映像は美しいが…。究極の私映画
庭に椿が咲き誇る高台の一軒家。夫を亡くした絹子(富司純子)は、家族の思い出が詰まったその家で、娘の忘れ形見である孫娘の渚(シム・ウンギョン)と共に暮らしていた。
庭に咲く色とりどりの草花から季節の変化を感じ、家を訪れる人々と語らい、過去に思いをはせながら暮らす絹子と渚。そんなある日、絹子に一本の電話がかかってくる。
写真家・上田義彦が監督・脚本・撮影した究極の私映画で、主役は古い日本家屋と母・次女(鈴木京香)・孫の3代の女性たち。それを取り巻く庭、草花、生物、海などを映しながら季節のうつろいを描く。映像の美しさを見ると、さすがは名うてのカメラマンだと感じさせる。
また、富司が着る着物にこだわり、着付けの様子を詳細に見せ、帯締めや衣ずれの音を執拗に聴かせる。そこから、富司の立ち居振る舞い、たたずまい、所作の美しさが浮かび上がる。市川崑が「金田一耕助」シリーズや『細雪』(83)などで、よくこの手を使っていた。
家自体もそうだが、プッシュホン電話やレコードといったアンティークが目を引く。特に古いステレオから流れるビバルディや、ブラザース・フォアの「トライ・トゥ・リメンバー」が印象に残る。
古い日本家屋を舞台にした家族の映画としては『海街diary』(15)、イメージを集積(コラージュ)させた映像詩的なものとしては『モルエラニの霧の中』(20)を思い出した。
ただ、こうした甚だ日本的な話の中に、なぜわざわざ韓国人のウンギョンと、台湾人のチャン・チェンをキャスティングしたのか。その意図がよく分からない。特に必然性を感じなかったので、かえって違和感を抱かされた。