繁栄の外で(46)
自分が運命のあやつり人形に過ぎないと感じてしまう一日がある。まさに、この日はそうだった。自分の意思などまったく考慮にいれられず世界はすすんでいくのだろうか?
友人に誘われ、車で1時間半ぐらい離れた景色の良い川辺でバーベキューをすることになった。いつもより幾分はやく起き、ラフな身動きのとりやすい格好で友人の車を待っていた。食材やバーベキューに使う道具も用意され、ぼくはなにもすることがなかった。ただ、いくらか働き、いくらか肉を焼き、そして運転の心配もないので適度に冷えたビールを飲むことも許されていた。
その日は、秋のとっておきの快晴が待っていた。空は高く空気は乾いていて、樹木のにおいも爽快な気持ちをふくらませることに役立っていた。川では、こどもたちが釣りをして、これも適度な大きさの平べったい石を川面にすべらせているひともいた。
それでも、あまり大々的に紹介されてもいない場所らしく、ひとびとの間隔はきちんと確保され、混雑しているとはいえなかった。となりで他のグループの存在は確認できるが、声はきこえてこないというちょうど良いスペースが保たれていた。
満足するまで食べ、最後にはデザートとしてならばボリュームがあり過ぎる焼きそばが作られ、それもみんなで食べた。ビールが入ったクーラー・ボックスは底を見せ始め、そろそろ後片付けをしようかという段階になった。いくらか一日分の日焼けのため身体が赤くなったが、夏のような陽射しでもないので、シャワーがしみるほどまではいっていないだろう。同行者の子どもたちも楽しかったらしく、また満腹にもなって身体を動かすのが億劫なかんじを見せた。自分もこのまま何もせずのんびり川原の大きな石に腰掛けたままでいたかった。空はまだまだ青かった。
それでも、支度があった。使い終わった調理器具を簡単に洗ってしまおうと簡易的な流しがある場所にむかった。そこで下を向いて丁寧ともいえない感じですすいでいると、となりの男性が声をかけた。もう会うのは10年以上経っていたかもしれない。それで、いくらかその顔を自分の中のイメージと一致させることが難しかったのだろう。しかし、その2つのイメージは合致した。ぼくが、10年近く前に交際していた多恵子という子の兄だった。まさか、こんな場所で会うとは。
「よっ、久しぶり。元気にしてた?」と彼は声をかけた。
「まあ、なんとか」とぼくは、これもなんとか答えた。
彼と最後に会ったのは、ぼくが彼の妹を傷つけ、その仕返しにぼくの頬をなぐったときが、きっと最後であるはずだった。きっとではない、ぼくは知っていたはずだ。確実に最後の場面を思い出していた。
「あの時は、悪かったな」と2人の脳裏にある事柄のため、彼はあやまった。今更、あやまってもらう必要もないし、彼女の痛手に比べたら、ぼくの頬などには蚊に刺されたくらいの痛みしかなかったであろう。それは、痛みともいえないかもしれない。
「多恵子は、どうしてます?」
「やっぱり、いまでも気になっていたのか?」と彼が言ったそばから、ぼくは首をうなだれるような形でうなずいた。彼は、「会わすわけにはいかないけど・・・」と言って少しためらってから、多少の酔いも無言の加勢となって手伝っていたかもしれない、おれについてこい、という様子をみせた。ぼくは、食器などを流しにおいたまま、その後についていった。
彼は、首だけで方向を指した。木陰の向こうに女性がいた。それは、まぎれもなく多恵子であった。となりには7,8歳ぐらいの男の子がいた。その子の洋服の汚れでも取っているのだろうか熱心に手を動かしていた。こちらを見てほしいとも思ったが、このまま気付かずにいてもほしかった。ぼくには、数年来の安堵があった。
ぼくは、そこから離れその残像とともに、乾き始めた食器を両手にもち歩き出した。彼女の居場所はこのまま分からないだろう。ただ、存在が確認できれば、それだけで良かった。そのとき、さきほどの少年が、サッカーボールを器用とは呼べない感じで転がしていたが、いつの間にか、それは歩いているぼくの目の前にまで転がって来ていた。両手はふさがっていたが、ちょうどテーブルがあったのでそこにいったん置き、ボールを蹴り返した。それはきれいな放物線を描き、彼の足元にすぽっと入って止まった。
「ありがとう」と、しつけの良さそうな口調で、その男の子はこちらにきこえそうな音量でいった。ぼくは、彼にありがとう、などといってもらう身分ではなかった。ぼくは、彼のお母さんを醜いほど傷つけてしまった過去があった。しかし、そのこととも別れる時期が来ていたのかもしれない。
帰りの車の中で、自分はいつも以上に無口であった。しかし、誰も心配しなかった。ただ、疲れているだけだろうと思っていたのだろう。声をかけられないことに助けられ、いくつかの過去の映像を引っ張り出し、10年も前のぼくと彼女を思い出した。そして、アナザー・ライフというものがもしあるならば、きっと多恵子を離すことはなかったのにと、自分の失敗の利子を払い続ける人生を考えるのだった。
自分が運命のあやつり人形に過ぎないと感じてしまう一日がある。まさに、この日はそうだった。自分の意思などまったく考慮にいれられず世界はすすんでいくのだろうか?
友人に誘われ、車で1時間半ぐらい離れた景色の良い川辺でバーベキューをすることになった。いつもより幾分はやく起き、ラフな身動きのとりやすい格好で友人の車を待っていた。食材やバーベキューに使う道具も用意され、ぼくはなにもすることがなかった。ただ、いくらか働き、いくらか肉を焼き、そして運転の心配もないので適度に冷えたビールを飲むことも許されていた。
その日は、秋のとっておきの快晴が待っていた。空は高く空気は乾いていて、樹木のにおいも爽快な気持ちをふくらませることに役立っていた。川では、こどもたちが釣りをして、これも適度な大きさの平べったい石を川面にすべらせているひともいた。
それでも、あまり大々的に紹介されてもいない場所らしく、ひとびとの間隔はきちんと確保され、混雑しているとはいえなかった。となりで他のグループの存在は確認できるが、声はきこえてこないというちょうど良いスペースが保たれていた。
満足するまで食べ、最後にはデザートとしてならばボリュームがあり過ぎる焼きそばが作られ、それもみんなで食べた。ビールが入ったクーラー・ボックスは底を見せ始め、そろそろ後片付けをしようかという段階になった。いくらか一日分の日焼けのため身体が赤くなったが、夏のような陽射しでもないので、シャワーがしみるほどまではいっていないだろう。同行者の子どもたちも楽しかったらしく、また満腹にもなって身体を動かすのが億劫なかんじを見せた。自分もこのまま何もせずのんびり川原の大きな石に腰掛けたままでいたかった。空はまだまだ青かった。
それでも、支度があった。使い終わった調理器具を簡単に洗ってしまおうと簡易的な流しがある場所にむかった。そこで下を向いて丁寧ともいえない感じですすいでいると、となりの男性が声をかけた。もう会うのは10年以上経っていたかもしれない。それで、いくらかその顔を自分の中のイメージと一致させることが難しかったのだろう。しかし、その2つのイメージは合致した。ぼくが、10年近く前に交際していた多恵子という子の兄だった。まさか、こんな場所で会うとは。
「よっ、久しぶり。元気にしてた?」と彼は声をかけた。
「まあ、なんとか」とぼくは、これもなんとか答えた。
彼と最後に会ったのは、ぼくが彼の妹を傷つけ、その仕返しにぼくの頬をなぐったときが、きっと最後であるはずだった。きっとではない、ぼくは知っていたはずだ。確実に最後の場面を思い出していた。
「あの時は、悪かったな」と2人の脳裏にある事柄のため、彼はあやまった。今更、あやまってもらう必要もないし、彼女の痛手に比べたら、ぼくの頬などには蚊に刺されたくらいの痛みしかなかったであろう。それは、痛みともいえないかもしれない。
「多恵子は、どうしてます?」
「やっぱり、いまでも気になっていたのか?」と彼が言ったそばから、ぼくは首をうなだれるような形でうなずいた。彼は、「会わすわけにはいかないけど・・・」と言って少しためらってから、多少の酔いも無言の加勢となって手伝っていたかもしれない、おれについてこい、という様子をみせた。ぼくは、食器などを流しにおいたまま、その後についていった。
彼は、首だけで方向を指した。木陰の向こうに女性がいた。それは、まぎれもなく多恵子であった。となりには7,8歳ぐらいの男の子がいた。その子の洋服の汚れでも取っているのだろうか熱心に手を動かしていた。こちらを見てほしいとも思ったが、このまま気付かずにいてもほしかった。ぼくには、数年来の安堵があった。
ぼくは、そこから離れその残像とともに、乾き始めた食器を両手にもち歩き出した。彼女の居場所はこのまま分からないだろう。ただ、存在が確認できれば、それだけで良かった。そのとき、さきほどの少年が、サッカーボールを器用とは呼べない感じで転がしていたが、いつの間にか、それは歩いているぼくの目の前にまで転がって来ていた。両手はふさがっていたが、ちょうどテーブルがあったのでそこにいったん置き、ボールを蹴り返した。それはきれいな放物線を描き、彼の足元にすぽっと入って止まった。
「ありがとう」と、しつけの良さそうな口調で、その男の子はこちらにきこえそうな音量でいった。ぼくは、彼にありがとう、などといってもらう身分ではなかった。ぼくは、彼のお母さんを醜いほど傷つけてしまった過去があった。しかし、そのこととも別れる時期が来ていたのかもしれない。
帰りの車の中で、自分はいつも以上に無口であった。しかし、誰も心配しなかった。ただ、疲れているだけだろうと思っていたのだろう。声をかけられないことに助けられ、いくつかの過去の映像を引っ張り出し、10年も前のぼくと彼女を思い出した。そして、アナザー・ライフというものがもしあるならば、きっと多恵子を離すことはなかったのにと、自分の失敗の利子を払い続ける人生を考えるのだった。