38歳-32
誰かに恋焦がれるということの対象は女性に限ったことであろうか。
ぼくも、もう三十八才なのだ。より壮大な人類愛に目覚めたとしても、決して罰はあたらないだろう。もちろん精神的なことにというタイトルをつけて限定される話だが。
ある一人のひとが居なかった世界を真っ向から拒絶する。
アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがジャズのレーベルを立ち上げる。アメリカ合衆国で。船で祖国を離れて。もし彼らが浮かんだ計画を実現していなければ、ぼくはレコードやCDを一時的にせよコレクションすることもなかったのだ。実際のところ、冷静に判断すれば、その誘惑に負けたかもしれないが、確実に棚の枚数は減っていたはずなのだ。彼らの作り上げた、もしくは採取した音楽はとても魅力があった。ジャケットもアートになり得るということも教えてくれた。天才という言葉を軽々しく使いつづける人類。ぼくは彼らにもその言葉をあてはめない。ただ淡々と(底辺にながれる深い情熱で)仕事をこなす立派さ。一時的な華やぎではないのだ。そこに永続性を帯びる不思議さもある。
仮に。もし、ドイツに居つづけたら? すると、ヒトラーの行った唯一、素晴らしかったことは彼らにとってドイツという国を住みにくくしたことなのだ。追い出された地で実が結ぶ。外国人の耳というのは固定観念を脱ぎ捨てれば、時折り重要な価値を与え、到達できない仕事をのこさせる。
より身近に。三十八才の人類愛。音楽への捨て切れない情熱。
対象には名前はある。仮にT・Hとする。ベーシスト。
低音の有無こそが音楽のクオリティを左右する。ぼくは家のうらにあった小さなジャズ・ハウスで彼を発見する。ウッド・ベースという持ち運びに不便な楽器がすでに室内に置かれ、主人のないままに横たわっている。
ぼくは年に四度ある会計がもたらす残業が片付いてゆっくりとした日々を黒いビールを飲みながら座席にすわって実感している。特に目当てというひとがいるわけでもない。この日までは。
誰に会わなくてもいい、電話をすることも必要ない。その解放感がすべてのような時間だった。お詫びも催促もいらない。誰に気に入られる必要もない。どこにも劣等感も優越感も起こらない。ただビールの減り具合だけを気にしているだけの時間だった。
今日、演奏するであろうひとが部屋の片隅でコーヒーを飲み、軽食を口に入れている。はっきりといえば自分の特技や技能を職業にしているひとの誇らしさが彼らにあるようだった。だが、その才能がなければひとは衝動として突き動かされることも減り、安定した気分でいられるのも確かだった。ぼくは絵美のことをすっかりと忘れていた。思い出すと、なにかの記念日とか、しなければならない未来のいくつかのことに少しだけ憂鬱になった。
ぼくは自由であることを望んではいなかったが、この場所で取得していた。トイレに行ったり、店主と雑談をしたりした。そこには本もたくさん並べられている。数冊をぱらぱらとめくる。視力には良くないであろう薄暗い明りなので根気をいれることもない。ただの待ち時間のためで、暇つぶしだった。
ブルー・ノートのレコードを一枚選び、店主にかけてもらう。大きなスピーカとそれに見合ったアンプが個人の家での限界を忘れさせてくれる。小さいという面はある面では貴重で、反対に大きさや重厚さもふさわしいときがある。電話など小さくなればなるほどいいと思うが、手のひらにしっくりとくるサイズも計算にいれる。聴くということに重点を置いた自分だったが、なにかを演奏するとか表現するという才能はまったくないようだった。だから、レコードの内容にも精通していて演奏者より詳しい部分もある。だが、それを音とかコードという実際的なノウハウに移す場合、この費やした時間はまったくの無意味になった。無意味にならないということを追い求めるだけも能ではない。ほとんどのことが無駄であり、暇つぶしであるとも言えた。
ファンというものは総じてそういう輩だった。監督の気分になってスポーツを観戦する。交代のタイミングを計る。攻撃のパターンを考えたり、踏襲したりする。理想というのは現実に踏み入れないからこそ、幻想であり、楽しい事態のままで納まった。
すると演奏がはじまる。ピアノ・トリオ。ベースの豪快な音に耳が向く。科学者のような理知的な風貌からは想像できない挑みかかるような音だった。彼が長いソロを取る。イントロからずっとベースだけが主役の演奏だ。曲はダーク・アイズ。ブロードウェイも弾く。スタンダードになるには時間を要する。歴史の一部になるということは踏み固められてほこりの舞い散らない砂のようなものだった。土になり、雑草も生えないまでに固められる。
演奏が終わる。ぼくは声をかける。ほとんど貸切のような状態だったのだ。占有できた時間と場所。ぼくはひとを誉めることに遠慮しない。多分、唯一の長所であり、同様にけなすこともいとわない。
重い扉を開ける。思いベースを担いで帰る必要もない。ポケットに携帯電話があるぐらいだ。引っ張り出すと絵美からの着信があった。ぼくは彼女を占有する。いや、しない。きな臭い予感のために自分の育った場所を、あらゆる理由にせよ去る必要もない。だが、ほんの数歩で家に着いてしまう。もう、夜も遅かった。明日にすべてをもちこし今日は寝ることに決めた。
誰かに恋焦がれるということの対象は女性に限ったことであろうか。
ぼくも、もう三十八才なのだ。より壮大な人類愛に目覚めたとしても、決して罰はあたらないだろう。もちろん精神的なことにというタイトルをつけて限定される話だが。
ある一人のひとが居なかった世界を真っ向から拒絶する。
アルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフがジャズのレーベルを立ち上げる。アメリカ合衆国で。船で祖国を離れて。もし彼らが浮かんだ計画を実現していなければ、ぼくはレコードやCDを一時的にせよコレクションすることもなかったのだ。実際のところ、冷静に判断すれば、その誘惑に負けたかもしれないが、確実に棚の枚数は減っていたはずなのだ。彼らの作り上げた、もしくは採取した音楽はとても魅力があった。ジャケットもアートになり得るということも教えてくれた。天才という言葉を軽々しく使いつづける人類。ぼくは彼らにもその言葉をあてはめない。ただ淡々と(底辺にながれる深い情熱で)仕事をこなす立派さ。一時的な華やぎではないのだ。そこに永続性を帯びる不思議さもある。
仮に。もし、ドイツに居つづけたら? すると、ヒトラーの行った唯一、素晴らしかったことは彼らにとってドイツという国を住みにくくしたことなのだ。追い出された地で実が結ぶ。外国人の耳というのは固定観念を脱ぎ捨てれば、時折り重要な価値を与え、到達できない仕事をのこさせる。
より身近に。三十八才の人類愛。音楽への捨て切れない情熱。
対象には名前はある。仮にT・Hとする。ベーシスト。
低音の有無こそが音楽のクオリティを左右する。ぼくは家のうらにあった小さなジャズ・ハウスで彼を発見する。ウッド・ベースという持ち運びに不便な楽器がすでに室内に置かれ、主人のないままに横たわっている。
ぼくは年に四度ある会計がもたらす残業が片付いてゆっくりとした日々を黒いビールを飲みながら座席にすわって実感している。特に目当てというひとがいるわけでもない。この日までは。
誰に会わなくてもいい、電話をすることも必要ない。その解放感がすべてのような時間だった。お詫びも催促もいらない。誰に気に入られる必要もない。どこにも劣等感も優越感も起こらない。ただビールの減り具合だけを気にしているだけの時間だった。
今日、演奏するであろうひとが部屋の片隅でコーヒーを飲み、軽食を口に入れている。はっきりといえば自分の特技や技能を職業にしているひとの誇らしさが彼らにあるようだった。だが、その才能がなければひとは衝動として突き動かされることも減り、安定した気分でいられるのも確かだった。ぼくは絵美のことをすっかりと忘れていた。思い出すと、なにかの記念日とか、しなければならない未来のいくつかのことに少しだけ憂鬱になった。
ぼくは自由であることを望んではいなかったが、この場所で取得していた。トイレに行ったり、店主と雑談をしたりした。そこには本もたくさん並べられている。数冊をぱらぱらとめくる。視力には良くないであろう薄暗い明りなので根気をいれることもない。ただの待ち時間のためで、暇つぶしだった。
ブルー・ノートのレコードを一枚選び、店主にかけてもらう。大きなスピーカとそれに見合ったアンプが個人の家での限界を忘れさせてくれる。小さいという面はある面では貴重で、反対に大きさや重厚さもふさわしいときがある。電話など小さくなればなるほどいいと思うが、手のひらにしっくりとくるサイズも計算にいれる。聴くということに重点を置いた自分だったが、なにかを演奏するとか表現するという才能はまったくないようだった。だから、レコードの内容にも精通していて演奏者より詳しい部分もある。だが、それを音とかコードという実際的なノウハウに移す場合、この費やした時間はまったくの無意味になった。無意味にならないということを追い求めるだけも能ではない。ほとんどのことが無駄であり、暇つぶしであるとも言えた。
ファンというものは総じてそういう輩だった。監督の気分になってスポーツを観戦する。交代のタイミングを計る。攻撃のパターンを考えたり、踏襲したりする。理想というのは現実に踏み入れないからこそ、幻想であり、楽しい事態のままで納まった。
すると演奏がはじまる。ピアノ・トリオ。ベースの豪快な音に耳が向く。科学者のような理知的な風貌からは想像できない挑みかかるような音だった。彼が長いソロを取る。イントロからずっとベースだけが主役の演奏だ。曲はダーク・アイズ。ブロードウェイも弾く。スタンダードになるには時間を要する。歴史の一部になるということは踏み固められてほこりの舞い散らない砂のようなものだった。土になり、雑草も生えないまでに固められる。
演奏が終わる。ぼくは声をかける。ほとんど貸切のような状態だったのだ。占有できた時間と場所。ぼくはひとを誉めることに遠慮しない。多分、唯一の長所であり、同様にけなすこともいとわない。
重い扉を開ける。思いベースを担いで帰る必要もない。ポケットに携帯電話があるぐらいだ。引っ張り出すと絵美からの着信があった。ぼくは彼女を占有する。いや、しない。きな臭い予感のために自分の育った場所を、あらゆる理由にせよ去る必要もない。だが、ほんの数歩で家に着いてしまう。もう、夜も遅かった。明日にすべてをもちこし今日は寝ることに決めた。