繁栄の外で(43)
明日は、けっして分からないものだという。その通りかもしれない。
ある女性の存在がいつの間にか、自分の内面に忍び込んでいる。そこで居場所を作っている。そのひとは、ぼくより2才ほど年上で、時期によっては3才うえになったりする。
ぼくは、もう30に近付き、すべてを流れだけに任せることはしなくなっている。冷静に判断し、こころのなかを点検し整備し、それでも、これが恋という感情であることは間違いないようだった。
自分のことを考えてしまう。男兄弟のなかで育ったせいで、姉のようなものが欲しかったのかもしれないし、女性を尊敬したいという気持ちが働いていたのかもしれない。自分と世界のあいだに立って、和解させてくれる存在も必要だったのかもしれない。いろいろな欲求がうまれる。自分は、世界としっくりした関係がもてるのだろうか? そう悩んでいるわけでもないが、自分が世界に対して仮住まいしているような状態であることは間違いないようだった。
そのひとは、賢い女性だった。そのひとを知らなければ、女性というものを2割ほど差し引いたものとして考えていたかもしれない。とくに、彼女の会話の仕方に感心する。ぼくの不得意なことだが、誰かから聞いた話をもう一度第三者に披露するとき、構成がたどたどしくなってしまうときがある。自分の頭の中で理解していることは、ほかのひとも理解するであろうという目論見の甘さがある。彼女は、きちんと話の流れを整理し、いらない部分は割愛し、足りない部分は補足して、どんでんがえしがあったり、きちんと終わりをまとめたりすることができた。そのことに何度純粋な喜びを感じたことだろう。
ぼくは、基本的にひとりでしか美術館にはいらなかった。真剣勝負にほかのひとが入る余地はなかったのかもしれない。だが、なぜか彼女とは一緒にいて、不快に思ったことは一度もなかった。いま、考えても不思議なことだ。新宿でシスレー(たぶん最高の画家のひとり。この地味さが自分の性分とぴったり合う)を見たり、渋谷でマグリットをみた。まだ、交際する前に、上野でオルセー展もみたりした。なぜか、このチケットを無料でくれた人がいた。
ぼくは、結婚などをしたいと思うことはあまりなかったが、ただ一度だけ、このひとなら問題はないだろうと考えた。それは、いくらかの決意と覚悟がいる。人生は折り返しに近付き、孤独でずっといる訳にもいかなかった。そして、彼女にプロポーズをする。すぐに答えはなかった。
その答えを得られないまま彼女は父親の仕事の関係でアジアの国にいる。なんどかメールや電話のやりとりをする。いま考えると、ぼくには優しさの容量が大昔のパソコンのように決定的にないことをしっているが、そのときはかなり無茶なことを言ったと思う。メールの返事がすくないとか、いろいろと。あちらではたぶん環境が揃っていないし、精一杯のことはしていたのではないかと思う。
そして、もう一度返事を要望するが、それはまだなかった。電話だけでつながっている関係は、それはそれで薄いのかとも思う。しかし、ぼくはここらで、もしかしたら終わりにしていたのかもしれない。
彼女は、東京に戻っている。ぼくたちの交際はまだ継続している。でも、もうそれは過去に大ヒットした映画のできの悪い続編のようなものだったかもしれない。もう、あのみんなで力をあわせて成功させる労力などなかったのかもしれない。ただ、時間だけがすぎてしまった。誰が悪いわけでもないだろう。しかし、ぼくにもう少しだけ優しさの容量があったなら、結果は違っていたかもしれないが、それは尽きない問題のひとつである。ぼくは、それとずっと付き合っていかなければならないしね。
その後、ぼくの好みも変わっていく。多少、頭の中身のできが悪かろうが、尊敬できなかろうが、そんなことは些細な問題にしてしまう。一生懸命ならば、そこは目をつぶってしまっていいぐらいの条件じゃないかと。まあ、彼女も懸命なひとであったが、ぼくには出来すぎたひとでもあったのだろう。
その後、ぼくには圧倒的なまでに誰かの存在がこころに入ることはなくなった。何事も時期がある。すべてのものに時がある。さがすのにも時があって、植えるのにも時があるようだ。
もうあれから10年も経ったのかと思うと、人生というのは転がり続ける石のようなものかもしれない。
明日は、けっして分からないものだという。その通りかもしれない。
ある女性の存在がいつの間にか、自分の内面に忍び込んでいる。そこで居場所を作っている。そのひとは、ぼくより2才ほど年上で、時期によっては3才うえになったりする。
ぼくは、もう30に近付き、すべてを流れだけに任せることはしなくなっている。冷静に判断し、こころのなかを点検し整備し、それでも、これが恋という感情であることは間違いないようだった。
自分のことを考えてしまう。男兄弟のなかで育ったせいで、姉のようなものが欲しかったのかもしれないし、女性を尊敬したいという気持ちが働いていたのかもしれない。自分と世界のあいだに立って、和解させてくれる存在も必要だったのかもしれない。いろいろな欲求がうまれる。自分は、世界としっくりした関係がもてるのだろうか? そう悩んでいるわけでもないが、自分が世界に対して仮住まいしているような状態であることは間違いないようだった。
そのひとは、賢い女性だった。そのひとを知らなければ、女性というものを2割ほど差し引いたものとして考えていたかもしれない。とくに、彼女の会話の仕方に感心する。ぼくの不得意なことだが、誰かから聞いた話をもう一度第三者に披露するとき、構成がたどたどしくなってしまうときがある。自分の頭の中で理解していることは、ほかのひとも理解するであろうという目論見の甘さがある。彼女は、きちんと話の流れを整理し、いらない部分は割愛し、足りない部分は補足して、どんでんがえしがあったり、きちんと終わりをまとめたりすることができた。そのことに何度純粋な喜びを感じたことだろう。
ぼくは、基本的にひとりでしか美術館にはいらなかった。真剣勝負にほかのひとが入る余地はなかったのかもしれない。だが、なぜか彼女とは一緒にいて、不快に思ったことは一度もなかった。いま、考えても不思議なことだ。新宿でシスレー(たぶん最高の画家のひとり。この地味さが自分の性分とぴったり合う)を見たり、渋谷でマグリットをみた。まだ、交際する前に、上野でオルセー展もみたりした。なぜか、このチケットを無料でくれた人がいた。
ぼくは、結婚などをしたいと思うことはあまりなかったが、ただ一度だけ、このひとなら問題はないだろうと考えた。それは、いくらかの決意と覚悟がいる。人生は折り返しに近付き、孤独でずっといる訳にもいかなかった。そして、彼女にプロポーズをする。すぐに答えはなかった。
その答えを得られないまま彼女は父親の仕事の関係でアジアの国にいる。なんどかメールや電話のやりとりをする。いま考えると、ぼくには優しさの容量が大昔のパソコンのように決定的にないことをしっているが、そのときはかなり無茶なことを言ったと思う。メールの返事がすくないとか、いろいろと。あちらではたぶん環境が揃っていないし、精一杯のことはしていたのではないかと思う。
そして、もう一度返事を要望するが、それはまだなかった。電話だけでつながっている関係は、それはそれで薄いのかとも思う。しかし、ぼくはここらで、もしかしたら終わりにしていたのかもしれない。
彼女は、東京に戻っている。ぼくたちの交際はまだ継続している。でも、もうそれは過去に大ヒットした映画のできの悪い続編のようなものだったかもしれない。もう、あのみんなで力をあわせて成功させる労力などなかったのかもしれない。ただ、時間だけがすぎてしまった。誰が悪いわけでもないだろう。しかし、ぼくにもう少しだけ優しさの容量があったなら、結果は違っていたかもしれないが、それは尽きない問題のひとつである。ぼくは、それとずっと付き合っていかなければならないしね。
その後、ぼくの好みも変わっていく。多少、頭の中身のできが悪かろうが、尊敬できなかろうが、そんなことは些細な問題にしてしまう。一生懸命ならば、そこは目をつぶってしまっていいぐらいの条件じゃないかと。まあ、彼女も懸命なひとであったが、ぼくには出来すぎたひとでもあったのだろう。
その後、ぼくには圧倒的なまでに誰かの存在がこころに入ることはなくなった。何事も時期がある。すべてのものに時がある。さがすのにも時があって、植えるのにも時があるようだ。
もうあれから10年も経ったのかと思うと、人生というのは転がり続ける石のようなものかもしれない。