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繁栄の外で(37)

2014年06月05日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(37)

 避けられない事実として、何人かが命を終える。しかし、正確な日付は覚えていない。もっと記憶力がましであればとも思うが、このぐらいが限度だろう。

 どれも自分が20代におこったことは間違いないはずだ。先ずは、自分が学生時代に陸上部に所属していたときの一学年先輩のひとが亡くなったと聞く。その先輩は中距離や長距離がはやかった。自分が住んでいる区での大会でも、常に優秀な成績を残したし、走るときにはいつも人を寄せ付けない孤高な感じがあった。

 自分は短距離走者だったので自分の練習もかね、交代で学校のまわりを一週ずつ先導する。ペースメーカーとしての役目。その練習がとてもきつかったことだけは、しっかりと記憶されている。2度と、あんなことはしたくないと思いながらも。

 もちろん、学校からも部活動からも離れてしまえば接することも少なくなり、その後の彼のことはあまり知らない。ただ、ある日情報が耳に飛び込んだときには、もうその人がいなくなっていることになる。過去にしまわれた映像が頭のどこかから呼び出され、再生される。その再生される回数もだんだんと減り、自分のその頭脳もいずれ無くなってしまうのだろう。

 次は、同級生の女性が亡くなった。現代の医学では治らない病気にかかっていたときく。彼女の元気な姿を思い出せるが、その病状を見舞うほどの仲でもないので、その後の経過をしらない。おそらく髪は抜けやつれていくのだろう。一般的な知識としてはしっているが、それを彼女に当てはめたくないと願っている自分もたしかにいる。

 その女性も地上から消え(いまだに信じられない気持ちがある)どこか安らかなところに行ってしまったのだろう。もっと医学がすすみ、治らないものもいつかは治療されることがあるかもしれない。だが、現在は限られた命を限られた医療でなおすしかない。それは、ぼくの問題ではなく、どこかの病院の先生か製薬会社のひとが考えることだろう。けっして、ぼくの問題ではない。彼女の母を路上で見かけ、抜け殻のようになってしまった印象を受けた。

 最後には、祖母が亡くなる。自分もそのひとを記憶し、そのひとも自分の幼少期をしっている。そのような一人がいなくなってしまう寂しさを、口では言い表すことは不可能かもしれない。だが、いくらかはできるだろう。

 祖母は、母を産んだ。母には年の離れた兄がいて、墨田区に住んでいた。そこに大体は一緒に暮らしていた。しかし、なんの取り決めがあったのかは子どもには分からなかったが、ぼくらと暮らしている時期もあった。ぼくが小学生のときにもそれは重なっている。

 ぼくの父が家から10分ほど離れたところに新しい家を建てた。完成は夏休みの時期とも合い、大工さんに飲み物や軽食を一緒に差し入れたりした。完成後、一晩だけ留守番もかねいっしょに新築の家に泊まった。祖母というのはおおむねそのようなものであろうが、自分にも無条件に優しかった。あのように接してくれるのは、世の中に祖母ぐらいなものではないのか? すくなくとも何年かはいっしょに暮らす時期があってよかったと思っている。孝行のあるなしにかかわらずに。

 母の兄は大工で、下町と呼ばれる地域に住み、学校のPTAの会長もしていた。不思議なことに、そのときの校長はぼくが学生のときに、ぼくの学校に移ってきた。ぼくは、校長室に呼ばれ、なんとなく世間話に付き合わされる。目立つようにはしなかったが、友達たちは奇異な目でぼくを見る。校長に呼ばれるというのは大事件を起したときだけだろう。

 幼少期に母に連れられ、祖母に会いに行く。町並みはこじんまりとして狭い路地をくねくね曲がりながらそこにたどりつく。あまり、自分を主張しない子ども時代の自分は人質のように、ひとりでそこに泊まることになる。いとこやおじさんといっしょに銭湯にいき、ちかくでお祭りがあると、いろいろな衣装を着せられ、そこにも連れて行かれる。そのような下町の雰囲気に、いくらかの抵抗感がいつもこころのどこかに眠っていた。

 子どもが根っから好きなおじさんは、思い出したかのように「ここのうちの子になれ」といって自分にいささかの恐怖感を与えた。競馬をみては「お前も騎手になれ、そのために大きくなるな」と無茶なこともいった。その言葉にも無条件の恐怖を覚える。身体なんか勝手に大きくなってしまうじゃないか、という言葉が口からは出ないが存在した。祖母はぼくを連れ出しお小遣いをくれる。亀戸には大きな亀がいて、ぼくはそれを思い出している。 
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