絵に日付がしっかりと書き込まれており、2003年1月12日に出来上がった作品だ。
足がついている“子供のおもちゃ”を連想させる。
大きい2つの円を見ていると、可愛いロボットのような気もしてくる。
こういう発想はどこから出てくるのか?
やっぱり、武内の絵は個性的だと改めて思う。
それでいて、幻想的な雰囲気。
絵を見ているうちに、良人の計り知れない“才”について考えてみました。
空中に浮かぶ丸い顔。
この表情をじっと見ていると、可笑し味が湧いてきます。
特に、右側。
この表現は、他の追随を許さない表現だと。
もっと美術的にいうならば、武内はシュールレアリストなんだと思います。
春になってきた。
陽射しが暖かい。
庭のムスカリやヒヤシンスも芽を伸ばし、もうすぐ花が咲く。
春の到来に期待をよせ、吹く風に身をゆだねる。
「いい気持ち。」と思って家に入ると、
ヒロクニさんは、「俺、絵を止めようかな、て思うんよ。どう思う?」と。
時々こういうことを言い出すことは、ちょくちょくあり、わたしはいつも同じことを言う。
「どう思うもなにもないわよ。
まず、3日ぐらい絵を描かない日を送ってからにしてくれる。
止めれるかどうかが問題でしょ。
考えるのはそれから。
でもさ、止めたら何をするの?
家事でもするの?」
家事の部分で、顔が怒りがちになる。
プイッと顔を横に向け、アトリエに消える。
そして、止める話は立ち消えに。
これがいつものパターン。
今回は、ちょっと付け足しを思いついた。
「だけどさ、あなたって普通は晩年になったら、絵のスタイルが固定して、
そのバリエーションで同じような絵を描くようになる人が多いのに、
未だに、新しいスタイルの絵が出てくるじゃない。
これって、凄いことだと思わない?
絵を止めるのは、好きにしたらいいと思うけど。」
わたしの回答に新たなセリフが加わった。
言いながら、わたしの言うこともバージョンアップしたな、と感じていました。
ヒロクニさんは、「確かに・・・。」と考える人になってアトリエに消えた。
しばらくしたら、アトリエから紙に鉛筆を走らす音が激しく聞こえてきて、
わたしは、「しかし、絵を描く行為って、こんなに音がするものなのか?」と思いながら、
一件落着と手のひらに拳を一つ打った。
絵を止めるというが、それは出来ないと思っているのです。
絶対に無理と判断している。
入院している時も制作していたからね・・・。大部屋で。
以前、疲れていると言うので、
「今日は休みにして、1日ぐらい絵を描かない日があってもいいのじゃない?」と休むのを勧めたことがある。
そうすると、「卵焼き焼いて。」とか、「肩揉んで。」とか、今日の晩御飯は何?」とか、
部屋の様子を見て、「これは何でここに置いているの?」とか、手当たり次第に何で?と聞いてくる。
普段、絵を描いていると読書も碌に出来ないとぼやいているので、
「こういう時こそ読書はしないんですか?」と勧めてみた。
返ってきた返事は、「急にしようと思っても、無理だ。読みたくない。」
何だか駄々っ子のようになっていて、子供が母親にまとわりついている状態なんです。
主婦業というのは、小さい用事が重なっていたり、
たいしたことはないのだけれどやっておいた方が、
後々混乱しないための予防線のようなことがあるので、
やらないとすっきりしない気分に陥る種類のものもある。
それが全然はかどらない。
あまり相手にしてはいけないと、心を鬼にし、
言っていることが聞こえてきても、“聞こえてないフリ”をして、“用事に集中しているフリ“をする。
そうしていると、わたしの周りにヒロクニさんの気配がしなくなった。
そう、アトリエでいつものように絵を描いていました。
絵を描かない宣言は、一日持たないのです。
今回の止めようかな?と言った後、アトリエへ行ってから、夕食前まで制作です。
夕食は疲れてあまり食べられないらしく、
「残しているのは、おいて置いて・・・。後で食べるから・・・。
ちょっと疲れすぎて喉に通らないから。」と言い、「お茶いれて。」と。
食器棚にもたれながら、あえいでいます。
こんな調子なのに、どうして絵を止めれると思うのか?
わたしは不思議なのです。
庭では、やっと種を蒔いたビオラが。
↑見やすいように写真を大きくしました。
わたしの気に入りの「クラッシクなビオラ」と名付けた重い黄色のビオラが2苗開花。
今年は、今までになかったレモンイエローの黄色いビオラが登場しました。
ブルーぽい紫。黒っぽい紫、白、ピンク、同じものがない2色展開のビオラ。
まだまだ、つぼみが一杯。
↑この写真は夕方にとったもの。
昼間はつぼみだったのに、夕方になったら咲いていました。
この黄色いヒヤシンスは植えっぱなしにしているものが、毎年咲いてくれるのです。
↑こちらも夕方にとったもの。
こんもり生い茂った野生のビオラ。
ビオラのやや左手前には、随分前に植えつけたヒヤシンスのつぼみが。
ビオラの後ろには、ジャーマンアイリスの尖った葉が大きくなろうとしています。
春は、やっぱりいいな!
時々、「絵を止める。」って言うのです。
絵を描く行為を止めることを、一日も我慢できないのに・・・。
この道、70年。
こういうふうに一筋に続けてきた人だからこそ、思うことなのかもしれません。
今日も最後まで、お読みくださりありがとうございます。
全体的に色のトーンが黒っぽいのに、子供の感じの、あざやかな赤青緑黄色に黄緑というカラフルでポップな色を感じます。子供たちが楽しそうに、おもちゃの足と一緒にくるくる回りながらはしゃいでいるようです。
「絵を止めようかな」どきっとしました。が、冷静なさほりんの対応に気持ちが落ち着きました。「まず、3日ぐらい絵を描かない日を」なるほど、その通りだなあと感心しました。
ヒロクニ先生はご自分の内部で、私には想像できないような葛藤をされているのだろうと思いました。スポーツは相手との戦いですが芸術家は自分との戦いであり、相手がいない戦いは相手がいる戦いの倍以上の負荷が精神的身体的にかかっているのかと、勝手ながら想像しました。
「絵を描く行為を止めることを、一日も我慢できない」自分にはそのようなものはあるかな?と考えましたが、ありませんでした。
お庭の植物が次々と開花して、春の訪れを嬉しく感じます。
レモンイエローのビオラとクラシックなビオラが同じ視界にあると、クラシックなビオラの色がさらに際立つように感じました。中心の茶色から花びらの先へのグラデーションがいつもながら美しいです。
春は葉の伸びと色の勢いも違いますね。みずみずしい緑は生命力にあふれています。この緑を見ていると、最近怠惰な自分を反省し「もう少ししっかり動かねば」と思うのでした。
今年は桜が早いですね。明日から雨とのことなので、一昨日、近所の公園にお花見に行きました。5分から8分咲きの桜の花々は風に散ることもなく薄いピンク色で青空をおおっていました。
体調はいかがでしょうか。季節の変わり目、特に今年は気温差が激しいので身体には結構負荷がかかっていると思います。無理せず、お大事にしてくださいね。
この目のようなの部分、今現在、今の瞬間見直してみると、明泉寺の壁画が、赤と黄の2つの丸でした。オブジェで、レンジの上の部分(角が丸みを帯びたもの)を使って作ったものがあり、レンジの部分を顔のように(仮面?)して、木で足を作り、この絵とよく似た形をしていたなぁと思い出しました。2つの丸の並べたものというのは、ヒロクニさんの中にあるのかもしれないと思いました。オブジェの写真(探さないといけない)、機会があればとりあげようと思いました。見たら、なるほどなのですが、文章では、うまく伝えにくいので。この絵、私的には、好きだったので、ヒロクニさんを褒めすぎました。(笑)
「絵をやめようかな」と、何度か言われてます。(笑)今日は、「90歳まで、絵を描けるかな?」と言っていました。いろいろ思うのだろうね。
「一日も我慢できない」ことってあるかな?の問い、このブログを書いた後、私も考えていました。
ともりんと同じように。私もないなぁーと。
ヒロクニさんは、この道一筋の人だから、こうなって当然なのかも。
今年は、クラッシクの黄色の花がまだ、3苗。どうも、レモンイエローに変化してしまったようで、3苗を大切にしています。今まで調子よく同じものが咲いてくれていました。少し淋しい。
「怠惰な自分を反省し」とありますが、何故か私も、この春は調子が出にくい。そういう時は、ちょっとゆっくりでもいいのでは?私は、時々昼寝までする時がある。春なんだと思うよ。
こちらはようやく桜が咲き始めました。まだ、満開ではありません。東京の方が見ごろになっているようですね。それと、身体への気遣いありがとうございます。もう、私こそ怠惰よ。
ともりんも、身体の声を聞いてみて、疲れを出す時期だったら、ゆっくりしたらいいと思うよ。
お互い「有意義な怠惰」をしましょう。
(私と同じにしてごめんなさい!)
いつも優しい心遣い、染みわたっています。
コメント、いつもありがとう!