ハンク・アーロンの訃報に接して、このドラマのことを思い出した
バリー・ボンズのこと。そして、「61*」(01)(2006.5.3.)
サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズが、ベーブ・ルースの通算本塁打記録714本に並ぼうとしているのに、アメリカでは驚くほど無関心な感じがする。もちろん、ボンズ本人の性格の悪さや薬物疑惑のせいもあるのだろうが、そこに人種差別のにおいがするのがやるせない。
あのハンク・アーロンが、ルースの記録を破った1974年も、白人のルースの記録を黒人のアーロンが破るのは許せないとして、あからさまな差別が示されたが、あれから30年余りがたった今も、あまり変わっていないということなのか。
思えば、マーク・マグワイアがロジャー・マリスの年間本塁打を破った時の大騒ぎは、彼が白人だったからなのかもしれない。もし、あの時、共に争ったドミニカンのサミー・ソーサの方が記録を破っていたとしたらと考え、あるいは、その後にさらに記録を塗り替えたボンズに対する冷淡さを思うと、残念ながらそんな思いを抱かされてしまう。
で、前から気になっていたビリー・クリスタル監督作「61*」(01)を見た。ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスが、同じくベーブ・ルースの年間本塁打記録を破る61ホーマーを放った1961年のシーズンを追ったドキュメンタリータッチのテレビムービーだ。
MM砲と呼ばれたマリスとミッキー・マントルだが、伝説のルースの記録を破るのは、移籍してきたマリスではなく、生え抜きのスターのマントルでなければならないと考える残酷なファン心理、ルースの記録を守ろうとするコミッショナーやマスコミの差別などが赤裸々に描かれる。人は人種に限らず、いろいろな理由で差別をするのだと思わされる。
タイトルにある*=アスタリスクは、マリスの記録達成が、ルースが記録した時よりも、ゲーム数が多かったために無理やり付けられた注釈のこと。加えて、マリスもマントルもトラウマを抱えていて、結果的に酒やたばこで命を縮めたという事実が悲しく映った。
そういえば、イチローがジョージ・シスラーの年間最多安打を破った時にも、試合数の違いが騒がれたが、ルースとシスラーの存在感の違い、あるいは記録自体が地味だったために小火で済んだと思っていた。ところが、このドラマを見て、実はこのマリスに対する不当な扱いを、ファンも機構もマスコミも、多少は反省した結果だったのかもしれないと思った。
マリス役のバリー・ペッパー、マントル役のトーマス・ジェーンとも、驚くほど本人に似ているし、ゲームシーンもリアルだ。変な話、日本のON砲を扱った映画ができたとしても、果たして誰が王さんや長嶋さんを演るのか。第一、こんなにリアルなゲームシーンはできんでしょ。