田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『氷の微笑』

2019-12-08 20:19:04 | 映画いろいろ
『氷の微笑』(92)(1992.9.16.日本劇場)

  

 ナイトクラブ経営者が殺害された事件を捜査するサンフランシスコ市警の刑事ニック(マイケル・ダグラス)と相棒のガス(ジョージ・ズンザ)は、被害者の恋人で作家のキャサリン(シャロン・ストーン)を尋問する。だが、ニックはキャサリンの妖艶な魅力に翻弄されはじめ、捜査を続行するうちに不可解な事件が頻発する。
 
 この映画の監督は、オランダ出身のポール・バーホーベン。『ロボコップ』(87)『トータル・リコール』(90)には、バイオレンス+主人公のアイデンティティの発見という共通項があったが、そこに、この映画も当てはめて考えてみるのも面白い。
 
 脚本を書いたジョン・エスターハスには史上最高の脚本料が支払われたという。確かに見る者を引き付けるストーリー展開は見事である。ジェリー・ゴールドスミスの、ヒッチコック映画におけるバーナード・ハーマン風の音楽も楽しめる。
 
 マイケル・ダグラスはこの後、セックス依存症になった? 魔性の女を演じたシャロン・ストーンには大スターへの道が約束されたそうである。まあ『トータル・リコール』でも光っていたもんなあ。そして“第二の女”を演じたジーン・トリプルホーンも妖しい魅力で迫る。また『ディア・ハンター』(78)以来、久しぶりのジョージ・ズンザの活躍も記しておかねば。
 
 と、話題には事欠かないこの映画を、一級のエンターテインメントとして評価して、それだけで終わってしまってもいいのかもしれない。だが、例えば、今年のアカデミー賞の主要部門を独占した『羊たちの沈黙』(91)同様、見終わった後で、面白さとは別に、アメリカや現代社会が抱える心の病の重さを感じさせられて、何だかうすら寒い思いがしたのも確かである。
 
 過去のヒッチコックをはじめとする、こうした猟奇ミステリーも、奥に潜む心の病をにおわせてはいたし、当時の検閲が過激な描写やストレートな描写に歯止めをかけていたこともあった。だから、こうしたものは今に始まったことではなく、この映画の原題「Basic Instinct」の通り、人間の本能の一部なのだろうとも思う。
 
 だが、時代が変わり、過激な表現が緩和されたからといって、この映画のように、その猟奇ぶりや過激さを売り物にして、見る者を煽るような映画が、果たしてヒッチコックの緒作のように、後には名作として認知されるのだろうか、という疑問が残る。
 
 思うに、ヒッチコックの映画が名作として認知されたのは、奥に潜むさまざまなものをにおわせながら、それを真正面からは見せずに、映画的なテクニックやトリックを使ってうまくごまかしてくれたので、ドロドロとしたものが残らずに、素直に映画的な興奮に酔うことができたからではないか。そう思ってしまうオレの感性が古いのだろうか。
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『今日のアメリカ映画』(双葉十三郎)

2019-12-07 11:25:37 | ブックレビュー
『今日のアメリカ映画』(双葉十三郎)


 神保町の古本まつりで偶然見つけた1950(昭和25)年発行の『アメリカ映画』(名曲堂)で火がついた、双葉十三郎さんの映画本収集。1954(昭和29)年発行の『現代アメリカ映画作家論』(白水社)、1951(昭和26)年発行の『アメリカ映画史』(白水社)に続いて、1952(昭和27)年発行の『今日のアメリカ映画』(白水社)を入手し、ついにコンプリート。こういう本がすぐに手に入るのだから、ネットの力は大きい。
 
 ほぼ70年前に書かれたこれらの本は、いまや映画について書かれた歴史書であり、当時の映画事情を知るには貴重な資料となる。久しぶりに知識欲に火がついて、昔の文字遣いと格闘しつつも、読み出したら止まらなくなる。
 
 実は、双葉さんの『ぼくの採点表』全7巻は自分にとってはバイブルの一つであり、古い映画について書くときには度々参考にさせていただいているのだが、そこに新たな参考書が加わった。
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『ランボー』から『ランボー3/怒りのアフガン』まで

2019-12-06 09:25:22 | 映画いろいろ
『ランボー』(82)(1983.1.13.渋谷東宝)
 
  
 
 社会から孤立したベトナム帰還兵ランボー(シルベスター・スタローン)と、流れ者というだけで彼を排除しようとする田舎町の保安官(ブライアン・デネヒー)との壮絶な戦いを描く。原題は「ファースト・ブロッド=最初の血」だが、「先手を打つ」という意味があるらしい。
 
 シルベスター・スタローンがついに『ロッキー』(76)を超えた、と言っても過言ではないほど素晴らしい。激しいアクションもさることながら、孤独な影を持った新たなアウトローヒーロー像を作り出したのだ。
 
 この映画が単なるアクション映画にとどまらなかった理由は、ベトナム戦争の残した傷が色濃く描かれていたからだろう。実際、われわれ日本人にベトナム戦争の本質が分かるはずもない。それ故、正直なところ、次から次へと出てくるベトナム戦争関連の映画を見ると、「まだベトナムなのか?」という疑問を抱かなくもない。ただ、彼らアメリカ人にとってベトナム戦争は、まだまだ身近な問題なのだろう。
 
 グリーンベレーとして戦場で大活躍した男。だが戦争が終わり、帰国しても、彼には居場所がない。そればかりか、国を守るためと言い聞かされ、行ってきた行為によって、逆に悪人扱いされてしまうという矛盾が生じる。
 
 そうなのだ。一昨日見た『愛と青春の旅だち』(82)のラストシーンの違和感がまさにここにつながる。あの主人公がエリート軍人になり、戦地に赴く。その結果、彼はランボーのようにはならないと誰が言えようか。それなのに、あの映画は、エリート軍人になることが幸せ、という感じで終わっていた。「それでいいのか?」という疑問が残った。だからこそ、今日、この映画を見て、「戦争が一人の人間に与える傷の深さ」を、より一層強く感じたのだ。それにしても、アメリカの保守的な田舎町の姿は『イージー・ライダー』(69)の頃と少しも変わっていないのだろうか、と思うと怖くなった。
 
 ところで、この映画は、アクション映画としても大いに見応えがある。アンドリュー・ラズロの撮影が素晴らしいこともあるが、何といってもスタローンの体を張ったアクションに感動させられた。これまで「ロッキー」のイメージからの脱却に苦しんできた彼にとっては突破口となってほしい。
 
 
 
 などと、べた褒めだったのだが、これが、ランボーがベトナムの捕虜収容所に潜入する『ランボー/怒りの脱出』(85)を経て、ランボーがかつての上司トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)をアフガニスタンまで救出に行く『ランボー3/怒りのアフガン』(88)にまでなると、こう変わる。
 
 明らかに、シルベスター・スタローンは無理をしているように見える。あの筋骨隆々の体は、もはや普通ではない。薬を使っている、という噂にも真実味が感じられるほどだ。
 
 思えば、『ロッキー』(76)以降の彼からは、まるで現代の豊臣秀吉の如く、成り上がり者が無理をして突っ張り続ける悲しさを感じさせられる。もはや肉体を誇示することでしか自己表現ができなくなった悲しさは、誰よりも本人が一番分かっているはずだ。
 
 それに加えて、人間味の薄い強引な映画作り(この映画はリチャード・クレンナが随分救ってはいるが…)も目立ち、私生活でのゴタゴタも合わせると、あまりいいイメージは浮かばない。そう考えると、アーノルド・シュワルツェネッガーの方が、生き方がうまいといえるのかもしれない。
 
 何やら「いまさら元には戻れないぜ」というスタローンの嘆きが聞こえてくるようで、切なくもなるのだが、単なるアクション映画を見て、こんなことを感じてしまう自分の方が変なのだろうか。
 
【今の一言】で、こんなスタローンの変遷を見てきたものだから、今の『クリード』シリーズでの枯れた姿を見ると、感慨深いものがあるのだ。
 
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『男はつらいよ お帰り 寅さん』公開記念

2019-12-05 10:58:50 | 男はつらいよ
 
 
 先日『アナと雪の女王2』をMOVIX亀有に見に行った際、アリオ亀有で『男はつらいよ お帰り 寅さん』公開記念として、撮影で実際に使われたくるまや茶の間セットが展示されていた。葛飾は『男はつらいよ』『こち亀』『キャプテン翼』の聖地?なのだから、もっとアピールしてもいいと思う。
 
 ところで、最近テレビを見ていると、『男はつらいよ』の「さくらのテーマ」が使用された住友不動産のCMが映ることがある。この曲は、山本直純作曲のとてもいい雰囲気の曲なのだが、このCMのコンセプトには合わない気がする。乱用はよそうよ。
https://www.youtube.com/watch?v=whFhRtGsOQU
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『狼よさらば』 と「デス・ウィッシュ」シリーズ

2019-12-05 10:22:11 | 映画いろいろ
『狼よさらば』(74)(1975.3.9.荏原オデヲン座 併映は『赤い風船』『パピヨン』)

  

 技師のポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)の妻(ホープ・ラング)と娘が、3人組のチンピラに暴行された挙句、妻は死に、娘は精神に異常をきたす。そんな中、偶然、拳銃を手に入れたカージーは、わざと強盗に襲われたふりをして、容赦なく彼らを射殺する“闇の死刑執行人”となるが…。
 
 さすがに中学時代に見たこの映画についてのメモは残っていないので、以下、「デス・ウィッシュ」シリーズとなった、その後の映画について。
 
『スーパー・マグナム』(85)(1988.7.10.日曜洋画劇場)

  

 『狼よさらば』(74)の続続編である。善良な人々を苦しめる悪党たちに、闇の主人公が鉄槌を下すという、日本の「仕置人」にも似たストーリー展開は、確かに見る者に爽快感を与えるし、うまいとも思う。
 
 ただ、シルベスター・スタローンの『ランボー』シリーズもそうだが、どうも最近のアメリカ映画が描く正義は、あまりにも力任せの目には目を式で、今はそうした時代であり、アメリカには昔から自衛の伝統があるにしても、後味の悪さが残るのは否めない。マイケル・ウィナーは、以前からブロンソンと組んでさまざまなアクション映画を撮ってきた監督だが、ここまで過激なバイオレンスを撮るとは驚いた。
 
 そんなこの映画を救っているのは、ブロンソンの圧倒的な存在感であり、相手役のデボラ・ラフィン、脇役のマーティン・バルサム、エド・ローターも含めて、久しぶりの活躍が見られてうれしかった。何しろ彼は、俺を映画にのめり込ませた『荒野の七人』(60)『大脱走』(63)のメンバーなので、いまだにアクション俳優として生き続けている姿には、特別な感慨を抱かされてしまうのである。
 
『バトルガンM-16』(87)(1991.10.27.日曜洋画劇場)


 チャールズ・ブロンソンは、主役級になってからの方が作品に恵まれていないような気がする。脇役時代の『荒野の七人』(60)や『大脱走』(63)の彼の方がずっと魅力的に映る。
 
 この映画も、「デス・ウィッシュ」シリーズの4作目で、新味はない。最初はピストル一丁で、妻と娘を苦しめた悪党に対しての個人的な復讐から私設自警団化した主人公が、ここではまるでランボーのようになってしまった過激さと、対する悪のあまりのスケールアップには首をひねりたくなる。
 
 ただ、ファンの一人としては、70歳近くなっても主役を張り、ひたすらアクションにこだわる姿に、かつてはインディアンやメキシコ人を演じさせられていた男の苦労が報われた、などと少々センチな感慨も浮かんできてしまうから困るのだ。
 
 監督のJ・リー・トンプソンは『ホワイト・バッファロー』(77)『必殺マグナム』(86)『禁じ手』(89)でもブロンソンと組んでいるが、この映画も含めていずれも失敗作。かつて『ナバロンの要塞』(61)『マッケンナの黄金』(69)のような大作を撮っていた監督の映画としては寂しい限りだ。
 
 ところで、ショーン・ペンが監督をした新作『インディアン・ランナー』(91)の予告を見ると、ブロンソンがなかなか良さそうに見える。どうやら愛妻ジル・アイアランドの死を乗り越えて、新たな一歩を踏み出したようで安心した。
 
【今の一言】2018年に、イーライ・ロス監督、ブルース・ウィリス主演で、リメイク作『デス・ウィッシュ』が公開されたが、残念ながら見落としたままだ。
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「星くん」「あゆみ殿」「ルパン」井上真樹夫さん逝く

2019-12-04 13:01:50 | 映画いろいろ

 

 テレビアニメでは「巨人の星」の花形満、「侍ジャイアンツ」の眉月光、「ルパン三世」の石川五ェ門、洋画の吹き替えでは『荒野の七人』(60)のチコ(ホルスト・ブッフホルツ)、『大脱走』(63)のアシュレイ(デビッド・マッカラム)、『課外授業』(75)のガブリエル(エミリオ・ルクレシオ)…。キザな二枚目や青二才のキャラクターの声をあてることが多かったので、いつまでも若いイメージがあった人。その意味では、「男どアホウ甲子園」の主人公で関西弁丸出しの藤村甲子園は異色だった。でも、やっぱり花形やチコが最高だなあ。

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レッツエンジョイ東京「2020年お正月映画」

2019-12-04 11:55:54 | レッツエンジョイ東京
 レッツエンジョイ東京「2020年お正月映画」。
 
 
ラインアップは
 
お正月映画BIG3
『カツベン!』
『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』
『男はつらいよ お帰り 寅さん』
 
車に魅せられた男たち
『ジョン・デロリアン』
『フォードvsフェラーリ』
 
名曲に彩られて
『ラスト・クリスマス』
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
 
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『ミザリー』

2019-12-04 10:38:57 | 映画いろいろ
『ミザリー』(90)(1991.3.15.みゆき座)

  

 人里離れた場所で自動車事故を起こし、重傷を負った流行作家のシェルダン(ジェームズ・カーン)を、彼のファンだという中年女性のアニー(キャシー・ベイツ)が救う。ところが、アニーは看病と称してシェルダンを監禁する。スティーブン・キングの同名小説をウィリアム・ゴールドマンが脚色し、ロブ・ライナーが監督した。
 
 あの「87分署」シリーズを、もう何十年も書き続けているエド・マクベインが、以前「主人公のスティーブ・キャレラを何度も“殺したい”と思った」と告白していた。何でも、編集者の反対にあって踏みとどまったらしいのだが…。つまり、作家にとってシリーズものは諸刃の剣のようなものであり、生活を安定させてくれる半面、ワンパターンを余儀なくされて創作が制限されるので、常に葛藤しながら書いているようなのだ。
 
 けれども、そんな作り手の苦労は、受け手の側には関係ないわけで、受け手は自分の中で勝手な夢を描いている。物語やキャラクターが一人歩きをするのである。そこが厄介なところで、この映画は、そうした作り手と受け手の関係が、一歩間違えれば恐ろしいものになるという不条理を描いている。
 
 ただ、作家の一方的な被害者意識が前面に押し出され、これでは受け手の側の立場がない。そう思わせるのは、この映画でアカデミー賞を受賞したキャシー・ベイツという無名の女優が、ファン心理の嫌らしさやいじらしさを巧みに演じていたせいで、受け手の側から見れば、どこかに自分と重なる部分が感じられて切なくなるところもあったのだ。
 
 ところで、残念ながらジェームズ・カーンは作家のイメージには合わなかったが、洋画で描かれる物書きのイメージはタイプライターに直結するところがある。例えば、タイプライターを打っている姿として、『サンセット大通り』(50)のシナリオ・ライター(ウィリアム・ホールデン)、『フロント・ページ』(74)の新聞記者(ジャック・レモン)『ジュリア』(77)のダシール・ハメット(ジェイソン・ロバーズ)などが思い浮かぶ。
 
 また『失われた週末』(45)では、アルコール依存症の作家(レイ・ミランド)が酒代を得るためにタイプライターを質入れすることが、どれほど重大なことなのかが描かれていた(何だかビリー・ワイルダーの映画ばかりだ)。そうした意味では、こうしてワープロを使って物を書いたりするのは、われわれ日本人のタイプライターへの憧れを表しているのかもしれない。
 
【今の一言】そう、あの頃(91年当時)はまだワープロだったのだ…。
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【ほぼ週刊映画コラム】『ジョン・デロリアン』『ラスト・クリスマス』

2019-12-03 18:29:17 | ほぼ週刊映画コラム

エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は
1980年代の車とヒット曲が彩る
『ジョン・デロリアン』『ラスト・クリスマス』

 

詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1207221

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『アメリカ映画史』(双葉十三郎)

2019-12-03 11:13:33 | ブックレビュー
 『アメリカ映画』『現代アメリカ映画作家』に続いて、双葉十三郎さんの『アメリカ映画史』(1951(昭和26)年発行)を読了。
 
 
 最初に読んだ『アメリカ映画』と重複する部分もあるが、「アメリカ映画の誕生」から「戦後の転換期」までの、時代背景、監督、スターなどについて、きちんと系統立てて記しているこの本は、他に類を見ない。妙な映画論をひけらかすどこかの大学の先生とはえらい違いだ。
 
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