田中雄二の「映画の王様」

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『関ヶ原』あれこれ

2021-01-16 23:10:00 | 映画いろいろ

「決戦!関ヶ原~空からスクープ幻の巨大山城~」(NHK)

 航空レーザー測量による、赤色立体地図を作製。西軍が築いた巨大な山城・玉城の存在を明らかにし、そこから、関ヶ原の合戦の「通説」を覆すような仮説を立てる、というなかなか興味深い番組だった。

 見ながら思い出したのは、司馬遼太郎の『関ヶ原』のこと。いまだに、多くの人が“司馬史観”の影響を強く受けていると感じた。

 その『関ヶ原』は、1981年にTBSの開局30周年としてドラマ化され、正月に3夜連続で放送された。当時のメモを。

 「関ヶ原」(1981.1./2.3.4.)演出・高橋一郎、鴨下信一、脚本・早坂暁、音楽・山本直純。

 徳川家康(森繁久彌)のタヌキ親父ぶりや、それに対する、石田三成(加藤剛)の理を唱えながら敗れた悲しさが印象に残った。所詮三成は天下を治める器量を持っていなかった、ということなのだろう。

 天下を治めるには、家康のように、時にはタヌキのように人をだまし、おだてすかして味方に付け、逆らう者にはひたすら厳しく…というような、柔軟性がなければならないのに、三成には倫理の正しさはあっても、家康のような人を引っ張っていく器量の大きさがなかったのだ。司馬遼太郎流に言えば「歴史は三成よりも家康を選んだ」とでもなるのだろうか。

 キャストは、へたな映画よりもよっぽどすごい。特に島左近役の三船敏郎と大谷吉継役の高橋幸治が出色で、三成の影が薄くなってしまったのは誤算か。石坂浩二のナレーションは、あー司馬遼太郎の世界、という感じだった。

 さて、歴史ドラマには二通りの描き方がある。一つは、国を動かすような人物や勝者を主軸にすえた場合、もう一つは名もなき者や敗者の側から描いた場合である。

 例えば、「太閤記」は豊臣秀吉を百姓上がりの英雄として描くが、「黄金の日日」(78)のように、秀吉を民衆を苦しめる権力者として描き、対する石川五右衛門らを反逆のアウトローの如く描くような場合もある。

 去年の大河ドラマ「獅子の時代」も後者に属すだろう。アウトローの平沼銑次(菅原文太)と理想化肌の苅谷嘉顕(ここでも加藤剛!)という架空の人物を主人公とし、時の権力者である伊藤博文を憎まれ役として描いていたが(伊藤役が「黄金の日日」で五右衛門を演じた根津甚八だったのも面白い)、その半面、伊藤が明治の元勲として描かれることも多い。

 歴史は、作家たちに、それぞれの視点や想像の余地を与える。それが歴史ドラマの魅力であり、多彩な作品が生まれることにもつながるのだろう。

 36年後の2017年に原田眞人監督が映画化した。

【ほぼ週刊映画コラム】『関ヶ原』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1b30f874cb3ade78c787c3a431449cfb

【インタビュー】『関ヶ原』原田眞人監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5fa6ad3450d7047f5187df905d858b83

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