遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉272 小説 ある女の風景(2 他 眼の前の小さな事

2019-12-15 13:43:21 | つぶやき
          眼の前の小さな事(2019.12.2日作)

   社会だ 国家だ 世界だ
   大仰に構える必要は ない
   自身の眼の前 眼の前を見る
   自身 一人の人間 人として
   何を成し 何を実行出来るか 
   眼の前にある 小さな事 その事に
   真摯に向き合い 取り組む それが全う出来ずして 
   世界だ 国家だ 社会だ 語っても
   意味はない
   一粒の罌粟の実 全宇宙を包含する
   あれやこれや 喋りまくる者達 
   喋るだけの人間 そんな者達の言葉など
   聞く 必要は ない
   人間 一人の人間としての責任
   その責任を全うし得た時 世界は自ずと
   開けて来る 遠く彼方が見えて来る
   一人の人間 人 その 人の持つ責任
   命の尊重 救済 尊厳 それを
   守る それこそが 人間 一人の人が
   この世を生きる 基本の形 根本命題
   人間無くして 世界はない
   人間無くして 宇宙はない
   すべては
   人間在っての存在 この世界 この宇宙
   世界は 宇宙は 人間 人の
   認識の中にのみ 存在する その中にしか
   存在 し得ない


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          ある女の風景(2)

 わたしは里見一枝に会って、彼女の力を借りたいと考えていた。
 一人で生きてゆくとなると、結局は仕事に就くより仕方がないのだ。両親のもとに何時までもいるわけにはゆかない。
 両親は今のところわたしに対しては当たり障りのない対応だった。それもわたしがノイローゼだと疑っている故の事だった。時が経ちわたしの真実が知れれば両親も、いつまでも甘い顔をしているはずはないだろう。それまでにわたしは、きっちりと自分の立場を固めておきたいと思った。
 夫のいる家庭へ戻る気はまったくなかった。そこはまるで他人の家庭であるかのように、奇妙に遠い感覚の中にあった。
 夫との結婚は、両親の反対を押し切っての結婚だった。そして真由美の誕生と、当時のわたしには思い描いたままの生活がそこにあった。結婚と同時に捨てて来たデザイナーの仕事も、華やかなファッションの世界もきれいに頭の中から放逐して、まるごと家庭という環境の中に浸っていた。結婚して落ち着くという事はこういう事なんだ、と総てが満ち足りた思いのうちにあった。
 だが、自分に取っては夢のように思えたそんな日々も結局は、単なるひと時の気紛れ気分による浮気のようなものの結果でしかなようだった。今度の夫との間の行き違いによるいざこざの総ても、二度目の妊娠、真由美の誕生から二年少しが過ぎての妊娠から始まっていた。
 二度目の妊娠を医師から告げられた時、わたしはなぜか不意に、自分が今までどっぷりとひたって、いっ時の休息にふける獣のように身を委ねていた安楽な日々に対する言いようのない嫌悪感と、恐怖にも近いような感情を感じていた。妊娠そのものに対する不安、恐怖ではなかった。ただ訳もなく、狼狽にも似た感情が心の中を走って、予期しなかった事態に見舞われたような思いを抱いていた。そして、妊娠が間違いないと知った時、わたしは断固、拒否したい強い感情を覚えた。
 夫はその妊娠を告げられた時、単純に喜んだ。わたしには予想出来た夫の態度だった。その妊娠を否定しなければならない理由など、二人の間にはまったくなかった。ましてや、子煩悩な夫だった。二人目の誕生を喜ばない筈はなかった。
 夫とわたしの間は当時、結婚生活の馴れによる日常の倦怠にも似た弛緩はあったにしても、総じてうまくいっていた。それだけにわたしが二度目の妊娠を強硬に拒絶しなければならない理由もまた、何処にも見いだせなくて、わたしは夫に強く言い出せないままに産み月を迎えていた。
 二人目として生まれたのは男の子だった。志村家の跡継ぎを望んでいた夫は、満面の笑みだった。わたし自身もまた、わたしの身から生まれた我が子に愛情を感じないすはずはなかった。単純に、小さな生まれたばかりの子供はわたしの母性愛を刺激した。それでいて、それでも何故か、わたしの心の何処かには、それを通り越しての暗いわだかまりに似たものが消えずに残っていた。わたし自身にさえ、それはよく分からなかった。病院へ来た夫にもわたしは晴れやかな笑顔を向ける事が出来なくて、何処かに不機嫌さを宿した面持ちで迎えていた。
 
 二人目の子供、弘志が満三歳の誕生日を迎えるまでの三年間、わたしの気持ちはほぼ、夫に背を向けたような状態の中にあった。表面的にあえて変わった様子は二人の間に見られなかったにしても、わたしの気持ちは何故か、夫に傾斜してゆく事はなかった。その意味で、表面を取り繕った仮面夫婦だった。また、夫には無論、そんな自覚のある筈もなくて、その頃には仕事の上でも重要な地位に就いていた夫は、家庭より仕事といったような状態の中にあった。
 わたしに取っては、そんな夫の置かれた状況は、救いの神、とも言えるような状態だった。敢えて機嫌を取る必要もなく、朝早く出勤しては、夜遅く帰って来る夫をただ、事務的に迎えて、事務的に送り出すような生活を続けていればよかった。
 あるいは、わたし取ってのそんな日々は、密かに牙を研ぐ獣が、その日の来るのをじっと待つかのような日々であったと言えるのかも知れなかった。わたしは気を紛らすかのように二人目の子供、弘志にはその間、充分な愛情を注いでいたように思う。子供たちに罪はなかった。
 わたしが夫、志村昌弘と結婚した時、わたしには当然の事ながら、打算などなかった。純粋な結婚に対する憧れから、それのみだった。
 わたしはS女子大にいた頃、早くもデザイナーとしての才覚を発揮し、認められかけていた。一流と言われるデザイナー達に混じって遜色のない仕事をし、将来を嘱望されていた。当然の事ながら誰もが、大学卒業と共にデザイナーの道を歩むものと考えていた。
 そんなわたしだったが、わたしは大学卒業と同時に、一流デパートやメーカーからのデザイナーとしての専属契約を断り、あっさりと結婚してしまっていたのだ。
 わたし自身、多少の実績を上げた時、デザイナーの仕事も悪くはないのかな、とも思った。結婚という道さえ開けていなかったら、あるいは、そのままデザイナーへの道を歩んでいたのかも知れなかった。だが、わたしに取っては、デザイナーの仕事と結婚とを比較した時、はるかに結婚への道を進む方が魅力のあるものに思えたのだった。わたしは迷う事なく結婚への道を選んでいた。
 わたしはもともと、英文学専攻だった。始めから現在の仕事を目指していた里見一枝の影響下、面白半分に手を染めたのがデザインだった。それだけに、それ程情熱を燃やす程のものにも思えなかったのだ。
 志村昌弘との出会いは、大学最終学年の初めだった。


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       KYUKOTOKKYU9190様

       涼風さん、木田さん、いつも有難う御座いますね。
       涼風さん、御出身地は・・・・・・?
       オバチャマの御商売は・・・・・?
           不思議な感じ !   これからも滅茶苦茶放送
       よろしくお願いします。楽しみにしています。
 
 
 
   
   

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