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繁栄の外で(60)

2014年06月30日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(60)

 スペインから帰って、新たな職場に移った。同じグループ内にいるので大まかな仕事の流れは分かっている。偶然にも前のところと今のところの上司同士は知り合いだったらしい。世界は、限りなく狭いのだ。

 するべきことも大体は覚え、給料以上のはたらきはしていたと思う。そこが問題なのだ。少ないお金でたくさん働くこと。だが、そうはいっても残業もしなくなってしまった。夕方の一定時刻になれば、外にでてこのころからか自分の地元の安酒場で飲むことが頻繁になっていく。

 ひとりで飲むことも覚えたし、またその反動で大勢で飲むときには度を越して騒ぐようにもなってしまった。

 いままでの職場の環境と違うことは主婦が多かったことだ。その子どもたちの話を聞くことが、ぼくは好きになっていく。ある男の子は小学生低学年なのに、なにかあるとリフレッシュのためシャワーを浴びてしまう。お母さんにきつくしかられ、部屋にこもって落ち込んでいるのかしら? とそこを覗くと彼の姿は見えない。反省していない素振りで、彼は風呂から上がってきている、というような話を日常的にきいた。子どもっていうのは面白いものだ。

 土日はきちんと休み、たまには遠くに行けないので日帰り旅行をした。箱根をまわり、江ノ島に行った。同行者といつもデジカメで景色をとりまくっていた。

 数人の女性のことも頭に浮かぶ。前の職場にいた長身の子が自分の頭の中に出てくるようになった。そんなに会話らしいこともしなかったし、たぶん向こうもぼくのことを覚えていないとは思っていた。一度、彼女の友人が会社を辞める際に(そちらの辞める子とぼくは同じグループだった)目にして楽しい環境で話せたが、どうも別の会話からもう決まったボーイフレンドがいるらしく、自分はただその話をきこえないふりをしただけだった。それで、なにも発展しないままで終わる。

 旅行でツアーにいると大体きれいな子がいるものだ。自分は、もう以前のような人見知りはしなかった。連絡先をきくぐらいのことは出来るようになっていた。それで気になった子ができても、自分は意図的にきかなかった。どこかで、運命論者でありつづけようと努力した。もし、会うべきひとがこの世でいるなら、街中のどこかで再会するべきだし、きっかけは向こうからやってくる必然性を感じていたかった。このように無計画な人間には、あまり幸せは追いついてこないようにも思えた。だが、結論としてはそれで良かった。

 ある日、職場の上司が自分のことを目にかけてくれるようになっている。ぼくを誉め、その仕事ぶりを評価し、のちのちは社員にしてあげる、というようなことまで言った。ぼくは、父親との関係があまり良くなかったものなので、年上の男性ともきちんとした関係をもつことが苦手だった。その反面、どこにいっても年上の女性とは仕事上で問題を起こしたことはなかった。ある面では決定的にマザコンなのだろう。

 その上司の執拗さで、何回か面接を繰り返し、契約社員になった。時代は、世界恐慌のちょっと前である。そんなに大成長は見えないかもしれないが、なんとなく破滅は避けられたという日本の経済の状態があった。自分は、少し前にちょっとだけ株をやり、ほんの少しの儲けとさらにもっと少ない損をだしたことで、お金の流れとそのヒントを現場的に学んだ。だが、もともとの元金が少ないので、直ぐやめてしまった。

 上司も周りの同僚たちも良かった、と言ってくれ、そのことを両親にも話しなさいと口を酸っぱくして言って来た。自分は仕方なしに、自分の現状を報告した。だが、自分はこころのどこかで、これはまぼろしなんだ、と思い続けていた。

 契約期間が切れる前に、また何度かテストを受け、面接をしてもらった。ぼくの上司と人事権のある別の部署の上司には温度差があり、ぼくに対する評価ももちろん一定していなかった。さらにアメリカ発の金融危機(それでもアメリカを好きでいられるのか?)があり、世間は切り詰められる箇所を考え続けていた。そして、ぼくの存在は会社にとっていらない、ということになり最終決断が下された。面接の評価が悪かったらしいが、そもそもそこに座ったときに、辞めさせる理由を見つけることだけに励んでいる彼らの姿があった。だが、多くの人事を経験したひとの評価はすべて正しいものである。ぼくに、なんの抵抗もこだわりもなかった。だが、時期的にはいちばんまずい時期だった。

 しかし、この決定を生かすも殺すも今後の自分自身の在り方であった。あの時、あの決定があって良かったなと思えるように、ぼくはこれから暮らすことになるのだろう。その前に、限りなくぼくの評価を上げ続け、甘い採点をしてくれた上司に感謝することにする。

 世間の評価など、いささかも気にかけて生活したことはないが、こころの数パーセントでは、それを望んでいたのかもしれない。誰かが、ぼくの耳元でそっと、ぼくに対しての愛ある言葉を吐くことを願っていたのだろう。そのことは、ぼくはいたく感謝している。

 だが、世間的にはぼくはこの無常な世界に放り出され、新しい職を見つけなければならない。もうすでに40になろうとしていた。これといった資格もなく、これといった特技もなかった。だが、育てるべき子どももいないということは幸いだろう。日本にいる何人かは、そのような状態に置かれたひともいるのだろう。家のローンが滞ることを恐れる感情ぐらいは、当事者ではなくても理解できた。

 こうして、およそ40年の人生を書き終えることにする。何人かの友人は残り、何人かのメール・アドレスは携帯電話に入っている。電波がつながっている以上は、まったくのひとりでもないのだろう。

 多少の暑さ寒さはあっても、快適な青空がぼくを待っている。それに所有されているという感覚がある。顔を洗ってヒゲでも剃って、出直すことにしよう。アイロンのきいたワイシャツもあることだし、ネクタイの結び方も簡単に忘れるわけもないのだし。 


(終わり)
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