BSテレ東で「やっぱり土曜は寅さん!」と題して、シリーズ全作を放映していたが、全作放送終了後に、「BSテレ東開局20周年特別企画 春だ!さくらだ!寅さん祭り」というスペシャル番組が放送された。目玉は、山田洋次監督自らが監修した「名場面集」「名優たち」「名バイプレーヤー」という三つの企画。
志村喬、宮口精二、三船敏郎、東野英治郎、ミヤコ蝶々、森繁久彌、三木のり平、佐山俊二、石井均、桜井センリ、犬塚弘…懐かしい顔がたくさん出てきたが、最も印象的だったのは、ドラマ版から寅の舎弟・川又登を演じた津坂匡章=秋野太作だった。
秋野の著書『私が愛した渥美清』を読むと、どうやら山田洋次との間には確執があるようだが、兄貴(寅次郎=渥美清)に惚れ抜いている登の役を何作か演じられたことがどんなにうれしかったかとも書いている。
例えば、第1作『男はつらいよ』(69)の、上野駅の食堂で寅とけんか別れをした後で、再会した時の登のうれしそうな顔が堪らなくいい。登=津坂が、寅=渥美を心底慕っているのが伝わってくる。
https://www.youtube.com/watch?v=HR01VW7qpKY
『新・男はつらいよ』(70)で、登は堅気になって金町の旅行代理店に就職し、寅屋一家のハワイ旅行の世話をするが、これが詐欺で、登の面目丸つぶれ、なんてこともあった。
いつの間にかシリーズから姿を消し、『~夜霧にむせぶ寅次郎』(84)で久しぶりに登場したが、これが寅と登の別れになった。
https://www.youtube.com/watch?v=dVFASYaIilo
Eテレ『ドキュランドへようこそ『アガサ・クリスティーの世界』(INSIDE THE MIND OF AGATHA CHRISTIE)を見ながら、この映画のことを思い出した。
『アガサ/愛の失踪事件』(79)(1985.1.12.)
1926年『アクロイド殺し』発表直後、作家のアガサ・クリスティが11日間失踪した事件を、事実と創作を交えながら、まるでクリスティの小説のようなミステリー仕立てで映画化。監督マイケル・アプテッド、撮影はビットリオ・ストラーロ。
本作は事件の前に夫婦間が不仲であったこと、その後、年下の夫はクリスティと離婚し、当時雇っていた秘書と再婚したことに注目し、大胆な仮説を立てて描いた。
事件を探るアメリカ人ジャーナリストをダスティン・ホフマン、クリスティをバネッサ・レッドグレーブ、その夫をティモシー・ダルトンがそれぞれ演じた。小柄なホフマンと長身のレッドグレーブとのダンスシーンやキスシーンが話題となった。
予想通り、今年のアカデミー賞では、Netflix製作の映画がに大量ノミネートされた。その中の一本『Mank マンク』を見てみた。
オーソン・ウェルズ製作・監督・主演の名作『市民ケーン』(41)でアカデミー賞脚本賞を受賞した“マンク”ことハーマン・J・マンキーウィッツを主人公に描く物語。デビッド・フィンチャーが父ジャックの遺稿を映画化したのだという。
アルコール依存症に苦しむ脚本家のマンク(ゲイリー・オールドマン)は、鳴り物入りでハリウッドにやって来た24歳のオーソン・ウェルズ(トム・バーク)から脚本の執筆を依頼される。
マンクは、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)をモデルにした物語を書きながら、自分の過去や、ハーストの愛人で女優のマリオン・デイビス(アマンダ・セイフライド)、MGMの社長ルイス・B・メイヤー(アーリス・ハワード)、同社プロデューサーのアービング・タルバーグ、脚本家仲間のベン・ヘクト、ジョン・ハウスマン、弟で脚本家のジョセフ・L・マンキーウィッツなど、さまざまな人々とのかかわりを思い出していた。
フィンチャーが、モノクロ画面、モノラル音声に、脚本の体裁、パンフォーカス、フェードアウト、ディゾルブなどの技法を用いて、『市民ケーン』前後の時代の再現を試みているが、何だか“ものまね”を見ているような違和感を覚えた。また、現在と過去(回想)が行ったり来たりするので、見ていて落ち着かないところがあった。
特に、1934年のカルフォルニア州知事選挙で、ハーストと映画業界が手を結び、社会主義運動家で作家のアプトン・シンクレアを落選させようと一大キャンペーンを張った様子を執拗に入れ込んだことで、かえって話が散漫になったことは否めないだろう。
つまり、よほどの映画通か、あるいは『市民ケーン』そのものについてや、当時のアメリカ社会やハリウッドの事情を知っていないと、正直なところ見るのがつらい映画なのだ。その点、一般的な観客には甚だ不向きな映画だと思う。
また、去年公開された『ジュディ 虹の彼方に』もそうだったが、今やメイヤーは完全な憎まれ役なのだな。その意味でも、この映画が賞レースをにぎわせているのは、昔のハリウッドを懐かしんでいるからではなく、むしろしっぺ返し的な意味が込められているのかもしれないと感じた。
『映像の魔術師 オーソン・ウェルズ』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/7f925f8b2bddeb3e66e86399ca8d6f1a
トラウマからの解放を描いた心理劇
記憶を失い、車上生活を送る名越進(綾野剛)の前に、ある日、医学生の伊藤学(成田凌)が現れ、頭がい骨に穴を開け、第六感を芽生えさせるトレパネーション手術をすることを持ちかける。
術後、名越は、右目をつむって左目で見ると、人間が異様な形に見えるようになる。伊藤は「他人の深層心理が視覚化されて見えている」と説明し、その異形をホムンクルスと名付ける。名越はその能力を使って心に闇を抱える人たちのホムンクルスを消していくが…。
カルト的な人気を誇るという山本英夫の漫画を清水崇監督が映画化。ホムンクルスとは、ラテン語の小人の意味で、ヨーロッパの錬金術師が作り出す人造人間、あるいはそれを作り出す技術のことを指すらしい。
この映画のホムンクルスは、グロテスクだったり滑稽に見えたりもするが、それを見せることが主体ではなく、超常現象を媒介としたトラウマからの解放を描いた心理劇的な要素が強かった。
見る前は、清水監督故、もっとホラーっぽいものを想像していたのだが、そこは大きく違っていた。まあ、大山鳴動してネズミ一匹という感もなくはないのだが…。成田凌のエキセントリックな魅力が全開。むしろ彼が演じた伊藤の方が主人公に見えてくるほどだった。
『踊る大紐育』(49)
ブロードウェーミュージカルの映画化。24時間の休暇でニューヨークへやってきた3人の水兵(ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、ジュールス・マンシン)の恋と大騒動を描く。
冒頭とラストの「ニューヨーク、ニューヨーク」(後にシナトラが歌った曲とは別物)をはじめ、「ミス・ターンスティルズ」、「メイン・ストリート」、「プレヒストリック・マン」などの名曲も多く、アカデミー賞でミュージカル映画音楽賞を受賞した。
ケリーがスタンリー・ドーネンと共に監督、振り付けも担当し、ダイナミックで躍動的なパフォーマンスを披露。画期的なロケーション撮影とレナード・バーンスタインの音楽は、形を変えて、後の『ウエスト・サイド物語』(61)に引き継がれている。
さて、この映画の前に『錨を上げて』(45)の存在がある。
どちらも、休暇をもらった水兵の話だが、『錨を上げて』はケリーとシナトラの二人組で、舞台はハリウッド。休暇の期間は4日間ということもあり、いろいろと盛り込み過ぎて結局140分になるなど、テンポが悪い。
一方、『踊る大紐育』は、ケリー、シナトラ、マンシンという三人組で、舞台はニューヨーク。休暇を1日に限ったことで(時間経過まで表示する)テンポよく話が進み、98分で収まった。しかも相手役にベラ・エレンとアン・ミラーを得ている。
この違いは、前者の製作ジョー・パスターナク、監督ジョージ・シドニーと、後者のアーサー・フリード、ドーネン&ケリーの力量の差によるものか。日本では『踊る大紐育』が51年に公開され、その2年後に『錨を上げて』が公開されたというから、当惑した人もいたのでは、と思われる。
自分は、どちらも、最初は『ザッツ・エンターテインメント』(74)内の名場面集の一つとして見たのだが、改めて『錨を上げて』の本編を見た時(1985.10.25.銀座文化.併映は『バンド・ワゴン』)に、ひどく退屈させられたことを覚えている。
『地獄への道』(39)からおよそ60年後に、同じくジェームズ兄弟を主人公にしたこんな映画もあった。
『アメリカン・アウトロー』(01)(2009.1.5.)
英雄伝説
久しぶりに民放の深夜テレビを録画して見た。アメリカ南部の伝説のアウトロー、ジェシー・ジェームズ(コリン・ファレル)とその仲間たち、いわゆるジェームズ・ギャング団の動静が描かれる。監督はレス・メイフィールド。
この種の映画は、古くはヘンリー・フォンダとタイロン・パワーがジェームズ兄弟を演じたヘンリー・キング監督の『地獄への道』(39)とその続編でフリッツ・ラング監督の『地獄への逆襲』(40)、ニューシネマ時代のフィリップ・カウフマン監督の『ミネソタ大強盗団』(72)、キーチやキャラダイン兄弟が演じた、ウォルター・ヒル監督の『ロング・ライダーズ』(80)、最近ではブラッド・ピット主演の『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07)などなど枚挙にいとまがない。
彼らは、作られた時代背景や描き方によって、義賊になったり極悪人になったりと忙しいが、所詮、伝説と史実は異なるものであり、そこが面白かったりもする。
この映画では、鉄道会社との確執を中心に、彼らを時代や権力に反抗するヒーローのごとく描いている。なので西部劇というよりも、派手な爆破シーンなどが目立つ、いかにも今風な明るい青春映画という印象を抱かされた。
鉄道会社に雇われながら、心情的には彼らに味方する、ティモシー・ダルトン演じるピンカートンのキャラクターがなかなか面白かった。
【今の一言】成田凌はコリン・ファレルに似ている。
【インタビュー】『ダンボ』コリン・ファレル
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/eacf18ad59c22c359833c411480639ff
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
今こそコメディー映画が見たい
『まともじゃないのは君も一緒』『トムとジェリー』