『レイジング・ブル』(80)(1981.2.27.日比谷映画)
ファーストシーン、ヒョウ柄のガウンを着た男がリング上でシャドーボクシングをしている。画面はモノクロで、リングサイドに漂うたばこの煙がやけに白い…。この映画はこんなスローモーションのシーンから始まる。
ジェイク・ラモッタ(ロバート・デ・ニーロ)という実在の元世界ミドル級チャンピオンの半生を、凝ったカメラワークで描いていくのだが、ラモッタの強烈なリングファイト、女房への異常なまでの執着、栄光、挫折、転落、孤独…などを見せながら、アメリカで生きるイタリア移民の匂いを強烈に漂わせる。
ラモッタのような、人一倍性欲が強い男に、禁欲生活を強いれば、性格に異常をきたしても不思議ではない。おまけに女房(キャシー・モリアーティ)は飛び切りの美人とくれば、その欲望をどこにぶつけていいのか分からない苛立ちを感じるのも当然だろう。ただ、ラモッタはあまりにも自分の感情をストレートに押し出し過ぎて、見ているこちらが悲しくなってくるほど不器用で、生き方が下手な男だ。
そんな男を、デ・ニーロが恐ろしいまでの怪演を見せながら演じ切っている。特に、前半のボクサーらしい締まった体から一転、後半の醜く太った姿の違いは圧巻だ。
後半は、落ちぶれて投獄され、牢の中で拳を壁に打ち付けながら泣き叫ぶラモッタ…。場末のキャバレーで受けないジョークを飛ばして生活するラモッタの姿が映る。
モノクロ故、全体的に暗く陰惨なイメージは拭えないが、そこからボクシングの持つ残酷さや、ラモッタの悲しさが浮かび上がってくる。同じイタリア系のマーティン・スコセッシとデ・ニーロのコンビだからこそ、ラモッタという人物をここまで描けたのではないか、という気がする。それにしても、女房があまりにも美人だと男は不幸になるのか…。
この映画の製作はアーウィン・ウィンクラーとロバート・チャートフ。そう、あの『ロッキー』(76)を作ったコンビだ。『ロッキー』がボクシングの陽性を描いたとすれば、この『レイジング・ブル』は陰性となるのか。全く対照的な二つのボクシング映画を製作するとはすごい。
【今の一言】今から30数年前、思えばこの頃がデ・ニーロの全盛期だったなあ。
ボクシング映画あれこれ
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