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繁栄の外で(41)

2014年06月11日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(41)

 そろそろ時期も来たかなということで実家をあとにする。それでも、歩いて10分ぐらいのところにアパートを借りたので、見知らぬ土地では決してなかった。なぜか、自分は自分の環境としての境遇に満足することはなかったけれど、この土地から離れることができなかった。なにかの誘引力が働いていたのであろうか? この町の多くの人は、その感情を知っているはずだ。

 自分は、28歳になろうとしていた。アパートは近くの不動産屋でさがし、契約した。間取りは8畳ぐらいのフローリングの部屋に、4畳半の台所があった。夏は暑く、冬は寒かった。近くには環状線が走っていたが、眠れないほどの騒音はきこえなかった。そこは、いま思い出しても一人暮らしにぴったりの部屋だった。
 引越しには友人二人に手伝ってもらい、その代わりにステーキをおごったと思う。彼らは熱心に働いてくれ、見返りとしてぼくが支払ったものは少なかったかもしれない。しかし、それが友情かもしれなかった。

 家具も買い揃え、きちんとレコードが整理できるような棚もそろえた。敷金や礼金で思った以上にお金は飛んで消えていった。しかし、いささかも惜しいという感じはしなかった。ここでも、無頓着な性格がでているのだろう。

 別の友人なども呼び、酒を買い込みピザを頼んで、にぎやかに飲んだこともある。空いたビンを片付けながら、残ってひとりでシンとなった部屋にいることは、いささかの孤独感もあったかもしれないが、そのこととは妥協できる関係を構築できるようになっていた。自分は、女性との関係を最初からやりはじめることを、なぜだか忘れてしまっていた。そのような時期に自分が入っていることすら多くの時間を割いて考えなかったかもしれない。不思議なものだ。

 定期的に掃除をし、これまた定期的に洗濯をした。若いころ、リゾート地のホテルで働いたので、これぐらいの身の回りをきれいにする仕事をあまり負担に感じることはなかったが、料理はあまりしなかった。自分の中にある完ぺき主義をいつも自分はおそれた。やりだしたら、とことん突き詰めないことには我慢がならない性格を、自分の一部では有していた。それで、それを閉じ込めるためにも真剣になることを恐れた。

 あまり新しいレコードを買うことはなかったが、揃っているなかから適度な音量で聴いていると、幸せが実感できることが分かった。だんだんと忙しくなり、その時間を削らなければならないことに悲しみすら感じるが、それも仕方がないことだった。大人になるってことは、自由時間を削る、そういうことなのだろう。

 ある日、いつの間にか自分がワインを飲み始めていることを知る。何かのきっかけがあったとは思えないが、その味や酔い方に魅力があったのだろう。ウンチクを語るような高級なワインを飲むことはないが、日常的に気取りも見栄もなく、普通に普通に飲んだ。しかし、この普通にワインを飲むということに勘違いがはたらくのはなぜなのだろう。そこには、ある種の言葉と気取りが内在されなければならない宿命のようなものを感じてしまう。決して、そのような飲み物ではないはずなのに。

 一回、家をでるとあまり実家には帰らなくなった。近所に住んでいるのでうわさだけは耳にするが、それでアクションを起こすようなことはまったくなかった。親不孝の出来上がりである。これも自分の性分なのだろう。ある日、ぼくは熱をだす。家の冷蔵庫の中味の空に近づいていく。友人から電話がありそのことを知った友人の母はつみれ汁を作ってくれ、(ぼくの好物である)その友人が届けてくれた。こういうところが、この町の持っている底力かもしれない。とにかく、知り合いの面倒をみたい体質なのだろう。

 駅に隣接しているスーパーで買い物をして、簡単にソーセージなどを茹で赤ワインを飲んだ。フランスやイタリアの労働者もこんな感じかもしれない、と思ったがまだそこらの人々をしらない。結局は自分の見たものしか信じたくない自分がいたのかもしれない。

 たまにはその途中でビデオを借り、デッキに入れた。月々、数万円の代償としての生活は、それ以上の楽しみと満足感があった。あれ以来、誰かがうちの中を行き来することはないが、それを望んでの結果であるとはこれも言えないかもしれない。