わが映画日記を見ると、『ドラゴン危機一発』(71)の初見は、1974年11月4日、渋谷スカラ座で、併映は『レッド・サン』(71)と記している。
当時は中学2年生。前年の『燃えよドラゴン』(73)(1974.2.26.渋谷東急)、先に見た『ドラゴン怒りの鉄拳』(72)(1974.8.23.渋谷宝塚)の興奮覚めやらぬ中、友人たちと連れ立って、気合い十分で見に行ったのだ。『スクリーン』や『ロードショー』で知った「唐山大兄=THE BIG BOSS」という原題にも興味をそそられるものがあった。
ところが見てみると、これが珍品とも呼ぶべきチープな映画で、期待が大きかっただけに、ひどくがっかりした覚えがある。その分、併映の『レッド・サン』が傑作に思えたものだ。今、改めて見直してみても、『燃えよドラゴン』の大ヒットとブルース・リーの急死がなかったら、この映画、果たして日本で公開されただろうかという気がした。
『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』(73)の初見は、1975年1月22日、読売ホール。生まれて初めて試写会で見た映画だった。コロシアムでのチャック・ノリスとの対決には目を見張ったが、そこに行くまでが随分と長くて退屈した覚えがある。結局、ブルース・リーの映画で満足させてくれたのは、最初の『燃えよドラゴン』だけだったのだ。