これは、どんでん返しのある映画として紹介されていた。
『ライフ』(17)
【ほぼ週刊映画コラム】『ライフ』
人間とエイリアン、生き残るのはどっちだ!
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0efea2ae0908bc11e32e47b7a65d423e
これは、どんでん返しのある映画として紹介されていた。
『ライフ』(17)
【ほぼ週刊映画コラム】『ライフ』
人間とエイリアン、生き残るのはどっちだ!
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0efea2ae0908bc11e32e47b7a65d423e
これも「王様のブランチ」で紹介されていた。
『ホリデイ』(06)(2008.2.29.)
休暇中に互いの家を交換する「ホーム・エクスチェンジ」を題材にしたロマンティック・コメディ。
ロンドンに住むコラムニストのアイリス(ケイト・ウィンスレット)と家を交換するロサンゼルス在住のアマンダ(キャメロン・ディアス)の職業は映画の予告編製作者。
従って、脇役イーライ・ウォラックの存在、ダスティン・ホフマンのカメオ出演、エンニオ・モリコーネ絡みの小ネタなど、細部に映画好きならではのマニアックな遊びやこだわりが見られるのが楽しい。
さて、2人の恋の相手となる、ジュード・ロウはケーリー・グラント風、ジャック・ブラックは西田敏行風かな。
「王様のブランチ」の映画コーナーで紹介していた。
『しあわせの隠れ場所』(09)(2010.3.13.柏と間違えて柏の葉のMOVIXまで行くはめに)
迷いのない一家
ホームレスの黒人少年マイケル・オアーが、裕福な白人家庭に家族として迎え入れられる。彼は一家の庇護の下、アメフトの才能を開花させ、名門大からNFLへと進むという実話の映画化。
これは美談か白人一家の自己満足か、紙一重の話だが、この一家には迷いがない。そこに潔さのようなものを感じさせるのが、この映画の真骨頂。もちろん一人を救うだけではこうした問題は解決しないが、何もしないよりはましだと思わせる。
原題は『THE BLIND SIDE』。これはアメフト用語で「死角」を意味するらしいが、隠れた才能を発見する、開花させるという意味も含まれているのだろう。
この映画でアカデミー主演女優賞を得たサンドラ・ブロックが、気の強い、一直線のおばさんを好演しているが、一見、頼りなさそうに見えて実は全てを見通している夫役のティム・マッグロウ(彼が妻に「あせるな」という意味で、「玉ネギの皮を一枚ずつむくように」と諭す場面が印象に残る)、家庭教師役のキャシー・ベイツも好演を見せる。娘役のリリー・コリンズはフィル・コリンズの娘だそうだ。
監督・脚本のジョン・リー・ハンコックは、35歳でメジャーリーグデビューを果たしたピッチャー・ジム・モリスの実話を映画化した『オールド・ルーキー』(02)に続いて、スポーツを媒介にしたアメリカ南部の家族もので、手堅い演出を示したと言える。
『オールド・ルーキー』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/fe0c2bfc610f0a7418e14927c1f2a5bf
『すばらしき世界』を見て、同じく佐木隆三の小説を原作とした、この映画のことを思い出した。
『復讐するは我にあり』(79)(1981.4.15.水曜ロードショー)
それにしても、何とえげつなく、どろどろとした映画なのだろう。自分がこれまでに見た今村昌平の映画では、例えば、『人間蒸発』(67)には特異なドキュメンタリー性が見られ、『豚と軍艦』(61)『赤い殺意』(64)『神々の深き欲望』(68)では性への欲望や業の深さが描かれ、今村作品全体からはエネルギッシュな土俗性や、えげつなさが感じられた。そして、これら、他の日本映画にはちょっと見当たらないような特徴の集大成がこの映画だと言っても過言ではないだろう。
人間の持つ悪の部分や欲望をストレートに出し、殺人や詐欺を繰り返す榎津(緒形拳)。人間の情を全く無視したかのようなこの男を、ドキュメンタリータッチの冷静な目で追っていく。
そして、善を押し通そうとしながら矛盾を抱える榎津の父(三國連太郎)や、母(ミヤコ蝶々)や妻(倍賞美津子)、愛人(小川真由美)の女の業も描かれる。彼らを見ていると、人間不信に陥りそうな嫌な気分になる。こんな映画を見せられると、例えば、同じ松竹出身の山田洋次が描く『男はつらいよ』シリーズなどは全くの絵空事であるかのように思えてくる。
それが映画という媒体の持つ幅の広さだというべきなのかもしれないが、監督の目の付け所や情念の違いで、映画は楽しいものにも苦いものにもなり得るのだということ。自分としては、せめて映画を見る時ぐらいは、心が休まるようなものを望みたいと思うのだが…。そう思う自分は甘いのだろうか。
俳優たちがとにかくすごい。まさに、役になり切った、火花散る演技合戦が見られる。何とも後味の悪いこの映画を捨て切れないのは、彼らの魅力に負うところが大きい。
【今の一言】この映画の榎津も、『すばらしき世界』の三上も、どこか滑稽に見えるところがあるのが共通点だ。
「この世界は生きづらくあたたかい」のか?
佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』(受刑者の個人情報が記されている極秘資料)の設定を現代に置き換えて、西川美和の監督・脚本で映画化。
殺人罪で服役していた三上(役所広司)が、13年ぶりに出所し、何とかまっとうに生きようと悪戦苦闘する。そんな三上に、作家志望の元テレビマン津乃田(仲野太賀)がすり寄ってくる。
この映画のキャッチコピーは「この世界は生きづらくあたたかい」だが、個人と社会、三上の暴力と優しさ、あるいは前科者に対する世間の不寛容と善意といった、二律背反するものを描いている。どちらが正しいのかではなく、どちらも存在するということを提起している。何より『すばらしき世界』というタイトル自体が反語的だ。
そして、津乃田、弁護士夫婦(橋爪功、梶芽衣子)、ケースワーカー(北村有起哉)、スーパーマーケットの店長(六角精児)、旧知の組長夫婦(白竜、キムラ緑子)が、三上に示す善意や優しさが、この映画の救いになるのだが、「何故、皆三上に魅かれるのか、放っておけないのか」の理由を深くは描いていない。
それ故、もやもやさせられるところがあるが、それが三上の不思議な魅力や複雑さにつながるところもある。こちらも、決して三上に共感はできないのに、何故か憐憫の情が湧いてくるという、二律背反する思いを抱くことになる。そこが、同じく佐木の小説を映画化した『復讐するは我にあり』(79)の主人公・榎津(緒形拳)とは大きく違う。
さて、捨てられた母に一目会いたいとひたすら願う三上は、母に会いたい一心から刑務所を脱獄する『網走番外地』(65)の主人公・橘真一(高倉健)と似ていなくもない。古くは長谷川伸の『瞼の母』の番場の忠太郎もそうだが、極道男の純情を描くには、母親の存在を絡めることが多い。
不遇な生い立ちを背負った一匹狼の元やくざ三上。複雑でコロコロと態度が変わるこの男を、役所は、表情やしぐさ、あるいは口跡を変化させながら見事に演じているが、仲野や六角が示した変化に富んだ演技とのコントラストもまた見事だった。彼らからこうした演技を引き出した西川監督の手腕も認めたい。
【メモ】三上が事件を起こしたのは亀有という設定だった。