくのに時間がかかるなぁ~。ブログの文章が、分り易くなっただろうか?こんな体験が、役に立つので嬉しく思います。ご主人は、「やらない後悔よりやって後悔」と言うのですね。ヒロク二さんに聞かせてやりたい。(笑)口は達者だけど、行動が遅いの。ヒロク二さんは!

ひまわり、横に広がってるわ(苦笑)ネギは、植え付けが意外と大変でした。(汗)

「ペシミスト」は、詩的に使うことがある言葉なんだと、松任谷由美さんの話で思いました。美術の批評などでもよく使われています。意味をあまり把握していなかったので、今回改めて調べました。西洋哲学から派生しているらしいけど、ややこしそうなので深入りしなかったわ。

漫画も面白いと思う。私は小学生から、高校生にかけて漫画家志望だったぐらい。面白いものがあれば読みたいけれど、どれ読んだらいいか分らないから、読んでいないという理由。漫画は、感情移入がし易いので、楽しいよね。

しかし、ヒロク二さんには鍛えられている私。たまには、甘えさせて欲しいくらい。(苦笑)
関西は、少しだけ、涼しくなり秋の気配。
そちらも秋の気配しますか?
今日も、コメントありがとうございます。ほんとに!
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Unknown (ともりん)
2022-08-19 16:36:12
左の人、斜に構えた感じです。楽しそうで興味がありそうなものは中央に集まっているのに、わざとそっぽを向いているような。中央のお皿、私は人の目のように見えました。そして、目の中に人の顔が浮かんでいます。
ここをじーっと見ていると、ぽっかり穴が開いているようで、この暗い深淵に引きずり込まれそうです。ちょっとダークな違う世界への入り口のようです。
ちょっと怖かったり危なかったり、アウトローなものから「こっちの世界においで」と誘惑されているような感じです。

「未来のことで不安や心配になること」の考え方、何度も読みました。自分にとって、とても考えさせられました。起きる可能性がある良くない結果に対しての対応を先に考えてしまう傾向があり、自分自身の考えに押しつぶされそうになります。
夫がよく「やらない後悔よりやって後悔」とよく言います。それもそうなのですが、これは考えずに行動することも含まれるような気がして、自分には合わないと考えていましたが、さほりんの考え方の方がしっくりきました。
いつも色々なことを考えていらっしゃるのだなと、頭が下がります。考えることはヒトとしてとても重要なことです。でも、ちょっと疲れることでもあります。漠然と何かに不安になったり不満を持つのであれば、その負の感情を感じている時間を使って考えなば!と思うのでした。
いつも考えるきっかけをいただき、ありがとうございます。
理不尽と戦い、考え続け、対策を実行してきたのだなと思いました。さほりん、いつも頑張っています。そして、その経験をブログで教えてくださり、感謝です。

背が高くなくても、ひまわりはやはり夏の花。この季節、強烈な美しさを感じます。
ネギは良いですね。食卓に欠かせない野菜がお庭で収穫できるってすばらしいです。

今回はペシミストについてたくさん考えました。東洋と西洋の捉え方は、なるほど、面白いですね。確かにそのとおりだと思いました。
初めてペシミストという言葉を耳にして辞書を引いたのは、松任谷由実の楽曲「街角のペシミスト」(アルバム『昨晩お会いしましょう』)を聞いたことでした。中学生の私は「厭世主義者。厭世家。悲観論者。」の意味がよくわからず、かろうじてわかったのは悲観論者のみ。
今でもよくわかりませんが、性善説・性悪説とからめる感じで考えています。

最近少し読書をさぼっていました。なんだか頭が疲れてしまって、漫画ばかり読んでいました(漫画も大好きです)。でも、漫画ばかり読んでいると、活字だけの本が読みたくなります。
ヒトは、やはり考えることを欲する生き物なのかもしれないな、と思いました。
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