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繁栄の外で(34)

2014年06月01日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(34)

 まわりでは結婚をする人間がでてくる。2度目を経験するひともいる。その前には、当然のように離婚というポイントを通過する必要があるのだが。

 なかには可愛い子どもが生まれる場合もある。その彼らの分身を自分は不思議な気持ちで見つめる。きっと、自分自身を愛しすぎる傾向のある場合は、そうしたものを持たない方が良いのではないかという理性的な躊躇の気持ちがはたらく。当然のように、自分はそういう傾向を持っていた。

 世界にはさまざまな職業もある。なにかの役割を演じて、その代償に金銭をもらうことだとそのときの自分はおもっていたのだろうか? 王様は頭にターバンを巻き誰かに指図し、兵隊は銃をピカピカに磨き靴の重さで音をたてる。その頃、学生時代の女ともだちが水商売のひととして働いていた。友人たち数人で面白半分に、その店へ向かった。まあ、あちらも金銭を落としてもらう必要もあるし、こちらも楽しいひとときと後々の面白い話題が見つかれば、という遊び半分の気持ちで。

 彼女らは、自分が誰かに好意を持っていることを見せかけるという役割があるのかもしれない。また、ないのかもしれない。そういう気持ちに精通していない自分は、分からないことも多い。だが、いくらか分かることもある。

 自分が猟のわなにひっかかって身動きがとれなくなってしまったウサギのような状態にあることをしる。そのことは、そのお店で働いていた別の女性の顔を見た瞬間に、自分が追い求めていた(20数年間)顔を持っているひとがいたという驚きがあったからだ。

 気楽に話せる人と話せない人の差が大きい自分は、最初のうちは戸惑ったがなんとか会話をするようになった。だが、いつもいつも働いている子がとなりにいるわけもないので、目の端で追うことになる。それは、見つからないように自然と行っていたはずだが、他のひとから見たらあまりにも意識しすぎで完全にばれていた。

 そして、何度かの二日酔いと金銭の浪費を行い、その子の顔を眺めた。それだけで、心地のよい瞬間でもあった。

 たぶん秋ごろであっただろうが、その子の誕生日があった。ぼくはプレゼントを買い込み、それを手渡した。彼女は、喜んでくれた。ひとは何かの役割で生きているものだ。しかし、自分は根本的に人を悪意をもってみたり、裏をかいてみたりすることができなかった。口は悪いが、根は正直なひとたちに囲まれて育ったので、彼女の喜びを、そのままのサイズで受け止めた。

 ただ、自分がまたもや恋の幻影につかまえられていることに驚くばかりだ。基本的に人間は(はっきり言ってしまえばぼくは)何事も学ばないし、成長しない生き物なのだろう。しかし、どう理屈をつけてみても恋は恋だった。古臭い歌のように事実の提示は、みっともないものである。

 そのプレゼントが馴染んだころで、告白でもしようと思ったのだろう、日にちを決める。店に行く。彼女がいる。彼女が席を立った瞬間にぼくもあとを追う。言うべき言葉は喉元まででかかっている。フライングの危険さへ戒めれば。

 しかし、ぼくが目にするのは、常連さんと(明らかに彼女に気がある)楽しげに話している彼女の姿である。それは商売なのだから、そうするのは理解できるのだが、ぼくはリゾート地での、君江という痩せたおんなの子のシルエットがいつの間にか目の前に出現し、彼女と重なり合っていることを知る。その影を振り払うことができなかった。

 ぼくは、そのまま席に戻り、またもや水割りを口にする。言うべき言葉は、外に出なかった。そもそも、出ない運命にあったのだろうか。エンジン・トラブルのため宇宙飛行士は待機してください、と命令されるように。

 あの時、もうちょっとバランスを取り、自分をアピールして、自分を弁護して、参考人を呼び、自分の潔白であることを証言してもらいという段階を踏めば、人生はいくらか変わっていたかもしれない。だが、やっぱり変わっていなかったのかもしれない。

 しかし、誰のものであろうが、あの顔を自分は好きであることをしる。もっとずっと後になって10年以上も経って、スペインの地である彫刻を目にして彼女とそっくりである事実と対面する。忘れていたと思っていたが、思っていただけだった。いまでも、元気でいるのだろうか?