爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 e

2014年08月13日 | 悪童の書
e

 誰かに好意を寄せるというのは、正直にいえば地獄以外の何物でもなかった。自分が自分ではいられなくなり、好意を求める代償として、いくつかの調整を自分に課すことになった。図々しさも厚顔さも披露することができない性質なので。そうした地獄に自分も何度か落ちた。落ちると知っていて落ちたのか、落ちた楽しさと憂鬱さを比較したかったのか、やはり、できれば落ちたくなかったのか、もう自分では区別できなかった。落ちる過程の空中にいる間は、それでも楽しいものであり、地面に叩きつけられた衝撃や、床の冷たさのことを考えれば、そこは地獄と呼ばれるに値する、価値も風景もその言葉が想起させるもの(寒々とした荒涼さ)と等しいものだった。

 だが、地獄に導く使者は反対に天使のような容貌をもっていた。手に切っ先鋭い鎌もなければ、鷲鼻の老婆でもなかった。かぐわしい匂いがして、肌はすべすべだった。毛穴もなく、にきびの痕もない。風船の表面のように年代を感じさせるものもなく、日々、無防備に受けて溜まっていく疲労も外面にはなかった。

 ひとは自分の地獄体験を話したがった。冷たくされたり、関係がよじれたりする。ぼくに解消する手立てもなく、聞かされても迷惑という感覚に近いものがあった。さらにいえば、君の地獄はその前に天国の住人であった名残りをとどめている過去を言葉のはしばしは示しているのだ、と突っぱねたかった。頂上があったので、いまいる低い場所の認識も比較もできるのだ。

 横に地獄の使者がいる。悪意もない姿で眠っている。先ほどまで地上にいる幸運を味あわせてくれた。

「恋って、苦しいね。君に好かれるって、君に好かれつづけるって、苦しいね」と、ぼくはその寝顔に、起こさない程度の音量でささやく。もちろん、返事もない。寝ているひと特有の口のなかで言葉にならないこもった音だけを小さく生存の主張にしている。ムニャムニャ、と。

 地獄の使者の足の小指を見る。ちょっとだけ、くすぐってみる。ある本を読んだ。誰がくすぐっても、くすぐったいものは、くすぐったいそうだ。女性の受け身の肉体の本質を突いているような気がする。いまはぼくの手がくすぐる。

 その足裏が引っ込み、毛布のなかに隠れる。形勢逆転である。地獄にも導けるものをぼくは手玉に取る。だが、意識がないときだけのことだ。やはり、本気を出せば、力を備えているのは誰であるのかは明確であろう。

 ぼくも横で枕に頭をつける。天井の陰影をぼんやりと眺めている。外を車が通過するとカーテンからもれる光がその陰影や不確かな模様をかえた。人間の顔は左右で多少、違うということを思いだしている。横に寝ているものも違うのだろう。だが、ぼくは片側を多く見ている。歩くときもほぼ同じ側にいるし、横になってもそれは変わらない。

 ある日、友は恋という幻想を抱かせてくれる相手に対して傷つけるような失言をしたといって悔いていた。ぼくは、その頃、不思議と誰に嫌われてもよいという立場の檻のなかにいた。ひとは誰かを好きにならなくても生きていけるのだという強がりのもと。だが、過去にはその狂おしい状態にしてくれたひともなかにはいた。ぼくは喜びをドーピングの薬剤でも用いたように体内のもっとも奥から感じ、同じ作用で、もしくは副作用で疲れや悲しみを根本から浸り、ぬぐい去れない衣服のように身を覆った。

 あの薬と縁を断ち切った自分は、その友がもどかしかった。そこにまだ居るのかという抵抗感や軽蔑もあった。白黒のテレビを捨て切れないひとのようなものとして。

 だが、ぼくは新たな地獄に向かったのだ。使者は寝ている。あと数時間もすれば目が覚める。ぼくは使者のご機嫌をうかがう。使者を不機嫌にしないということがぼくのもっとも先頭に置く鉄則なのだ。空腹にならないように。きょう、食べたい物を把握しておくように。

 ぼくは自分の気持ちが指令するものに従うことだけをためらわずにしてきた日々をなつかしく思い出していた。だが、それは昔のジーンズと同じように窮屈なものになっていた。自由だったものが、拘束のないこととして心配の一因になってしまった。その移り変わりを残念と歯がゆく感じながらも、檻になれた自分は広大な考えに反対に委縮した。このベッドのサイズと同じように、この場所で生きることを寝そべることに慣れてしまったのだ。

 この地獄への使者も、ぼくの言葉や表情に一喜一憂したのだろうか。誰かと会わずには暮らしていけない狭い領土の地球。会うと必ず感情が影響され、左右される人間という生き物。手に入れないと済まない性分。失うことの恐ろしさ。同時にあきらめの早さや、こころがわりの早さや諦念の有無。どこかに愛情というきれいごとで語られることのない世界がないだろうか。そこには、反対に敵対やいさかいも起こり得ないのではないのだろうか。愛情と勘違いした結果や切れっぱしがガラスの破片にも似たものとして散らばっている。ぼくはそれらを踏みつけた。この地獄の使者の足も、毛布の下から引っ張り出され、踏んだあとの痛みや苦しみを感じるのだろうか。ぼくは多少それを願ってもいた。また同じぐらいの熱度で、もし、そうなるならばぼくは自分の裸の身体をガラスの破片が散乱する路面に横たえ、彼女に傷をいっさい与えないだろうとも知っていた。

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