27歳-43
希美が結婚する事実と招待を案内するはがきが友人たちに送られてきた。ぼくには来ない。
ぼくには祝うという役割も与えられない。数年間、いっしょに楽しんだ間柄が、逆にぼくらを遠い場所に置く。これが別れの本質で、磨きこまれた正体なのだ。
あるひとを頭のなかから完全に抹消することなどできるのだろうか。答えが出ている質問をわざわざぼくは自分にもちだす。その提示に対する回答を誰も要求しないが、否定したい気持ちもどこかにあった。
未来のどこかの地点に自分を置く。そこから今日をのぞくようにする。この悲しみは、ぼくの体験ではないようにも思えるが、当事者であり、進行した姿というのが、悲しみを帳消しにするほど、幸福も含まれているのだ。そのことを忘れてはならない。さらに、忘れるなども起こり得ない。
過去のどこかに自分を置く。ぼくは希美の存在など知らず、自分がもう一度、恋をすることも、またその気持ちが報われることも当然のこと知らなかった。ならば、幸福以外の何物でもなかった。
現在にいる。常に、ぼくは現在にしかいない。
身体はひとつで、喜びも疲れも、この今を通して味わっている。口にした栄養は未来を形作るのだろうが、ある意味では、この瞬間においしさを追い求めた結果でもあった。ぼくは常にいまにいる。
希美のいまとの接点が絶たれる。その状態が不幸の原因となるのだ。
では、不幸とは?
不幸を回避するのは今後も、誰かを好きになる要素と機会を絶滅させることなのか。こころの中心に原子爆弾のようなものを落として命中させることなのか。ぼくは破壊を許すのだろうか。
希美はケーキを切るのかもしれない。衆人の看視のもとで。たくさんのフラッシュを浴びて。
ぼくはふたりによって自分のこころを鋭い刃で切られているところをイメージする。横たわるのはぼくの身体。縫うこともなく、血は流されるのだ。正当な量を。ふたりで費やした日々の分を。
ぼくは、だが立ち上がるのだろう。過去にもそうした。長い月日がかかったが、今回はもっと短くなる算段だ。大人はこうしてずるくなる。逃げ道を確保してものごとにあたる。ある意味、正面衝突を避ける。
ぼくはうまく立ち回ろうとしている。友人がぼくの落ち込みの度合いをはかる様子をする。遊ぶために誘う頻度が多いように思う。出会いを、さりげなくもない形で提供する。希美を越えるひとはいない。だが、ぼくはどの尺度を利用しているのか、自分でもその物差しが分からないままでいた。容姿なのか。彼女の思考なのか。物事の取り組みの方法なのか。話題の組み立て方なのか。彼女の本質はどこにあり、ぼくはそのどこに関心をもっていたのだろう。
離れてもその愛着は、粘着の力をのこしている。マジックテープのように剥がすのには力もいり、音もでる。直ぐに忘れるということは、それだけ力もなかったことになる。彼女が離婚しても良いわけもない。だが、ぼくは二十年後の彼女を愛すことができたのだろうか。ぼくのあの十代の少女は希美が忘れさせてくれたのではないのだろうか。
いや、別々の部屋にいる。あるいはふたりは別の階にいる。ぼくはエレベーターに乗り、それぞれの階に自由に往き来がいまでもできる。おそらくこれからもするだろう。ぼくの裁量と一存で決めてもよい事柄たちだ。本人はもういない。ぼくはその過去の亡霊を無心になつかしむことになるのだろう。
なつかしいという言葉も現状では、ぴったりとはしない。もっと赤裸々なこころを暴かれるような対面になるのだ。後悔と嫉妬とやり切れないあきらめをともなった、混在させた固まりのようなものがうごめいている。
ぼくは自分を美化している。その数人を思い出すのには忙し過ぎ、別の女性たちを頭のなかにも、目の前にしても受け入れる隙間もつくっている。ぼくはホテルなのだ。まだ別の階も、別の部屋も予約客を待っている状態だった。
招待された友人が夜中に電話をかけてきた。相手のにぎやかな印象と、ぼくのひっそりとした部屋の雰囲気が対照的に感じられた。別々の世界にぼくらはすすんでいるのだ、という如実な証拠となった。静謐と呼ぶべきぼくの世界。華やかな船出とそれを見守る友人たち。船は出航する。希美と彼女が選んだ相手が船上から手を振る。港には友人たちがいて歓声をあげる。では、ぼくはどこにいるのか。どこにいるのが相応しいのだろうか。
ぼくは空港にいると考える。別の世界。交わることなどない国へと。片道で。
友人は電話を切る。来週の会う予定がせわしなく決まる。「誘った子なんだけど、多分、お前のタイプだと思うよ」というここ最近の定番のフレーズを最後にして。ぼくは電気を消してベッドにもぐりこむ。横に希美がいたこともあった。最近は彼女しかいなかった。もうその機会は二度とないだろう。ぼくはそれとは別にもう一度したいことを考えようとしたが、頭に浮かぶものは何もなかった。ただ、あのラーメンをもう一度だけ食べてもいいかなと、どうでもよいことで頭の回路をショートさせようと企んでいたが、眠りの入口まで、そのひとつの予想だけで埋め尽くすには弱く、希美に通じる導線は太くて頑丈で、引き千切ることもできないほど強固だった。
希美が結婚する事実と招待を案内するはがきが友人たちに送られてきた。ぼくには来ない。
ぼくには祝うという役割も与えられない。数年間、いっしょに楽しんだ間柄が、逆にぼくらを遠い場所に置く。これが別れの本質で、磨きこまれた正体なのだ。
あるひとを頭のなかから完全に抹消することなどできるのだろうか。答えが出ている質問をわざわざぼくは自分にもちだす。その提示に対する回答を誰も要求しないが、否定したい気持ちもどこかにあった。
未来のどこかの地点に自分を置く。そこから今日をのぞくようにする。この悲しみは、ぼくの体験ではないようにも思えるが、当事者であり、進行した姿というのが、悲しみを帳消しにするほど、幸福も含まれているのだ。そのことを忘れてはならない。さらに、忘れるなども起こり得ない。
過去のどこかに自分を置く。ぼくは希美の存在など知らず、自分がもう一度、恋をすることも、またその気持ちが報われることも当然のこと知らなかった。ならば、幸福以外の何物でもなかった。
現在にいる。常に、ぼくは現在にしかいない。
身体はひとつで、喜びも疲れも、この今を通して味わっている。口にした栄養は未来を形作るのだろうが、ある意味では、この瞬間においしさを追い求めた結果でもあった。ぼくは常にいまにいる。
希美のいまとの接点が絶たれる。その状態が不幸の原因となるのだ。
では、不幸とは?
不幸を回避するのは今後も、誰かを好きになる要素と機会を絶滅させることなのか。こころの中心に原子爆弾のようなものを落として命中させることなのか。ぼくは破壊を許すのだろうか。
希美はケーキを切るのかもしれない。衆人の看視のもとで。たくさんのフラッシュを浴びて。
ぼくはふたりによって自分のこころを鋭い刃で切られているところをイメージする。横たわるのはぼくの身体。縫うこともなく、血は流されるのだ。正当な量を。ふたりで費やした日々の分を。
ぼくは、だが立ち上がるのだろう。過去にもそうした。長い月日がかかったが、今回はもっと短くなる算段だ。大人はこうしてずるくなる。逃げ道を確保してものごとにあたる。ある意味、正面衝突を避ける。
ぼくはうまく立ち回ろうとしている。友人がぼくの落ち込みの度合いをはかる様子をする。遊ぶために誘う頻度が多いように思う。出会いを、さりげなくもない形で提供する。希美を越えるひとはいない。だが、ぼくはどの尺度を利用しているのか、自分でもその物差しが分からないままでいた。容姿なのか。彼女の思考なのか。物事の取り組みの方法なのか。話題の組み立て方なのか。彼女の本質はどこにあり、ぼくはそのどこに関心をもっていたのだろう。
離れてもその愛着は、粘着の力をのこしている。マジックテープのように剥がすのには力もいり、音もでる。直ぐに忘れるということは、それだけ力もなかったことになる。彼女が離婚しても良いわけもない。だが、ぼくは二十年後の彼女を愛すことができたのだろうか。ぼくのあの十代の少女は希美が忘れさせてくれたのではないのだろうか。
いや、別々の部屋にいる。あるいはふたりは別の階にいる。ぼくはエレベーターに乗り、それぞれの階に自由に往き来がいまでもできる。おそらくこれからもするだろう。ぼくの裁量と一存で決めてもよい事柄たちだ。本人はもういない。ぼくはその過去の亡霊を無心になつかしむことになるのだろう。
なつかしいという言葉も現状では、ぴったりとはしない。もっと赤裸々なこころを暴かれるような対面になるのだ。後悔と嫉妬とやり切れないあきらめをともなった、混在させた固まりのようなものがうごめいている。
ぼくは自分を美化している。その数人を思い出すのには忙し過ぎ、別の女性たちを頭のなかにも、目の前にしても受け入れる隙間もつくっている。ぼくはホテルなのだ。まだ別の階も、別の部屋も予約客を待っている状態だった。
招待された友人が夜中に電話をかけてきた。相手のにぎやかな印象と、ぼくのひっそりとした部屋の雰囲気が対照的に感じられた。別々の世界にぼくらはすすんでいるのだ、という如実な証拠となった。静謐と呼ぶべきぼくの世界。華やかな船出とそれを見守る友人たち。船は出航する。希美と彼女が選んだ相手が船上から手を振る。港には友人たちがいて歓声をあげる。では、ぼくはどこにいるのか。どこにいるのが相応しいのだろうか。
ぼくは空港にいると考える。別の世界。交わることなどない国へと。片道で。
友人は電話を切る。来週の会う予定がせわしなく決まる。「誘った子なんだけど、多分、お前のタイプだと思うよ」というここ最近の定番のフレーズを最後にして。ぼくは電気を消してベッドにもぐりこむ。横に希美がいたこともあった。最近は彼女しかいなかった。もうその機会は二度とないだろう。ぼくはそれとは別にもう一度したいことを考えようとしたが、頭に浮かぶものは何もなかった。ただ、あのラーメンをもう一度だけ食べてもいいかなと、どうでもよいことで頭の回路をショートさせようと企んでいたが、眠りの入口まで、そのひとつの予想だけで埋め尽くすには弱く、希美に通じる導線は太くて頑丈で、引き千切ることもできないほど強固だった。