爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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悪童の書 h

2014年08月16日 | 悪童の書
h

 ぼくは新幹線の座席にすわっている。指定席に。その一時的な占有が保証されているシートの座席番号もポケットのどこかにしまわれている。ぼくは酔っていた。

 いささか酔う。しこたま酔う。酔うという自分の快楽が、ときにはひとの不快にもつながる。ぼくは新大阪から東京に向かっている。労力はなにもいらない。関所のような改札をぬけたあとに、上着かズボンのポケットのどこかに突っ込んだ切符を購入した時点で、ぼくの役目は終わっていた。ぼくは小さなテーブルに飲もうとしていた神戸の酒蔵で購入した日本酒の小さな瓶を並べていた。あとは、豆粒状のチョコがはいっているプラスチックの赤いケースを横に置いて。つまみの選択も気にならないほど、ぼくは酔っている。

 ぼくは肩を叩かれる。車掌がぼくのチケットの正当性を見に来たのかと思っていたら、その主は意外にも横の座席のひとだった。その男性の奥には、困ったような顔をした女性が通路に立っていた。ぼくは窓側の座席で終点まで運ばれる予定しかない。途中で目を覚まされるのは、憤慨を呼び起こすのに近い感情が含まれていた。

 なんと、ぼくの座席の所有権が疑われる。

 ぼくはポケットをまさぐり、自分に振り当てられた番号を優勝トロフィーを掲げるように見せる。

「ほら、この座席の番号ですよ!」と、言ったかどうか。
「これ、この電車じゃないですよ!」紙の質まで吟味するように彼は言った。

「なに?」同じ番号がふたつ。座席の番号は同じでも新幹線の運行時間を意味するであろう番号は異なっている。ぼくは、どうも一本前のものに誤って乗ってしまい、不覚にも深く酔い、座席を暖めていた。ぼくはいそいそと小さなテーブルに並べている瓶とチョコをリュックに放り込むように投げ入れ、席をあとにする。しかし、なかなか次の駅は来ない。ぼくの所有権は奪われた。束の間の所有だった。迷惑というのは大体が思い込みのようなものを貫くかどうかにも思えた。あの時、小さなチョコの粒をあわてて床に散乱させていたら、さらに恥の上塗りができたのに、とそのできなかったシチュエーションになぜだか後悔も抱いていた。

 ぼくは次の駅(名古屋だったのかな?)で降り、しばらく到来する新幹線を待つ。晴天つづきの空を見上げ、雨を乞い願う行者のように。だが、待つという範疇にも入らないぐらいにあっという間に次の新幹線はホームにあらわれた。ぼくは乗り込み、また目をつぶって座席、本来の所有権のある番号の座席のうえで眠った。こんなに間を置かずに頻繁に走っているのなら、それは間違うよな、と自分を正当化させる。あの女性も不快感をともないながらも、いつか、笑い話にしてくれるのだろうか。こんなことがあったのよ、と。

 ぼくは東京駅でトイレに入る。眠りと高速移動はぼくの顔をパンパンに膨らませていた。ぼくはむくんだ顔を冷水で洗い、もう少しスピードの遅い電車に乗り換えた。座席はどこに座ろうが自由である。自由というのは決めごとが少ないという真実を知った。

 ぼくは何度目かの関西旅行だった。

 修学旅行にも行かず、なぜだかぼくらの学年だけ、そのイベントは東北だった。大人になって酒蔵を目指し、他にも小津映画に出てくる清水寺の美しさに憧れ、ぼくは関西に向かった。

 臭気を含んだ料理こそおいしいように、イントネーションの異なった、さらには実際に使われている違う表現の言葉を耳にして、別世界にいることを知る。食べ物も味付けが違う。それでも、東京で生まれ育った恩恵を簡単に捨て切れる訳もない。たくさんの情報が東京に集まってくる。日本は確かに繁栄していて、その経済の力で世界に揺さぶりをかけた。もう、それも終わった別世界になる。ぼくは東京と同じように酒場のカウンターに座り、耳触りの良い言葉を背景にして、夕方から夜に移行する楽しい時間を自分のものにしていた。もちろん、その結果の行き過ぎた証拠として、別の座席に乗り込むわけだが。

 銀閣寺を見て、翌年、金閣寺を見た。国家の中心であり、中枢でもあったものが、移っていく。明治。トコロテンのように江戸の支配権も押し出されていった。支配者は静岡に戻る。ぼくは数時間を費やすだけで、その移動を我がものにする。そこには喜びはあるが、涙はない。悲嘆もなく、復讐を誓うこともない。すべて、他人のできごとだった。ぼくは方丈記を読み、ルバイヤートを紐解く。これらに一層、親しみを覚える。栄枯盛衰にさえ組み込まれないこと。ただ、生まれた贖罪として税金を払うこと。たまには所有を叫ぶ小さな切符を手にすること。それぐらいで満足するのだ。

 ぼくの指はいったい何を多くつかんだのだろう。筆頭として猪口やワイングラスであるべきなのだろう。決して権力であってはならない。家族の写真であってもならない。ぼくはようやっと家に着く。ベッドにもぐり込む。この場所の所有権は確実に自分のものであった。歴史も哀れも疎ましさもなく、ただ清らかな水が流れるようにさらさらと過ぎ去るべきなのだろう。途中で、多少の生きた証しのいざこざが生じても、いくつかは自分が原因であり、見落とすことからこそ本質も教えてくれる場合もある。

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悪童の書 g

2014年08月15日 | 悪童の書
g

 その一帯は子どもが多く住んでいた。当時。そして、ぼくも子どもだった。鬼ごっこで「おまめ」という立場に甘んじているほどに。しかし、この定位置を早く抜け出したかった。子どもの世界だが、欲するのだ、一応の市民権を。リスクがある人生が魅力であることを。

 となりに女の子がふたりいた。父親は新聞関係の仕事をしているらしく留守がちだった。数度の記憶だが、賢そうな容貌をもっていると思うも、なにが賢いかなどその年齢に自分が立証できるほどの基準をもっていたとも思えない。大人の象徴でもある自分の父との比較でそう感じたのかもしれないが、賢さこそが立派に近づく最短距離とも思ってもおらず、そこから外れる父も、父という栄光の役割だけで採点が甘くなる年齢でもあった。

 その賢い風貌のとなりの家の妻は、どこか頼りなかった。これも女性の一面の基準である我が母の生命観の強さみたいなものと比較した結果なのかもしれない。お嬢さんという言葉がぴったりくる印象であった。だから、その女性がふたりの幼い女の子を育てるということにうまく順応できない自分もいた。ぼくが悩んでも、困っても勝手に育つのが子どもでもある。

 下の女の子はおむつを取り替えてもらっている。ぼくは上の女の子と遊んでいたようにも思う。だが、ぼくはその一部に視線を向ける。

「男の子ばっかりだと、ね、驚くでしょう?」

 お嬢さんでもあった彼女の母は、意外にも図太く、ぼくにそう言葉を投げかけた。ぼくは、どこかで「ずるい」と思っていた。いったい、棒がないとしたら、トイレでの行為はどうすればいいのだろう? 不便な機能なものだし、それにデザインとしてつけ忘れて生まれてきたのではないか、と腑に落ちないことばかりを考えていた。

 ある日、彼女の一家は引っ越していなくなる。でも、いまだにそのふたりの女の子の名前を覚えているぐらいだから、原始的な記憶として魅力的な過去の日々を作ってくれたのだろう。

 もっと奥には兄と同じ年齢の女の子がいた。この子もおしとやかな女性であった。いつまでも「おまめ」という偏った境遇から抜け出せなくても不満もないようだった。色も白く、保護下に置かれるということを運命の大前提にしているようだった。ぼくは、そんなことでどうする? と、子どもながらに強くゆすぶって怒鳴りつけたかったが、自分もやはり鬼にもならずに、誰も追いかけることができない弱々しい立場だった。

 ぼくらと違い公立の学校にはいかなかったと思う。学ぶということが単純に地位とリンクするということも漠然と浮かび上がらせてくれた。ぼくの家族内では、そういうまどろっこしい過程のことを美化する傾向がなかった。その差が立証されるべき頃には、ぼくらの方が少し離れたところに引っ越していた。

 野球がうまいお兄さんたちもいた。ぼくは砂利の道でバットで素振りをする。そうしてばかりいられない社会の構成員たるべき自分は、幼稚園のバスをふたりの女の子に囲まれて待っている。棒のことはもう忘れている。どちらからも好意をもたれたら選ぶのに困るなと考えているが、彼女たちがほんとうのところ誰が好きなのかも分からない。さらに、男の子は好かれるということも、奥底では分からなかったかもしれない。周囲のからかいに少し演技を上乗せしただけだった。

 大人になる。あの頃の当時、近所に住んでいたというひとに話しかけられる。ある居酒屋で。ぼくは、まったく知らない。だが、ぼくの家も家族構成もすべて知っており、その後、母に訊くと名前も(経営していた店も)きちんと知っていたので彼は嘘をついていないことは理解できたが、ぼくの記憶をどう引っくり返しても彼の情報も映像もでてこなかった。ただ、同年齢の恋人をつれてきていて、ぼくはその草原を跳びはねる小鹿のような女性に憧れてもいたので、そのことだけがうらやましかった。ぼくもその立場になれるなら何でもしたいぐらいだったが、無理なものは無理である。記憶も年の差も覆せないのだ。だが、どうしてもうらやましい気持ちだけは消えない。だから、ぼくは男性とも親しくしておく利点を天秤にかけ、いっしょの席にうつる。

 もう棒の優位性など信じていない。機能も違ければ、髪の長さも、発するすべてが片方の性別とまったく異なっていた。異なっているから魅力もあり、また欲しくもあったし、手に入れたくもなった。しかし、ここでもおまめである。鬼にも、ましてや恋人にもなれない。ライオンでもない。追いかけられることも、逆転して、追いかけられることもない、ただの傍観者。いずれ、引っ越しと同様にどこかに消えて忘れてしまうような間柄かもしれない。だが、こうして執拗に思い出せるのだから、ある日の、ある現場にいる自分というのはどう転がっても隠せないものだし、誰かの目にとまり、少なくとも自分の記憶の吹き溜まりのようなところには、とどまってくれるのだろう。草や雑草でも腹を満たさなければならないとしても我慢が肝要であるのだ。

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悪童の書 f

2014年08月14日 | 悪童の書
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 ぼくら未熟な生徒たちに優しく接してくれた定年を迎える先生から、次年度になると、女性の先生が担任になった。一年のほぼ、影響を与える存在として彼女が君臨する。義務教育を通過しなければならない。製造過程。大人となるには様々な過程を経るのだ。こうして書く題材を無闇に探さなければわざわざ思い出さなくても良かった人物なのだ。自分は、何者であるのか? 何が異端であり、何がその他、大勢に導くのか?

 彼女は、まだ幼少期の自分に、その言葉の具体的な認識はなかったかもしれないが、ときにヒステリーと呼ばれる状況を起こすひととして映った。感情をあらわすということを前面の攻撃隊に設け、そこから子どもたちに接するように思えた。感情をコントロール下に置けるということをその場で捨てた。さらに平等であるということより、女性たちを可愛がる傾向もあったようだ。周りから、「それ、贔屓だよ!」という言葉が飛び交い、ぼくは実例をともなってその用語をおぼえた。贔屓されるには、スカートを履かなければならないのだという短絡的な回答もあった。

 ぼくは平泳ぎをしている。ひとりで網羅し、学科のすべてを教えるという限界もあるが、教師もあの状況では精一杯がんばっていたのだろう。その波紋をぼくらは岸辺で受ける。

 ぼくの足の動きや回転がどうもスムーズではないらしい。ぼくは炎天下のコンクリートのうえで、水槽からまちがって飛び出てしまった魚のように水中に戻れないまま、そこで横たわり泳ぐ姿勢の実演をさせられる。あんまりだよな、というぼくの頭は拒否感で充満するが抵抗する術もない年代だ。頑なに拒否しても良かったのだろうか。彼女も必死だったのだろう。その恩恵もありがたみもなく、ぼくの泳ぎは上達しない。そして、水中に多くいなくてもぼくは生活できるのだ。ぼくは干上がった蛙のようにプールサイドの暑いコンクリートのうえで身もだえた。

 前の先生は達観していた。子どもを追いまわし、叱るエネルギーを失っていただけなのかもしれない。首根っこをつかみ、罵倒することもない。その和やかな時間に戻りたかったが、後ろに目を向けることを常にするには不向きな年頃の、ぼくはただ一介の少年であった。

 また日常的にヒステリーを起こすわけでもない。彼女にとって勉強とは取得であるように映った。自動的に受け取るような簡単なものではなく、奪い取るということで目的は達せられそうでもあった。その教え手に適していたのか、もうぼくの記憶も古過ぎていってしまった。子どもにとって体育や運動場での活動には男の先生の方がふさわしかっただろう。どうすれば、野球は上達し、サッカーはうまくなり、でんぐり返しや鉄棒は上達するのだろう。そもそも、学校がそういうことを子どもに伝達すべき時間を割くかどうかも分からない。ぼくは、国語も算数も普通にできるのだから、あの当時のいくつもの宿命的な出会いは正解だったのだと思いたい。

 学校にいれば、友ができる。いくつかの異なった苗字を、その狭い場で覚える。

 あるひとりのことを思い出す。彼は、いま考えると社宅というところに住んでいた。ぼくは長い間、そうした居住形態を理解できずにいた。自分の父親とともに家に住み、その家が普通の一軒家だったので、父の仕事と住居を一体化させることを普通にしてこなかった。

 彼は足が速かった。そのことでクラスのヒーローになるタイプでもなかった。社宅の一階に住み、ぼくはその家に何度も入った。お母さんは優しかったように思うが、彼に兄弟がいたかどうかももう思い出せない。

 別の友人には可愛い妹がいた。川沿いの町で、社宅に住む友人の父が働いていたであろう大きな工場は上流側にあり、この妹がいる友人の家は下流側だった。二キロから三キロぐらい離れているが、その広さこそがぼくの世界のすべてであるとも言えた。

 妹はお兄ちゃんに温かみのある尊敬を抱いていたらしく、その友だちも同じ扱いを受けた。いまでもぼくが年下の女性をからかおうとするときに、この子に対して示した愛情の模倣に過ぎないのだとも感じられる。妹はお兄ちゃんに認められたいと望みながらも、できないことも多かった。兄はその分だけ助け、いっしょの位置に連れて行ってくれる。自分にはそうした人間本来の優しさが欠けているようでもあった。男兄弟など、どこかで追い越すということを密かな念頭に置き暮らしているのだろう。ある程度、成長し別々の方向を見るまでは。

 ある日、工場もなくなり、社宅にもひとが住まなくなる。彼らはどこに消えたのだろう。安価な労働のためアジアに進出という具体例など、子どもの自分にはおぼろげながらも入ってこなかった。影響を与えてくれたはずのものたちが、いつか失われる。あの先生の達観したような優しさも、ときにイライラを前面に出した女の先生の一生懸命さもなくなってしまった。だが、自分の成分表などがあれば、仮に分析した結果、この先生や友や、友の妹に接したぼくの態度なども、明らかになることだろう。あの川の情景も絶景とは呼べないながらも、それなりに美しいものだった。

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悪童の書 e

2014年08月13日 | 悪童の書
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 誰かに好意を寄せるというのは、正直にいえば地獄以外の何物でもなかった。自分が自分ではいられなくなり、好意を求める代償として、いくつかの調整を自分に課すことになった。図々しさも厚顔さも披露することができない性質なので。そうした地獄に自分も何度か落ちた。落ちると知っていて落ちたのか、落ちた楽しさと憂鬱さを比較したかったのか、やはり、できれば落ちたくなかったのか、もう自分では区別できなかった。落ちる過程の空中にいる間は、それでも楽しいものであり、地面に叩きつけられた衝撃や、床の冷たさのことを考えれば、そこは地獄と呼ばれるに値する、価値も風景もその言葉が想起させるもの(寒々とした荒涼さ)と等しいものだった。

 だが、地獄に導く使者は反対に天使のような容貌をもっていた。手に切っ先鋭い鎌もなければ、鷲鼻の老婆でもなかった。かぐわしい匂いがして、肌はすべすべだった。毛穴もなく、にきびの痕もない。風船の表面のように年代を感じさせるものもなく、日々、無防備に受けて溜まっていく疲労も外面にはなかった。

 ひとは自分の地獄体験を話したがった。冷たくされたり、関係がよじれたりする。ぼくに解消する手立てもなく、聞かされても迷惑という感覚に近いものがあった。さらにいえば、君の地獄はその前に天国の住人であった名残りをとどめている過去を言葉のはしばしは示しているのだ、と突っぱねたかった。頂上があったので、いまいる低い場所の認識も比較もできるのだ。

 横に地獄の使者がいる。悪意もない姿で眠っている。先ほどまで地上にいる幸運を味あわせてくれた。

「恋って、苦しいね。君に好かれるって、君に好かれつづけるって、苦しいね」と、ぼくはその寝顔に、起こさない程度の音量でささやく。もちろん、返事もない。寝ているひと特有の口のなかで言葉にならないこもった音だけを小さく生存の主張にしている。ムニャムニャ、と。

 地獄の使者の足の小指を見る。ちょっとだけ、くすぐってみる。ある本を読んだ。誰がくすぐっても、くすぐったいものは、くすぐったいそうだ。女性の受け身の肉体の本質を突いているような気がする。いまはぼくの手がくすぐる。

 その足裏が引っ込み、毛布のなかに隠れる。形勢逆転である。地獄にも導けるものをぼくは手玉に取る。だが、意識がないときだけのことだ。やはり、本気を出せば、力を備えているのは誰であるのかは明確であろう。

 ぼくも横で枕に頭をつける。天井の陰影をぼんやりと眺めている。外を車が通過するとカーテンからもれる光がその陰影や不確かな模様をかえた。人間の顔は左右で多少、違うということを思いだしている。横に寝ているものも違うのだろう。だが、ぼくは片側を多く見ている。歩くときもほぼ同じ側にいるし、横になってもそれは変わらない。

 ある日、友は恋という幻想を抱かせてくれる相手に対して傷つけるような失言をしたといって悔いていた。ぼくは、その頃、不思議と誰に嫌われてもよいという立場の檻のなかにいた。ひとは誰かを好きにならなくても生きていけるのだという強がりのもと。だが、過去にはその狂おしい状態にしてくれたひともなかにはいた。ぼくは喜びをドーピングの薬剤でも用いたように体内のもっとも奥から感じ、同じ作用で、もしくは副作用で疲れや悲しみを根本から浸り、ぬぐい去れない衣服のように身を覆った。

 あの薬と縁を断ち切った自分は、その友がもどかしかった。そこにまだ居るのかという抵抗感や軽蔑もあった。白黒のテレビを捨て切れないひとのようなものとして。

 だが、ぼくは新たな地獄に向かったのだ。使者は寝ている。あと数時間もすれば目が覚める。ぼくは使者のご機嫌をうかがう。使者を不機嫌にしないということがぼくのもっとも先頭に置く鉄則なのだ。空腹にならないように。きょう、食べたい物を把握しておくように。

 ぼくは自分の気持ちが指令するものに従うことだけをためらわずにしてきた日々をなつかしく思い出していた。だが、それは昔のジーンズと同じように窮屈なものになっていた。自由だったものが、拘束のないこととして心配の一因になってしまった。その移り変わりを残念と歯がゆく感じながらも、檻になれた自分は広大な考えに反対に委縮した。このベッドのサイズと同じように、この場所で生きることを寝そべることに慣れてしまったのだ。

 この地獄への使者も、ぼくの言葉や表情に一喜一憂したのだろうか。誰かと会わずには暮らしていけない狭い領土の地球。会うと必ず感情が影響され、左右される人間という生き物。手に入れないと済まない性分。失うことの恐ろしさ。同時にあきらめの早さや、こころがわりの早さや諦念の有無。どこかに愛情というきれいごとで語られることのない世界がないだろうか。そこには、反対に敵対やいさかいも起こり得ないのではないのだろうか。愛情と勘違いした結果や切れっぱしがガラスの破片にも似たものとして散らばっている。ぼくはそれらを踏みつけた。この地獄の使者の足も、毛布の下から引っ張り出され、踏んだあとの痛みや苦しみを感じるのだろうか。ぼくは多少それを願ってもいた。また同じぐらいの熱度で、もし、そうなるならばぼくは自分の裸の身体をガラスの破片が散乱する路面に横たえ、彼女に傷をいっさい与えないだろうとも知っていた。

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悪童の書 d

2014年08月12日 | 悪童の書
d

 ぼくは世界の裏側から社会を見ている。地球の底からと呼び換えてもいい。

 本当は、地下鉄の線路の薄暗いへこんだ奥だ。真上の頭上のホームにはひとびとが並んだり、歩いたりしている。三々五々に。自分がなぜ、その集団に含まれずにここに居るのかが分からない。ほんのちょっと前までは自分も確かに上の住人だった。一瞬で立場が変わる。ただの酩酊がその結果に結びつけた。

 ぼくは呼ばれる。名前もない。ここは母の胎内なのだと思うとする。羊水にくるまれている。ほんとうは油じみた砂利や固い地面だった。ぼくはライトに照らされ、無事であることを確認する駅員の執拗な質問の投げかけを浴びる。ぼくは正気を取りもどうとする。なぜ、自分はここにいるのだ。列車が入ってくる。危うく命は助かったようだ。しかし、迷惑を無限にかけている。その迷惑をもたらした者だけが受ける恥の根源になっていることに詫びたい気持ちでいっぱいで、この自分という物体が消え入ることも考える。世界の闇のどこかに消える秘密の入口がここならありそうだった。

 実際のところ、上りと下りの両ホームの電車は運転を停止し、ぼくはかけられたハシゴを両手でつかみ、両足の裏でしっかりと踏み、一段一段と照明の当たる世界に戻る。喝采もなく、逆に、ブーイングもなく。

 ぼくは駅長室みたいな場所に入るよう促される。事情聴取がある。飲酒の有無を訊かれる。ぼくは飲んでいる。なにがこの部屋に導いたのか分からないまま。とにかく、どこかの分岐点を間違えてすすんでしまったのだ。

 しかし、冷静になれば、ぼくは下のあそこで一回死んだのだ。泥だらけになり、母の羊水から産道を抜け、産声をあげる。医師や看護師の役はホームであわただしく自分の帰宅が妨げられているのを解除されているのを待っているひとびとだ。翌日、ぼくはシャワーを浴び、胎内にいたときの汚れを拭い取り、すべてを忘れる。夜になるときちんとした真ん丸の満月だった。これまでに数回見た映画も、意識をもった人間として今回が生まれてはじめて見た映画となった。

 ぼくは死をむかえてもよかったのだ。無数のひとびとの帰宅を困難にして。一時、足止めにして。だが、頑丈な身体は複数の箇所のすり傷と、またこれもいくつもの打ち身程度で助かる。このぐらいなら我が学生時代の乱暴な周囲のやつらにもたらされたことより軽症で、かつダメージも少ないものであった。

 乱暴なことをいえば、柔道の絞め技で落ちる快感こそが部類としては最高なものであるようだ。酒に酔い、自分から浮遊する。そこには痛みもなく、現世にしばられるさまざまな喜怒哀楽からも解放される。結果として、闇のような場所にいる。現世は羞恥でできている。羞恥もまたある一面では快楽でもある。君もご存知のように。

 身体は油じみた匂いがする。それは地球の底の匂いでもあった。むかし、エネルギーを石炭に頼っていたころ、生活の糧としてひとびとは地下にもぐった。エネルギーに化ける塊を手に入れ、ぼくは反対にエネルギーを無駄に放出していた。

 いや、防空壕にいるのだ。もしくはスターリングラードの戦火のなかを隠れて敵を狙っているのだ。言い訳をつくる。おそらくぼくが転がる過程がビデオに記録されていることだろう。そこにぼくの正常な意識はなく、無意識下の自殺願望があるようだった。酩酊を手に入れ、自分の存在を一時的に放棄する。しかし、それは翌朝、たまには不快感をともないながらも必ずもどってくる。ぼくはゴミ捨ての曜日を間違えたひとのように、もう一度、それを自分の部屋にもってくる。永遠に捨てられないもの。その中心にあるものが、正確な自分であった。

 あの瞬間の居心地の良さをぼくは再体験したいと思う。どこにも映像を残さずに。ぼくは闇にあこがれている。同時に際限のないあかるさの太陽にも期待している。南仏をイメージするような。

 あの角度から世界を見る。ぼくは踏みしめられる床のまだ下にいた。ヘリコプターの上空から下界を眺めることも世界を理解する一因になるならば、あの傾斜をもった視線も世界を理解する固いレンガを角からちょっとずつ破壊することだった。スターリングラードの無駄な死者数が世界の一ページの確実なる記述の証拠のひとつのように。

 ぼくは世界を表側から見る。観覧車がまわる世界。高級マンションが竹林のように林立する世界。第三の男という映画で地下道をせわしなく逃げ惑う人間がいる。ぼくは、自分の酩酊の恥ずかしい状態を、美化し、芸術に高めようという努力をする。机上ではなく、経験でつかみとったことしか信奉しない人間は、関係者の迷惑を道連れにして、あの暗い場所を手に入れる。もうぼくから奪われた世界だ。もう一度行きたい。だが、もう行けない。世界の裏は、地球の底はいったい、どういうところだろう。ぼくは太陽の下でまぶしさと共に世界の光を浴び、暗い中で、これも世界の一部を実感した。ころげまわる夜中。痛む足首。貴重な財産。

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悪童の書 c

2014年08月11日 | 悪童の書
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 手切れ金のようにぼくは二千円を彼女のタクシー代として手渡した。財布には札が一枚だけのこった。受け取った手は引っ込められ、後部のドアはぼくの目からは無人の力によって閉ざされた。

 別の女性。ぼくの前を通過するエキストラの一名。

 夜中の二時間ぐらいをいっしょに酒を飲んで過ごしたあとだ。

 数年間に及ぶ期間だったが、会ったのはそう多くもない。最初は、地元のカウンターだけの店で横にいた。どちらも夜のひとりの時間を避けられる機会をありがたがるように、いっしょに別の店で夜を明かした。翌日、菖蒲が咲き乱れる公園を散策した。ぼくはそのときに使ったカメラ機能のついた携帯電話の武骨な形を思い出し、その機種への愛着も同時になつかしんだ。しかし、電話も永続して使えるものではないのだ。

 運命のいたずらというものに身を任せようと信仰に近い感情を抱いている自分は、町のどこかでばったりと誰かと再会することを喜んだ。彼女は、そのようにして、数度、ぼくの前に予告もなくあらわれた。

 ぼくは不思議と贖罪というものを考えている。賽銭箱や教会での寄付のように、ある種の尊い願いとは無縁のところで、ただ日常から逸脱できない義務のようにそこに放り込むのだ。期待が報われないことだけが唯一の願いで、恩恵との隔絶のための義務感の行動。証明としてぼくは彼女と会い、その後に肉体的な関係は没交渉であることを知っていながら、またそれを念頭にすればさらにいじらしい尊さに満たされ、いっしょに飲食をして数千円をおごった。年に数度。この期間でも十回ぐらい。ぼくのつつましい寄付。

 電車もない。深夜バスもない。タクシーを使う。ぼくは店の勘定をおごり、タクシー代の全部か一部を払った。ただいっしょに酒を飲み、話題にするのも通常なら妥当なものか判別しそうなものを、酔いにまかせてすべてを話した。

「そんなことも話していたんだ?」

 と、ぼくは何度か彼女の口から出るぼくの情報に驚いている。無節操に放たれた機関銃のごとく、何にも命中していないと思っていたら、どこかにぶつかっていた。それが彼女の口だった。

 同性であるならば、友人として最後まで通る。たまにはおごるし、おごられる。見返りも必要ない。好きになってもらわなくてもかまわないし、友情の熱い発露など、だいたいは重いものだ。親しくしていても敬遠する友情の状況がたしかにある。異性では、感情の問題がもっと密接に絡みつく。感情の表面は、最後は肉体の接触を希求した。二種類の人類しかいないのだから、これも仕方がない。その関係性がなくなった世界など、ぼくの住む場所でもなさそうだった。

 ぼくには追いかけるべき存在の女性が目の前にあらわれただけなのだ。だから、一先ず、こうした邂逅はできなくなる、という本音を言えずにいた。そして、どちらもその言葉を要する関係には発展していなかった。祝うべき記念日もなく、いつ、連絡を取り合うかなどの約束は一切なかったのだ。

 だが、不思議とぼくは彼女といると安心した。ある期間の時間の流れには大きなニュースばかりで埋め尽せない、つまらないニュースがたくさんある。ニュースの余った数分間を埋めるイベントや行事。その放送の繰り返しが地域の文化ともなった。ぼくというひとりの歴史にも大きな起伏はなかった。それでも、多少の小さな山場はできる。そのことを報告し合い、酒を飲む。散在とも遠い金額。贖罪。ぼくとかかわらなければならなくなったことへの埋め合わせ。つまりは、自分の値段だったのだろう。

 ぼくは深夜のハンバーガー店で翌日の栄養にもならない、ただ過剰なカロリーを取ることだけのためにカウンターに並ぶ。先ほどのタクシー乗り場を通り越し、歩きながら包装を解き、ハンバーガーをかじった。ピクルスの酸味が味覚をうしないかけた舌にほどよく効いた。甘さもあれば、酸味も判断できるようになった舌。ぼくは完全に関係性を終えられるかどうか考えていた。追うべきひともできた。そのひとは追われることを望んでいないかもしれない。埋め草のニュース。

 またどこかで会うかもしれない。ぼくは太るか、痩せているかのどちらかだけで判断される。人間の脳は多少の変化も考慮して、相手を判断する。その判断もわずかな期間である場合だけである。ぼくは小学生になる目前の友人たちのことを会っても分からないだろう。さらに時間が経てば、どちらか、あるいはどちらもいなくなっている可能性もある。贖罪もできない。そもそも贖うべき罪も存在しない。ぼくの悪もきちんと墓に葬られ、見事な菊を飾る。墓石の角も摩耗され、歴史は評価をつけくわえる。ぼくはローマの皇帝でもない。だれにも善も悪事もスキャンダルもエジプトの女王との恋も暴かれない。酸味も甘さも辛さの感覚も失い、手切れ金を払うこともない。すべてと手を切ったのだ。切るというのは結びつけるということより容易そうだった。靴の裏にこびりついたガムをはがすより容易そうだった。

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悪童の書 b

2014年08月10日 | 悪童の書
b

 結局は、大まかに突きつめれば、「疑う」ということが左であり、「信じる」という行為そのものが右でもあったのだ。

 プラモデルという既に必要な一式がパッケージされたものが販売されている。信じるという究極の形のような気もする。あのなかにあるもので、すべてが成し遂げられる。疑う余地を挟むことすらできない。

 ある日、学校の授業も終わり、家に帰る。そこにいとこのお兄さんの姿がめずらしくあった。大人の視点であの状況を振り返るならば、ぼくの母になにかの相談があったかもしれず、もしくは、金の無心のために訪れたのかもしれなかった。両方とも子どもの立場だったら手放しで喜んだが、片方はもう大人になりかけていた。だから、そこには遠い日のような密着もなく、ある距離がふたりの間にはあった。

 ぼくの机の引き出しには、完成されなかったプラモデルのいくつかのパーツがあった。捨てるのももったいなく、かといって完成するための部品がそろっていないので、子どもの感覚ではどうしようもなくなった代物だった。その不揃いな部品を組み合わせて、あとは接着剤の効果で数体のものを彼は暇な時間に作り上げていた。ぼくは驚く。A面とB面をくっつけるのを連続させると、ひとつの物体になり得るものだと思っていた。あるひとつの、例えばバックミラーのような些細なものでもなくなれば、いくら頑張っても車にはならないのだと決めかかっていた。だが、数体の完成品が机のうえに並べられていた。所有権はどこにあるのか?

 思いがけないことに、いとこの兄は、「これ、作ってあげたんだからいくつか貰ってもいい?」と訊ねた。

 理由としては、自分のためではなく、近所の子にあげたいらしいという意図のようだ。それに、君には、もうこんなに、今日以外のものでもあるじゃないか? という理論や説得が働いているらしい。その後の経過をぼくは憶えていない。母に諭されたような気もするし、頑なに拒否したい一面も自分にはあった。それを買ってもらうための甘えもお願いすらも自分のもとから出たのであった。駆け引きの時間と懇願こそが、ぼくの所有を頑なに訴えた。

 しかし、ぼくは大きくいえば「取り引き」というものに直面した最初の機会としてこのことを憶えている。そこには交渉の余地があり、妥協の産物もうまれる。多少の利益や損失を未来にいる自分の目を通して考えるのだ。ぼくは完成品というものだけを信じ、そうならないものを見捨てていたのだ。創意工夫というものは疑うという観点から出てくるのだろう。完成予定図をコマ切れにして。

 疑うひとは、信じたがるひとの信じている真実、あるいは現実より、偉大なものを提示し、実証し、過不足なく実行しなければならない。疑念というのは、そこまでいってはじめてスタート地点にたどり着く。スタートでは何事も解決できず、完膚なきまでに成し遂げて疑いは完成する。すると、疑いは、信じるということとほぼ等しくなり無意味になる。ぼくは、仕事も、愛も、性交渉も信じていない。ならば、結論はどういうものか? 答えはどこに?

 あらゆる野党(政治に限定しない。レギュラー以外の総称)は必然的に失敗する、ということを飾った文で書こうとすると、こうなる。でも、疑うことは甘美である。責任もない。信じるひとの言い草は? いるなら、お化けを連れて来い! という言葉に尽きる。通帳の残高。疑いの貞操帯を一心に信じる。

「性交渉を信じないって? そんなの虫歯が痛いから、とにかく早く削って埋めてということと同じでしょう」と、彼女は言った。ぼくは下品だと思った。その下品に付き合わされている以上、ぼくも上品とは、さらさら言えなかった。「信じるもなにも・・・。飛んでいる蚊を潰すのは、信じているから? 正しいと決めたから? ただの衝動だよ」ぼくは追い打ちをかける彼女の口をふさぐ。やりきれない。

 ぼくはプラモデルだけを相手にする子どもではもうなかった。取り引きのようなものもいくつか経験した。誕生日に買ってもらった大切なものも廃れれば友人たちに売ったか、交換してもらった。そのときに必要なものは、これか、またはあれに代わる金銭だった。

 彼女は、ぼくのこころを把握していないが、ぼくの肉体を信じているようだった。喜びの供給源として。その代償として、彼女は自分のこころをぶしつけな言葉で傷つけられる。そこに均衡があった。均衡だけがあった。

 ぼくは家畜たちの臓物を食すのを愛するひとのように、女性たちの傷ついたこころを欲した。だが、その重さを計りかねている。彼女たちは不用意に泣き、その後、からっと笑っていた。ただガソリンを補充するようにその過程を繰り返していた。ぼくがいなくても笑い、ぼくのトゲトゲした言葉がなくてもどこかで泣いた。その一連の流れをエネルギーとして彼女は動いた。生きるというのは結局は、虫歯の治療となんら変わることはなかったのだ。小さな心理。

 ぼくの疑いは経常的になり、だからその状態を信じてもいた。ソファは安らかでぼくは身体を横たえる。バック・ミラーのなくなったプラモデルの車体。その部品を埋める穴。欠如の無言の叫び。いつか引き出しの奥から出てくるかもしれない。その時には、幼少時の夢中になった記憶など寒々しいものとなっている。

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悪童の書 a

2014年08月09日 | 悪童の書
 セリーヌに、ヘンリー・チナスキーに

a

 それほど、きれいではない女を抱いたとしても、彼女はまだ二十代だった。幸運ではないか?

 幼少期の記憶。数軒離れた家に猫が飼われていた。その家の表札にかかっている苗字が前につき、どこどこさんの家の猫と呼ばれていた。ある日、事実が母から告げられる。

「あの猫、ほんとうの飼い主さんは別にいて、こっちの方が居易かったのか、あそこにいるだけなのよ」

 と、本来の飼い主の名前と場所もその際に教えられたはずだが、事実の衝撃の下に隠され、もう覚えていない。そういう不埒な真似を猫はしてもいいのだろうか。許されることなのか。ぼくは、撫でたこともない。疎遠なままだった。だが、複数の手がその猫のあごのあたりを触ったのだろう。そうされるのは当然だとやすらかにつぶられた目をしながら気持ちよさげに受容して。

 歴史の書を読む。ページをめくる。権力者がいる。王様でもどこかの教皇でもいい。人妻が登場する。権力者はひとのものが好きになり、自分の力を行使して、率直にか、はたまた陰謀に紛れ込ましてかは分からないが、夫を殺害させる。自分の手は汚れない。次のページをめくる。その女性の感想などまったくない。夫殺しの張本人であるいま横にいる男性への復讐を固く誓った、という記述があるべきだが、どこにもなかった。受容する。よその家の方が住みやすかった猫のように。何本もの自分を撫でる手。甘い時間。

 疑っているのだ。オセロは疑っているのだ。それは肉体の問題でもありながら、本質は、ものごとの確かめるべき重要な事柄は、見えないこころであるべきなのだ。いや、肉体への充足を受け、与えた事実のことだけをきちんとした証拠として衆人の注視のもと提出されるべきであるのか。

 では、提出するべきだ。どこから? 裁判官。もとい、陪審員。

 一晩の眠りがひとつの夢を与えてくれる。現実との摩擦の折衷をはかってくれる。なれたかもしれない可能性の姿をしめしてくれ、成し遂げられなかったゴールを見させてくれる。だが、ゴールの先にあるものは意に反してつまらないことだってあるのだろう。ゴールは先であるべきだ。来ない方がいい。でも、猫は撫でられた。犬も撫でられた。その感触はぼくの手からも消えることはない。引っ越し先で梱包された荷物を開く。どこまでが引っ越しだろう。荷物をトラックの荷台に運んだときまでか。それとも、荷物を解き、通常使用するお茶碗の定位置が決まったときなのか。その途中にはゴミがでる。数々のほこりが宙に舞う。そのほこりには名称もなく、スポットライトもあたらない。いつか、地に落ちてチリとなり、歴史の堆肥となる。発掘される貴重なものたち。土に還るだけの運命のもの。

 新しい住居で目を覚ます。自分がどこにいるのか一瞬だが分からなくなる。床にはまだ段ボールが積み上げられている。新しいカギ。同時にセットである新しいカギ穴。カギの組み合わせの総数。ぼくは気にも留めないであろう。使えるのはひとつに限られているのだ。ぼくは着替え、新しいカギをポケットにしまい、出勤する。新しいゴミ捨て場。新しい猫やカラス。

 ぼくは仕事が終わってかなり酔う。だが、前のアパートに戻ることはない。一晩、過ごした新しい住処に向かう。カギを探す。新しいカギ穴。ベッドに直ぐにもぐり込もうとするが、足元の段ボールにつまずく。過去から継続して使われるものたち。新しいものを買いそろえても、次の住居でも無言で働く愛用品。それらのひとつひとつが意志と記憶をもったら、いったい、どういうことになるのだろう。スプーンは手肌の感触を残存し、舐められた形跡を覚えている。洗剤とスポンジはあらゆる汚れを覚えている。ぼくは、意味もないことを考えつづけようとしたが当然のごとく睡魔に負け、眠ってしまった。

 朝になる。歯ブラシを咥えたままリビングに取り残された箱を見ている。箱の中味は思い出せない。開いてから探していたものだったと気付き、逆になぜ引っ越しのどさくさにまぎらせて処分しなかったのかと後悔する。どれほど、欲していたものでもいつか飽き、捨てられる側にまわる。引っ越しでさえ、ぼくを哲学者にさせる。

 二十代の女性に教わることもある。冷静な判断をくだせば。もうぼくは前のカギがどういう形状なのか思い出せなくなっていた。あっさりとしたものだ。グラムも分からない。何年もぼくのポケットで温められていた品物が無縁になった途端に記憶から薄れた。それがなければぼくは自分の家からも締め出されることになるというのに。ぼくはすべてを忘れたと思っている。思おうとしている。不可能への対決であることにある日、ぶつかる。挑みには失敗して脳のいくつかの層の勝利を叫ぶ。幸福も含まれていたことを知る。またカギというものが肌身離さず必要でなかった期間、常備してなかった時間がなつかしかった。多くのひとは薬指にリングをしている。もし、落とせば古い家のカギのように、数々の記憶がなくなってしまうのだろうか。当然、そうではない。ぼくの脳は勝利も敗北も同じ部屋のなかに蓄積されていた。部屋の整理が苦手なひとのように混沌とした映像に放り込まれていた。映像だけではない。におい、ぬくもり、湿感、湿り気、手触り。ぼくはまたリビングの箱を見る。どれほどの時間が経過すれば、これらは土に還ってくれるのだろう。答えはない。探す気力もない。ただ、次の週末に時間を見つけて片付けるだけだ。そこで、引っ越しが完成されるのだろう。完遂。しかし、そんなものもないことに気付く。数年後にはぼくは別のカギを持っているのだろう。
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11年目の縦軸 38歳-44

2014年08月06日 | 11年目の縦軸
38歳-44

 すべての恋に破れた自分は押し潰されそうな気持ちを抱きながら、地下鉄の駅を降り、地上への階段を一歩一歩上がり、さわやかな風を浴びた。

 ぼくの目の前の片隅、斜め前あたりにとくに注視しなくても、ホームレスの男性がいることが分かった。ぼくは視線を移動させる。戻る家はなくても家財道具は必要になる。車輪のついたカゴにそれらを放り込んでいる。秩序も他人からは分からないように。ぼくもひとりでいることに変わりないながら、生まれたときの状態ではない。さまざまなものを記憶として荷物のようにため込んでいた。捨てる機会も作らないままに、秩序もなく、無雑作に。記憶のなかの映像は、日に日に粒子が粗くなる。それらが突っ込まれたぼくの架空のショッピング・カート内の品物も、レジで正当な代金と交換せずに通過してしまって、品物を満載させたままだ。対女性だけでも、これほどの分量になってしまった。見逃されないで、このこころの万引きを誰かが咎めないかと願っている。そうすれば、ぼくは詫びながらも手放せる機会を代償として、かつ見返りとして手に入れられるのだ。

 大きな寺社の門がある。ぼくは境内に入り、一息ついた。その名も「門」という小説があったことを思いだしている。成長した主人公は、過去の行動から世間と隔絶するようになっている。それでも、社会生活があるのだから完全には、という訳にもいかない。気持ちの問題としてというのが正しい。

 若いころ、女性に誘惑されながらも、無意識にはねつけて、そのしなかった行動をなじられた場面があった。三部作の最初のなかのエピソードだ。ぼくは希美の代わりにした女性を思い出している。これは三人の女性だけの物語にするはずだった。ぼくは、あそこで拒むこともできたし、抵抗すればよかったのだ。こう書くと、ぼくは受け身であるようだが、やはり、ぼくは能動的だったのだ。文字になった時点でぼくの行動は正当化されることを期待し、望むようになる。三人の証言で、ひとりの被告の弁論はすべて否定され、覆すことも可能なのだろう。関わりたくないという一点だけで参考の証人は出廷しない。そして、ぼくは勝手なことが書けるし、ここで書いてきた。

 彼女の名前を思い出そうとする。名前以外のものも頭の奥から引っ張り出そうとする。彼女はいったいぼくのどこに消えてしまったのだろう。彼女との数時間だけで、これに似たものが書けただろうか。答えを待つまでもなく、不可能であることは当人がいちばん知っていた。ショッピング・カートには前に使ったひとの捨てられたのか必要なくなったレシートもそのまま底に入っていたのだ。悪いと思うが、あの女性はそのようなものだった。誰かが彼女の人生の対価を支払ったのだ。ぼくはその名残の紙切れのようなものを見るに過ぎない。

 あの三人は配送料をかけてでも届けてもらうような大きなものだった。冷蔵庫と洗濯機とエアコンのような部屋の中心となるものたち。なぜ、ぼくはそれを家にもってきてもらわなければならないのだろう。今更、受取り拒否もできない。あれらを使って生活してしまったのだ。声高にはいわないがぼくの一部以上だった。いや、すべてに近いのかもしれない。

 最初のひとから二十年以上経過し、次からも十年、絵美からも数年が経っている。彼女らは文章として再度、命が吹き込まれるとは思っていなかっただろう。ぼくのこの愚劣な文で再創造された自分たちになじめないかもしれない。ぼくはある面では美化して、もう片方では無駄を削った。ぼくにとって無駄な時間も秒も姿も決してなかったくせに。この三人が美化なら、ぼく自身はどう表現すればふさわしいのだろう。醜さの縁取りを消し、レンズで淡くして、かつ照明をたっぷりと当てた自分。うそだか本物だかあいまいにしてしまった自己の姿。

 太陽が照っている。今日を晴れにするか雨にするのか、ぼくの意志など考慮しない空を見上げる。ぼんやりとこうなってほしいと考えるも、どうするかの最終決定は当然、ぼくに委ねられていない。さらに素敵なこととして考慮以上に空は美しかった。ぼくの人生も大差はないのだ。晴れにしたかったのか、雨で満足だったのか。傘は適度な回数を開くために作られたのだから。

 ある時刻が近付いている証拠として寺の鐘が打たれる準備を僧侶がしている。ひとつの音を数回叩く。ぼくはその音を予想して、自分の口から似た音階を出す。大きなずれはないだろう。周りのひとも鐘の音を待っている。腕時計も、電話の正確な時刻も手元にあるのに。

 締めくくり方。唐突に。

 ゆっくりと境内でひとりで勝利をかみしめる。三つの音の途中で。四つ目はいらない。

 ゆっくりと悲しみのぬか味噌をかき回す。

 いや、やはり、ゆっくりと傷だらけの勝利をかみしめるのだ。これも、格好良過ぎる。

 こうするか。服に取れてしまったボタンを縫い付ける。糸を切って針と短くなった糸を裁縫箱にもどす。そして、新品に生まれかわったかのようなシャツの袖に腕を通す。なかの男性も新品にもどって、あの寒い日のデートの日に向かうような気持ちになれるといいと考える。朝の九時。彼女が待っているあの駅へと。


(終わり。マエストロ、舞台を去る。肩越しに拍手の強要。遠慮してスタンディング・オベーションには至らず。アンケートを回収しております。ご協力をというアナウンス)

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11年目の縦軸 27歳-44

2014年08月05日 | 11年目の縦軸
27歳-44

「どう、お前のタイプだろう?」と友人はすれ違う際に狭い通路で訊いたが、返事の前に自分の席にもどってしまった。

 ぼくは洗面所で手を洗いながら、ひとり言をつぶやく。「帯には短くて、タスキには長いと」

 ぼくはその響きを自分の耳で聞きたかっただけなのだろう。本来の意味合いはあやふやなままだった。おそらく、用途や使いみちとして足りないことを伝えたいのだ。用途? 使いみち? そんなものを女性に当てはめる必要があるのか?

 当然、ぼくは帯もタスキも身に着けたことはない。しかし、形容としてそれぐらいぴったりとする言葉を見つけられなかった。話していても楽しいし、優しそうでもある。美人の部類にいれてもまったく問題ない。リコールのない美人。きっかけはこうして作られている。ぼくは水道の蛇口をしめる。その言葉も妥当ではない。見馴れない方法で水は止まるのだ。誰が通常の使い慣れたものに変更を加えてしまうのだろう。

 ぼくは席にもどる。第一にされることは、美人の顔が笑っても加点しかないという事実を教えられる表情を向けられる。ぼくも、少しぎくしゃくとしながらも同じような表情を浮かべる。敵意はない。その小さなやりとりなど無視して、友人は洗面所の蛇口について考察を述べている。彼は服がその所為で濡れてしまったと伝え、シャツをめくる。鍛えられた腹筋を見せるための一環で、その後は女性たちがその腹を撫でたり、軽く叩く様子に変わった。

「子どものころ、空手習ってたんですけど、いいですか?」と、ぼくのタイプと評される女性が思いがけなく口にした。それから、右手の拳を左の手の平でつつんだ。

「よくないよ」と彼は言って、狭い席を縦横無尽に逃げ回った。みんなが笑う。ぼくは希美のことを忘れている。

 最後に電話番号の交換につながる。ぼくの自由な行動は誰に責められることもない。だが、誰かに追及され責められたいという願望をぬぐえなかった。その権利を有しているのは希美であったのにな、と甘い追憶の入り口の前にまたいた。

「どうだった、タイプだろう?」彼の口から何度も聞いた言葉がもう一回だけ追加される。「空手少女だったのか」
「悪くないね」
「悪くない? こんな完璧なセッティングをした友に向かって、出るのはそれだけか」

 彼はずっとぼくに対して不満と愚痴を言いつづけている。手加減もない。だが、友人の関係の長さがそのすべてを帳消しにする。

 ぼくらは別れる。ぼくはひとりになって今日の出来事を再現してみる。帯にもタスキにも、という表現が足りないという状態を仮定しての意味であることだったが、まったくその反対で余剰なもの、過ぎたるものだと思おうとした。元気で、健康で、静かだと思っていたが、スポーツにも秀でていた。ぼくは彼女を選ぶのだろうか。あるいは彼女はぼくに最初の合格点を出す気でいるのだろうか。

 ぼくが動いても無視をきめこんでも、途中経過を友人は教えてくれるだろう。どちらにしろ、応援したりなじったりするのが彼の役目でもあり存在意義なのだ。

 電車に乗る。窮屈な姿勢のまま上の吊り広告を見る。新しくはじまったドラマの賛否が太字で書かれていた。ヒーローは永遠にヒーローであり、ヒロインは不老の薬を手に入れなければならない。毎日、愉快な日々の住人であることを強いられる。出会いも失意も効果的な音楽が背景を奏でてくれる。ぼくは酔った乗客同士のケンカを耳にする。身体がぶつかったかどうかが議論の中心だ。この狭い車内でひとに触れないことなど不可能だった。この狭い東京でぼくらが出会わない方が選択としてはむずかしかった。しかし、行動範囲もかわれば不図会わなくなることも多い。いや、それしかない。彼女たちはどこかにいるのだろう。希美は歯をみがいて寝る準備をしているころだろうか。ぼくの家に歯ブラシもあった。あれがあそこにあっても彼女は大丈夫なのだろうか、とぼくの酔った脳は前後も未来も過去もごった煮にして考えてしまう。

 ぼくは歯磨き粉のチューブがなくなりかけていることをそこで思い出す。空手少女の握力ならば、もう一回分だけひねり出すことは容易だろうかとも考える。その為にぼくは交際を申し込もうと誓う。ぼくのこのチューブから一回分だけ押し出してください、と。

 ぼくは乗客に背中を押されるようにしてホームに立った。みんな誰かを押し出すのだ。強引に車内にも、あの居心地の良かった場所にも、夏休みの最後の週にも、リゾート地のさわやかなビーチにものこりつづけることはできない。不満もないが、日常はきびしく、貴く、温かいのだ。空手少女のいる日常だって、それはそれで温かいのだろう。殴られるような失態さえしなければ。

 ぼくは改札をぬける。深夜のコンビニエンスストアで歯磨き粉を買う。

「袋に入れます?」
「え?」

 店員は品物とぼくのカバンを交互に指差した。髪の色をなんと形容したらよいのだろうとぼくの頭は語彙の沼をかき回す。これが今日聞く、おそらく最後の言葉なのだった。希美の声はどういうものだっただろう。新婚の希美の声はどういう音色だっただろうとぼくは想像する。
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11年目の縦軸 16歳-44

2014年08月04日 | 11年目の縦軸
16歳-44

 ぼくは自分の経験を手放そうと必死になって書き、そのために辛さを再燃させて手繰り寄せ、結果として、別の形の悲しさを自分のなかに引き寄せてあらためて刻んだ。ある種のものは手放しながらも、釣り合いの取れた別の悲しみと交換した。残高のつじつまは終いには合い、結局は出納をしただけで、利息も損失もなくいっしょのようでもあった。元の木阿弥という表現をぼくは一度も使ったことがないながらも、いま鮮明に思い出していた。もしくは、過去の傷の陰干しをしているようだった。漁師が護岸で破れた網をつくろうようにして。

 だが、しなければいけない工程なのだったのだろう。おいしいフォンドボーを作る過程のように。

 では、ぼくはそのソースの元でいったい何を作らなければならないのだろう。仕上がるのは、どのようなスープだろう。分からない。完全なるレシピなどぼくの手元にはない。

 ぼくはぐるぐると中味をかき回し、煮詰まっていく様子を見ていた。素材の固さはもうとっくにない。原型など二十年前に小さく切り刻んでいたのだ。具材は無造作に放り込まれ、その結果、いまのぼくができる。違うバージョンのぼくなど想像することもできない。とくに何があっても、この自分にしかならなかったのだろう。そうではなければ歴史家も困ることもないが、ぼく自身が困る。困るという意味合いとも別で、納得がいかないという方が妥当だろう。では、どこを納得するのか。きもちのどこを自分で納めるのか。何も分からない。

 回す作業も終わりだ。味見をして最終の判断をする。皿に盛られ、客前に運ばれる。はじめての料理。失敗すれば、二度と作られない味つけ。

 ひとは、現実の世界で再現できない料理をずっと作りつづけている。やみくもに。材料も調理器具も一流品だけを選べる訳でもない。親か、その近辺のひとが用意したもので賄うしかない。ぼくは決してキャビアではない。豆腐かゴボウぐらいのものだ。これで作れるものなど限られている。ならば、良くやったと宣言しても過大評価にはならないだろう。素材がもつ実力程度には、発揮できたのだ。その味を喜んでくれた数人がいたのだ。

 はじめの彼女。

 ぼくは地区センターのようなところで、見知らぬ子どもが描いた母の絵を目にする。描いた方も、肖像になった女性もぼくは知らない。その上、当人がここにいてもぼくは発見できないはずだ。子どもの画力などこの程度しか備わっていない。それをとがめるほどぼくは冷酷にもできていない。実際、ぼくはその絵を見て感心している。

 ぼくの、はじめの彼女も、もうそのぐらいの姿になってしまっている。正確なものから遠くなってしまったが、感動自体をすべて奪う力はなくなっていない。ぼくが描いたとしても、当人には似ていなく、当人も自分だと気付かないはずだ。ぼくは、この四十四回というものを通して、絵ではないが力の限りにやろうとしたのだ。取り組んだのだが、正確な、ありのままの彼女ではない。ぼくの目という歪みを生じたガラス越しの肖像だった。ありのままの彼女など、もうどこにもいないのだ。アンナ・カレーニナやボヴァリー夫人が紙面にしかいないのと同じく。

 だが、書く理由が根絶されたわけでもない。モナリザはほほえむためにこの世に生まれて、真珠の耳飾りの少女も生を受けなければならなかったのだ。動きは制限されながらも、本物より輝きを有した姿があった。

 それほど、ぼくは技術に長けていない。生まれ落ちた日に、技能も観察する能力のプレゼントの箱ももらっていない。手ぶらで生み落された。二冊の本の主人公の生き生きした振る舞いや、二枚の絵画の女性たちより劣ったものしかのこせなくても、それは仕方がないことなのだ。実力不足を嘆くことすら傲慢だった。

 だが、出会って、そこから関係が発生したことが、なにより重要なのだった。ぼくが会った大勢のなかで三人は確実に大きな存在だった。そして、ぼくのこころや思いは正確な大きさとは呼べないかもしれないが、伝わって相手のそのこころのどこかに移動した事実も宝だった。

 子どものおもちゃで似たような形から選んで、同じ大きさの穴に木の模型を組み込むものがある。ぼくは奇跡的にその遊びを本物の人生ですることができた。むりやり強引に押し込めたわけでもなく、うまい具合に模型は見つけられた。その喜びを忘れて、文字で埋め尽くすという簡単で、かつややこしい方法をとり手放そうとしたが、そんなことは本質的に無理だったのだ。しかしながら、ほこりにまみれても台帳にはきちんとインクの文字が記されている。帳簿には、無駄なことに思えても後々のことを考え随時、記すということが立派な日々の務めなのだ。

 これらを鍋に放り込んでいる。できた味付けの可否に拘泥する。モナリザにもならないし、フェルメールの青を基調としたターバンの魅力ある少女にもならなかった。だが、ぼくにとってはそれでいい。ぼくだけが、彼女の果てしない魅力の賛美者であり、目撃者なのだ。ただ時間だけが過ぎる。実際の目はいずれ、かすれるかもしれない。視力も弱くなる。だが、ぼくの本来の目はあの少女の生命力と輝きを一心に見つめることができる。また、そう信じないとぼく自身が崩壊してしまうのだ。
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11年目の縦軸 38歳-43

2014年08月03日 | 11年目の縦軸
38歳-43

 もし仮に、マーケットの精肉売り場の主任が、毎日、折り目のきちんとついた卸し立てのエプロンをしていたらどうだろう。閉店間際になっても。清潔なひとだという印象は与えるが、このひとが肉の良し悪しに精通しているとは思えない。事務作業としての長所はいったん無視して。ぼくらは、ある種の風貌をもとに数々の判断をくだしているのだ。

 では、恋の物語を書くにふさわしい容貌とは? そんなものはない。ただ文字だけで表現すればいいだけだ。

 彼らは、その後、幸せに暮らした。その結論が書けたら、どんなに良かっただろう。ありふれており、陳腐でありながらもどんなに簡単だっただろう。ぼくは終わりにする方法が分からない。設計図もなく、ただ何となく壁の落書きのようにスペースがなくなることを望んでいた。

 携帯電話に番号がのこっている。アドレスもある。この数字やアルファベットが彼女に通じる記号だった。もう意味をなさない。油断してかけてしまう心配もあった。ダイエット中なのに、甘いものの誘惑に負けるように。

 ぼくはその番号などを消す。さようなら、数年間の喜怒哀楽。

 反対にこころにスイッチもない。停電もない。再起動もない。継続とゆるやかな忘却に身を任せるしかない。だが、ゆるやかというおぼろげなものにすべてを任せきるほど悠長ですむものでもない。ぼくは閉店後に汚れた床を掃除するように水を撒き、デッキブラシで強くこすった。床にはこびりついた汚れがあった。ぼくのこころのなかにも、しがみついて容易に離れない記憶の数々がのこっていた。

 絵美が生まれた日もある。ぼくらが出会った日。それは明確ではない。ぼくらは仕事の関係で何度か電話で用件をやりとりして、あるコンサートでその声の持ち主を知った。ぼくはその日の音楽を思い出そうとするが、題名は出てこない。クラシックの曲名をそれぞれ言えるほど、ぼくは愛好家でもない。しかし、その軽やかな響きと経験はこころにきちんとのこっていた。

 ぼくは良い瞬間ばかりを思い出していた。悪いこと、辛いことは人間の生命の存在や維持に対して、不必要なグループなのだ。だが、それらを忘れてしまったら、ぼくのこの長々した物語の根底の砂利のようなものも、すべてさらって土手で干上がってしまうだろう。それも不愉快だ。ぼくの思い出は良い面だけで構成されていない。どら焼きの皮とあんこの両方で命名に値するものとなるのだ。

 中身には、絵美との良い記憶たちが眠っている。

 彼女が選んだ別の男性。ぼくは憎しみももてない。ほんとうのところは、あるのだろうが表面だって主張してこない。ぼくの嫉妬は引っ込み思案になった。それを全面に出して戦うことは危険な賭けなのだ。これも臆病を土台にする生存の一環の形なのだろう。

 結局、恋なんていう感情にぼくは精通しない。これが最後の機会でもあったように思える。九回の裏でサヨナラ負け。ぼくに見合っている。延長も、再試合もない。汚れたユニフォームはすがすがしい勝負をした姿だ。負けチームがいなければ、そもそも試合も成り立たない。

 すると無駄な分け方だが、三人の女性は三回ずつを受け持ったと仮定する。序盤戦。中盤戦。結末。ぼくは一打席目で特大の場外ホームランを打たれる。ヒットもこわくなり敬遠に近いボールでごまかす。その恐怖を克服して中盤は意のままに運べそうだったが、また盗塁の連続で試合も根気もかき乱される。ようやっと、同点に持ち直したが、また最後には逆転。だが、そこそこ試合は楽しめた。オッズもなく、観客もいないがぼくの試合としては充分ありがたいものだった。

 アンコールを拒絶する歌手などいない。それを含んでのショーなのだ。しかし、ぼくはショーの舞台に立っているわけでもない。照明係はさっさと役目を終え、主電源も切ってしまった。あとは深夜の勤務の警備のひとがアリ一匹通さないように監視の目を働かせている。ぼくの誰かを愛したい気持ちも終わりだ。さようなら、紆余曲折の歴史。

 ぼくも自分の荷物を抱え、門をでる。ビルにいた最後の人間らしい。警備の係りは小さな窓から顔を出して、にこやかにほほえむ。彼の時間はこれからなのだ。後ろのテーブルには使い込まれたポットがあり、おいしそうなにおいが横のカップから湯気とともに立ち上がっていた。

 ぼくは静かな夜の街を歩く。コンサートの残響のようなものを耳にする。それは蜃気楼にも似たものだ。ぼく自身も自分の思い出の確保をむずかしく感じていた。あれは確かにぼくのものでありながら、一部かあるいはもっと増えていくのかもしれないが、少しずつぼくの手からこぼれていく。ぼくの恋する機能は終了した。これから、なにに注意を働かせるのだろう。成人病。三大疾病。高血圧。

 これは恋の物語だった。ぼくの人生をかけた登山のようなものだった。雪崩に遭い、もう終わりだ。もう少しまともな自分の人生もどこかにあり、もう少し賢く美人なひともいたかもしれない。ひとに責任を押し付けるのは甘美である。いつでも、爽快であった。彼女たちが優れていて、ぼくは例えようもなく恵まれていたことは、自分がいちばん知っていた。それを証明したいと思って書いたが、もう文を目で追うなどという行為は、明らかに終わった形態なのだ。ゲームで誰かを打ちまくった方が爽快な気分になる。ぼくも彼女たちを敵とみなして、そうしたゲームでも作ることにしよう。
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11年目の縦軸 27歳-43

2014年08月02日 | 11年目の縦軸
27歳-43

 希美が結婚する事実と招待を案内するはがきが友人たちに送られてきた。ぼくには来ない。

 ぼくには祝うという役割も与えられない。数年間、いっしょに楽しんだ間柄が、逆にぼくらを遠い場所に置く。これが別れの本質で、磨きこまれた正体なのだ。

 あるひとを頭のなかから完全に抹消することなどできるのだろうか。答えが出ている質問をわざわざぼくは自分にもちだす。その提示に対する回答を誰も要求しないが、否定したい気持ちもどこかにあった。

 未来のどこかの地点に自分を置く。そこから今日をのぞくようにする。この悲しみは、ぼくの体験ではないようにも思えるが、当事者であり、進行した姿というのが、悲しみを帳消しにするほど、幸福も含まれているのだ。そのことを忘れてはならない。さらに、忘れるなども起こり得ない。

 過去のどこかに自分を置く。ぼくは希美の存在など知らず、自分がもう一度、恋をすることも、またその気持ちが報われることも当然のこと知らなかった。ならば、幸福以外の何物でもなかった。

 現在にいる。常に、ぼくは現在にしかいない。

 身体はひとつで、喜びも疲れも、この今を通して味わっている。口にした栄養は未来を形作るのだろうが、ある意味では、この瞬間においしさを追い求めた結果でもあった。ぼくは常にいまにいる。

 希美のいまとの接点が絶たれる。その状態が不幸の原因となるのだ。

 では、不幸とは?

 不幸を回避するのは今後も、誰かを好きになる要素と機会を絶滅させることなのか。こころの中心に原子爆弾のようなものを落として命中させることなのか。ぼくは破壊を許すのだろうか。

 希美はケーキを切るのかもしれない。衆人の看視のもとで。たくさんのフラッシュを浴びて。

 ぼくはふたりによって自分のこころを鋭い刃で切られているところをイメージする。横たわるのはぼくの身体。縫うこともなく、血は流されるのだ。正当な量を。ふたりで費やした日々の分を。

 ぼくは、だが立ち上がるのだろう。過去にもそうした。長い月日がかかったが、今回はもっと短くなる算段だ。大人はこうしてずるくなる。逃げ道を確保してものごとにあたる。ある意味、正面衝突を避ける。

 ぼくはうまく立ち回ろうとしている。友人がぼくの落ち込みの度合いをはかる様子をする。遊ぶために誘う頻度が多いように思う。出会いを、さりげなくもない形で提供する。希美を越えるひとはいない。だが、ぼくはどの尺度を利用しているのか、自分でもその物差しが分からないままでいた。容姿なのか。彼女の思考なのか。物事の取り組みの方法なのか。話題の組み立て方なのか。彼女の本質はどこにあり、ぼくはそのどこに関心をもっていたのだろう。

 離れてもその愛着は、粘着の力をのこしている。マジックテープのように剥がすのには力もいり、音もでる。直ぐに忘れるということは、それだけ力もなかったことになる。彼女が離婚しても良いわけもない。だが、ぼくは二十年後の彼女を愛すことができたのだろうか。ぼくのあの十代の少女は希美が忘れさせてくれたのではないのだろうか。

 いや、別々の部屋にいる。あるいはふたりは別の階にいる。ぼくはエレベーターに乗り、それぞれの階に自由に往き来がいまでもできる。おそらくこれからもするだろう。ぼくの裁量と一存で決めてもよい事柄たちだ。本人はもういない。ぼくはその過去の亡霊を無心になつかしむことになるのだろう。

 なつかしいという言葉も現状では、ぴったりとはしない。もっと赤裸々なこころを暴かれるような対面になるのだ。後悔と嫉妬とやり切れないあきらめをともなった、混在させた固まりのようなものがうごめいている。

 ぼくは自分を美化している。その数人を思い出すのには忙し過ぎ、別の女性たちを頭のなかにも、目の前にしても受け入れる隙間もつくっている。ぼくはホテルなのだ。まだ別の階も、別の部屋も予約客を待っている状態だった。

 招待された友人が夜中に電話をかけてきた。相手のにぎやかな印象と、ぼくのひっそりとした部屋の雰囲気が対照的に感じられた。別々の世界にぼくらはすすんでいるのだ、という如実な証拠となった。静謐と呼ぶべきぼくの世界。華やかな船出とそれを見守る友人たち。船は出航する。希美と彼女が選んだ相手が船上から手を振る。港には友人たちがいて歓声をあげる。では、ぼくはどこにいるのか。どこにいるのが相応しいのだろうか。

 ぼくは空港にいると考える。別の世界。交わることなどない国へと。片道で。

 友人は電話を切る。来週の会う予定がせわしなく決まる。「誘った子なんだけど、多分、お前のタイプだと思うよ」というここ最近の定番のフレーズを最後にして。ぼくは電気を消してベッドにもぐりこむ。横に希美がいたこともあった。最近は彼女しかいなかった。もうその機会は二度とないだろう。ぼくはそれとは別にもう一度したいことを考えようとしたが、頭に浮かぶものは何もなかった。ただ、あのラーメンをもう一度だけ食べてもいいかなと、どうでもよいことで頭の回路をショートさせようと企んでいたが、眠りの入口まで、そのひとつの予想だけで埋め尽くすには弱く、希美に通じる導線は太くて頑丈で、引き千切ることもできないほど強固だった。

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11年目の縦軸 16歳-43

2014年08月01日 | 11年目の縦軸
16歳-43

 忘れることを望んで、実際にそれが叶うと忘れようと努力していた事実すらも過去のことになってしまっていた。だが、もうぼくの年齢は二十二だか、三になっていた。右も左も分からないということを肯定的に崇めたかったが、失意ということだけは確実に、寸分違わぬサイズで知っていた。基本構造は無色で無害なトンネルになるべき期間を、楽しさでカラフルに彩色して、快活に、笑いながら暮らすこともできただろうが、こころの奥では小さな雨漏りがあった。闇という表現とも違うし、漆黒という言葉では意味合いがダーク過ぎた。そして、薄い濃度だったが害も含まれていた。

 だが、そうしなかった。笑いは持続しないし、そうできるとも思っていなかった。時間だけがゆっくりと、のろのろと、のんびりと過ぎていった。ゆっくりだと思っていたが実際は早くもあった。ぼくは二十代の入口さえも忘れてしまっていた。

 普通のひとはこの辺りで大学を出て、社会の一員として登場するのだろう。自分は夢見るということもできず、登場という華々しさも手放していた。だが、恨みもない。自分にはこの環境という衣服がぴったりと合っていた。

 落ちなかったシミを何度も洗濯した結果、衣類はヨレヨレに、ボロボロになった。ぼくはその大切な服をやっと処分する勇気を得た。いや、むりやりぼくの何かが引き剥がそうとしたのだろう。ぼくはまた裸である。新しい服を見つけなければならない。

 この代償として、ぼくは批判的になり、虚無的な仮面を身に着けさせられた。世の中には順調など一切なく、すべて終わるのだという結論に通じる。その思いは継続的な努力や訓練を省いた。一瞬だけを大事にして、同様に刹那的になる。だが、一瞬の連続が未来だと考えれば、どちらにしろ同じことになった。

 ぼくは誰かを好きになるという若者の特権を軽んじ、そのエネルギーは本や映画に向かった。山ほどの本を読み、無数の映画を堪能した。賢さや知識をアピールする存在はなく、ただ自分が満足するかどうかが大問題になった。いっしょに共通体験を通じて育む関係もなく、ただ自分のこころに記憶と快楽がストックされるだけになった。

 ぼくは何になりたかったのだろう。金儲けを念頭に置くことはなかった。裕福というのは幸福と連動させることをぼくの脳は困難に感じる。唯一の幸福の感覚は、あの彼女と過ごしたごく短い期間のことだった。あのときにぼくは裕福でもないのだから、幸福とお金を結びつけることは無意味になった。

 何になるという考え自体も甘いものだ。みな日々の仕事に忙殺され、生活費を稼ぎ、車を買って海にサーフィンに行ったり、ナンパをしていた。バイクで違う場所を走ることも爽快さをもたらすのだろうが、ぼくには不向きだった。ぼくはひとりになれる状況を欲していた。本に顔をうずめ、暗闇で映画を観ていた。予算はかなり少なくて済む。金がたまればジャズのCDやレコードで簡単に散在した。

 本を書きたいと思う。にせものではない本物の書物を目指そうと思う。親の威光や、誰かのコネなどがまったく介在しない世界に足を踏み入れたいと思う。ぼくは遠回りをする。近道など知らない。近道は逃げと同義語だった。ぼくは彼女を忘れるために近道で誰かを見つけたりはしなかった。だから、できるのだ。

 しかし、芽が出ない。種も種子も見つけられない。ぼくは世間に足を踏み出す。すべてを忘れて、普通に金を稼ぎ、趣味で得た興味を参考に、収集するチームに加わろうと思う。

 これがぼくになった。自分の周囲に薄い壁を張り巡らせ、そこの住人になった。ライブでいっしょにはしゃいでくれる可愛い彼女というものもいないが、ぼくの聴きたい音楽を楽しんでくれるひともそもそもいなかった。オーネット・コールマンに誰が夢中になれるだろう。

 恋の物語など書く資格など本当はないのかもしれない。実行者は、書く時間があるぐらいなら、もっと別のことに集中して時間を割いているのだろう。そして、数人の子どもの父になり、ワゴンやワンボックスのような車に乗り換える。

 恋の絶頂も物語になりづらかった。遊園地できょうも楽しんだ。ドライブで軽井沢に行く。ぼくが考える物語はもっと熾烈であり、別物だった。克服と喪失と再生を目指す生々しい作業の履歴なのだ。

 ぼくはすべてを忘れる。空調の効いた乾いた部屋で古いジャズを聴く。酒の味を覚える。自慢できることを他人に、恋する相手にも披露する機会がない。いつか、その日が来るのかもしれない。そのときまで、このひとりの時間を楽しもうと決意する。

 白い紙に文字を埋め尽くすこともやめた。世の中は一部の資産家のうちで廻っているに過ぎないのだ。みな、そこから利益がこぼれないように頑張り合う排他的な世界なのだ。バド・パウエルもレスター・ヤングもその世界にはいない。だから、ぼくの住む場所でもない。ぼくは誰からも探されないようにしよう。存在を暴かれないようにしよう。認められないことを中心にして生きよう。淋しくないとも言い切れないが、これこそがぼくなのだ。しかし、このぼくに若さも戻らないが、老いも訪れないと考えるぐらいに、愚かで無知でもあった。

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