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ぼくは新幹線の座席にすわっている。指定席に。その一時的な占有が保証されているシートの座席番号もポケットのどこかにしまわれている。ぼくは酔っていた。
いささか酔う。しこたま酔う。酔うという自分の快楽が、ときにはひとの不快にもつながる。ぼくは新大阪から東京に向かっている。労力はなにもいらない。関所のような改札をぬけたあとに、上着かズボンのポケットのどこかに突っ込んだ切符を購入した時点で、ぼくの役目は終わっていた。ぼくは小さなテーブルに飲もうとしていた神戸の酒蔵で購入した日本酒の小さな瓶を並べていた。あとは、豆粒状のチョコがはいっているプラスチックの赤いケースを横に置いて。つまみの選択も気にならないほど、ぼくは酔っている。
ぼくは肩を叩かれる。車掌がぼくのチケットの正当性を見に来たのかと思っていたら、その主は意外にも横の座席のひとだった。その男性の奥には、困ったような顔をした女性が通路に立っていた。ぼくは窓側の座席で終点まで運ばれる予定しかない。途中で目を覚まされるのは、憤慨を呼び起こすのに近い感情が含まれていた。
なんと、ぼくの座席の所有権が疑われる。
ぼくはポケットをまさぐり、自分に振り当てられた番号を優勝トロフィーを掲げるように見せる。
「ほら、この座席の番号ですよ!」と、言ったかどうか。
「これ、この電車じゃないですよ!」紙の質まで吟味するように彼は言った。
「なに?」同じ番号がふたつ。座席の番号は同じでも新幹線の運行時間を意味するであろう番号は異なっている。ぼくは、どうも一本前のものに誤って乗ってしまい、不覚にも深く酔い、座席を暖めていた。ぼくはいそいそと小さなテーブルに並べている瓶とチョコをリュックに放り込むように投げ入れ、席をあとにする。しかし、なかなか次の駅は来ない。ぼくの所有権は奪われた。束の間の所有だった。迷惑というのは大体が思い込みのようなものを貫くかどうかにも思えた。あの時、小さなチョコの粒をあわてて床に散乱させていたら、さらに恥の上塗りができたのに、とそのできなかったシチュエーションになぜだか後悔も抱いていた。
ぼくは次の駅(名古屋だったのかな?)で降り、しばらく到来する新幹線を待つ。晴天つづきの空を見上げ、雨を乞い願う行者のように。だが、待つという範疇にも入らないぐらいにあっという間に次の新幹線はホームにあらわれた。ぼくは乗り込み、また目をつぶって座席、本来の所有権のある番号の座席のうえで眠った。こんなに間を置かずに頻繁に走っているのなら、それは間違うよな、と自分を正当化させる。あの女性も不快感をともないながらも、いつか、笑い話にしてくれるのだろうか。こんなことがあったのよ、と。
ぼくは東京駅でトイレに入る。眠りと高速移動はぼくの顔をパンパンに膨らませていた。ぼくはむくんだ顔を冷水で洗い、もう少しスピードの遅い電車に乗り換えた。座席はどこに座ろうが自由である。自由というのは決めごとが少ないという真実を知った。
ぼくは何度目かの関西旅行だった。
修学旅行にも行かず、なぜだかぼくらの学年だけ、そのイベントは東北だった。大人になって酒蔵を目指し、他にも小津映画に出てくる清水寺の美しさに憧れ、ぼくは関西に向かった。
臭気を含んだ料理こそおいしいように、イントネーションの異なった、さらには実際に使われている違う表現の言葉を耳にして、別世界にいることを知る。食べ物も味付けが違う。それでも、東京で生まれ育った恩恵を簡単に捨て切れる訳もない。たくさんの情報が東京に集まってくる。日本は確かに繁栄していて、その経済の力で世界に揺さぶりをかけた。もう、それも終わった別世界になる。ぼくは東京と同じように酒場のカウンターに座り、耳触りの良い言葉を背景にして、夕方から夜に移行する楽しい時間を自分のものにしていた。もちろん、その結果の行き過ぎた証拠として、別の座席に乗り込むわけだが。
銀閣寺を見て、翌年、金閣寺を見た。国家の中心であり、中枢でもあったものが、移っていく。明治。トコロテンのように江戸の支配権も押し出されていった。支配者は静岡に戻る。ぼくは数時間を費やすだけで、その移動を我がものにする。そこには喜びはあるが、涙はない。悲嘆もなく、復讐を誓うこともない。すべて、他人のできごとだった。ぼくは方丈記を読み、ルバイヤートを紐解く。これらに一層、親しみを覚える。栄枯盛衰にさえ組み込まれないこと。ただ、生まれた贖罪として税金を払うこと。たまには所有を叫ぶ小さな切符を手にすること。それぐらいで満足するのだ。
ぼくの指はいったい何を多くつかんだのだろう。筆頭として猪口やワイングラスであるべきなのだろう。決して権力であってはならない。家族の写真であってもならない。ぼくはようやっと家に着く。ベッドにもぐり込む。この場所の所有権は確実に自分のものであった。歴史も哀れも疎ましさもなく、ただ清らかな水が流れるようにさらさらと過ぎ去るべきなのだろう。途中で、多少の生きた証しのいざこざが生じても、いくつかは自分が原因であり、見落とすことからこそ本質も教えてくれる場合もある。
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ぼくは新幹線の座席にすわっている。指定席に。その一時的な占有が保証されているシートの座席番号もポケットのどこかにしまわれている。ぼくは酔っていた。
いささか酔う。しこたま酔う。酔うという自分の快楽が、ときにはひとの不快にもつながる。ぼくは新大阪から東京に向かっている。労力はなにもいらない。関所のような改札をぬけたあとに、上着かズボンのポケットのどこかに突っ込んだ切符を購入した時点で、ぼくの役目は終わっていた。ぼくは小さなテーブルに飲もうとしていた神戸の酒蔵で購入した日本酒の小さな瓶を並べていた。あとは、豆粒状のチョコがはいっているプラスチックの赤いケースを横に置いて。つまみの選択も気にならないほど、ぼくは酔っている。
ぼくは肩を叩かれる。車掌がぼくのチケットの正当性を見に来たのかと思っていたら、その主は意外にも横の座席のひとだった。その男性の奥には、困ったような顔をした女性が通路に立っていた。ぼくは窓側の座席で終点まで運ばれる予定しかない。途中で目を覚まされるのは、憤慨を呼び起こすのに近い感情が含まれていた。
なんと、ぼくの座席の所有権が疑われる。
ぼくはポケットをまさぐり、自分に振り当てられた番号を優勝トロフィーを掲げるように見せる。
「ほら、この座席の番号ですよ!」と、言ったかどうか。
「これ、この電車じゃないですよ!」紙の質まで吟味するように彼は言った。
「なに?」同じ番号がふたつ。座席の番号は同じでも新幹線の運行時間を意味するであろう番号は異なっている。ぼくは、どうも一本前のものに誤って乗ってしまい、不覚にも深く酔い、座席を暖めていた。ぼくはいそいそと小さなテーブルに並べている瓶とチョコをリュックに放り込むように投げ入れ、席をあとにする。しかし、なかなか次の駅は来ない。ぼくの所有権は奪われた。束の間の所有だった。迷惑というのは大体が思い込みのようなものを貫くかどうかにも思えた。あの時、小さなチョコの粒をあわてて床に散乱させていたら、さらに恥の上塗りができたのに、とそのできなかったシチュエーションになぜだか後悔も抱いていた。
ぼくは次の駅(名古屋だったのかな?)で降り、しばらく到来する新幹線を待つ。晴天つづきの空を見上げ、雨を乞い願う行者のように。だが、待つという範疇にも入らないぐらいにあっという間に次の新幹線はホームにあらわれた。ぼくは乗り込み、また目をつぶって座席、本来の所有権のある番号の座席のうえで眠った。こんなに間を置かずに頻繁に走っているのなら、それは間違うよな、と自分を正当化させる。あの女性も不快感をともないながらも、いつか、笑い話にしてくれるのだろうか。こんなことがあったのよ、と。
ぼくは東京駅でトイレに入る。眠りと高速移動はぼくの顔をパンパンに膨らませていた。ぼくはむくんだ顔を冷水で洗い、もう少しスピードの遅い電車に乗り換えた。座席はどこに座ろうが自由である。自由というのは決めごとが少ないという真実を知った。
ぼくは何度目かの関西旅行だった。
修学旅行にも行かず、なぜだかぼくらの学年だけ、そのイベントは東北だった。大人になって酒蔵を目指し、他にも小津映画に出てくる清水寺の美しさに憧れ、ぼくは関西に向かった。
臭気を含んだ料理こそおいしいように、イントネーションの異なった、さらには実際に使われている違う表現の言葉を耳にして、別世界にいることを知る。食べ物も味付けが違う。それでも、東京で生まれ育った恩恵を簡単に捨て切れる訳もない。たくさんの情報が東京に集まってくる。日本は確かに繁栄していて、その経済の力で世界に揺さぶりをかけた。もう、それも終わった別世界になる。ぼくは東京と同じように酒場のカウンターに座り、耳触りの良い言葉を背景にして、夕方から夜に移行する楽しい時間を自分のものにしていた。もちろん、その結果の行き過ぎた証拠として、別の座席に乗り込むわけだが。
銀閣寺を見て、翌年、金閣寺を見た。国家の中心であり、中枢でもあったものが、移っていく。明治。トコロテンのように江戸の支配権も押し出されていった。支配者は静岡に戻る。ぼくは数時間を費やすだけで、その移動を我がものにする。そこには喜びはあるが、涙はない。悲嘆もなく、復讐を誓うこともない。すべて、他人のできごとだった。ぼくは方丈記を読み、ルバイヤートを紐解く。これらに一層、親しみを覚える。栄枯盛衰にさえ組み込まれないこと。ただ、生まれた贖罪として税金を払うこと。たまには所有を叫ぶ小さな切符を手にすること。それぐらいで満足するのだ。
ぼくの指はいったい何を多くつかんだのだろう。筆頭として猪口やワイングラスであるべきなのだろう。決して権力であってはならない。家族の写真であってもならない。ぼくはようやっと家に着く。ベッドにもぐり込む。この場所の所有権は確実に自分のものであった。歴史も哀れも疎ましさもなく、ただ清らかな水が流れるようにさらさらと過ぎ去るべきなのだろう。途中で、多少の生きた証しのいざこざが生じても、いくつかは自分が原因であり、見落とすことからこそ本質も教えてくれる場合もある。
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