田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『悪名波止場』

2020-09-07 08:05:25 | 映画いろいろ

『悪名波止場』(63)

 日本映画専門チャンネルで、今東光原作の『悪名』シリーズを放映している。朝吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)が、女たちを食い物にする麻薬密売組織・鬼瓦組を相手に大暴れするこの映画は第7作目で、監督は森 一生、脚本は依田義賢。

 鬼瓦組の社長に伊達三郎、その子分の鬼瓦の吉に吉田義夫。2人の悪役ぶりが楽しい。ラストの2人への“仕置き”には笑った。また、おなご舟の親分、清川虹子のほか、滝瑛子、藤原礼子、弓恵子といった渋い女優たちが助演する。

 広島の宇品港が舞台になっており、朝吉の河内弁とは対照的に、伊達や吉田をはじめ、皆広島弁で話すのだが、いつもは言葉にうるさい広島出身の妻が「みんなちゃんとしている」と感心していた。いわゆるプログラムピクチャーだが、こういうところはきちんとしていたということか。

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『12人の優しい日本人』

2020-09-07 08:02:50 | 映画いろいろ

『12人の優しい日本人』(91)(2018.1.)



 シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』(57)を基に、三谷幸喜が書いた脚本を、中原俊監督が映画化。室内劇、密室劇として巧みに仕上げている。もし日本に陪審員制があったら…という設定から、感情をあらわにしない、自己表現が苦手な、典型的な日本人像を浮かび上がらせた三谷の着眼は鋭いし、面白い。

 何しろ、この12人は、人の意見に左右される日和見主義者ばかりで、オリジナルでヘンリー・フォンダが演じた“正義派”が一人もいないのだから。けれども、無理に笑わせようとする作為が見え過ぎたり、デフォルメが強過ぎるところが少々鼻に付くのは否めない。これは、三谷脚本を映像化した際に、総じて感じる思いだ。

 舞台と映像ではテンポや間が異なるのだが、彼の脚本は甚だ演劇的。しかも、凝り過ぎ、捻り過ぎて、マニアックな視点が目立ち、引いては単なる自己満足のように見えてしまうのだ。だから期待とは裏腹に、本来ならもっと面白くできるはずなのに、という歯がゆさを感じさせられるのが常である。同世代で、多分好みも似ているから、余計そう思うのかもしれないが…。

 みなもと太郎の漫画を三谷が脚本化し、「真田丸」のメンバーが出演したNHKの正月ドラマ「風雲児たち~蘭学革命篇」にも同じことが言えた。あれは、先ごろ亡くなった早坂暁作の名作ドラマ「天下御免」のようなことがやりたかったのだろうか。

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『オデッサ・ファイル』

2020-09-07 06:54:48 | 映画いろいろ
『オデッサ・ファイル』(74)(1979.11.4.日曜洋画劇場)
 
   
 
 1963年のハンブルグ。ルポ・ライターのミラー(ジョン・ボイト)は、元ナチスSS隊員たちによる秘密組織“オデッサ”の存在を知る。ミラーは、オデッサへの復讐を企てているグループと知り合い、厳しい訓練を経てオデッサに潜入するが…。
 
 原作は『ジャッカルの日』(73)のフレデリック・フォーサイス、監督は『ポセイドン・アドベンチャー』(72)のロナルド・二ーム、ジョン・ボイト熱演のサスペンス劇。『ジュリア』(77)では温厚な人物を演じたマクシミリアン・シェルが、一転、冷酷な元収容所長を演じている。姉のマリア・シェルもミラーの母親役で顔を出す。ナチスの力はいまだ衰えず、と思わされる怖さを持った映画だ。
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