硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  12

2013-07-20 07:06:03 | 日記
「まぁ、あの頃は生きるだけで精いっぱいで・・・。住む家もなければ、食べる物すらないんだもの。だから、些細なことにまで気が回らなかったのかもねぇ。」

そう言って朗らかに笑った。手紙が西さんのもとに届いていたらどうなっていただろう。どうしてそんな大事な事忘れてしまったんだろうと思ったけれど、生きることで精いっぱいの毎日を過ごしてきた事を考えたら、そんな風に考える私はなんて心の狭い人間なのだろうかと思った。

「本当にひどい時代だったわ。それでね、司朗さんが戦地から帰ってきたのが・・・たしか昭和22年の春だったかしら。その頃には東京に戻ってきていてね・・・。ああそうだ、隅田川の桜並木がきれいでねぇ。桜の花を見て生きる希望が湧いてきた事を覚えているわ。
それでも、司朗さんは東京の焼け後をみて愕然としたらしくて、私たちの所在が心配になって主人を探したらしいのね。それでなんとか会えて私達の住まいに辿り着いたのだけれど、その頃、とにかく医者が足りなくてね。国からの要請で国立病院の勤務が決まって、勤め始めたら病院に泊まり込みの日が続いて、それで、いつまでも同居は申し訳ないと云ってね、病院の寄宿舎に住まいを移したのね。」

おばさまは一息ついてコーヒーを一口含んだ。そして、何かを考えているようだった。
私はおばさまの話に相槌を打つように言葉を紡いだ。

「西さんは若いころとても苦労なさったんですね。そんな風には感じなかった。」

「そうね。お父さんらしいと思うわ。」

「苦労を一切見せない・・・姿ですか。」そう言うと皆が微笑んだ。西さんは誰に対しても同じように接していたのだろう。するとおばさまがコーヒーカップを皿の上に置き、また話を続けた。

「実は司朗さんがあまり話さなくなったのは、戦争から帰ってきてからなのよ。それまでは普通にお話していたんですよ。だから、たぶん・・・戦地で何かあったのだと思うのだけれど、それを聞く事は出来なかったわ。」

それを聴いた登志子さんは問いかけるようにおばさまに話し出した。

「お父さんの身の上に何があったのかしら・・・。母は早くに亡くなったからそういう話は出来ず終いで・・・。」

「えっ。西さんの奥さんは早くに亡くなられているのですか?」

「ええ。たしか私が5歳のころだったかしら、ねえ、叔母様。」

「そうだわね。貴方はまだ幼かったからよく分かって無くてね・・・。寧ろそれが救いだった。」

「お父さんからは病気だったと聞いてたけれど、本当にそうなんですの。」

「その通りだよ。病名は分からないけれど、不治の病だって聞いてたよ。司朗さんは登志子さんの母親が不治の病だって分かっていて結婚したんだもの。」

「あら、それは初めて聞いたわ。」

「そりゃ言えないでしょう。いえ、言いそびれたのかもしれないわね・・・。」

おばさまは深いため息をついた。そして話を続けた。

「それでね、妻になる人が不治の病だからって親族全員、司朗さんの結婚に反対したのね。それでも司朗さんは皆の反対を押し切って結婚してしまったの。当然、結婚式に親族は私以外だれも来なくてね・・・。あっ、そうそう、今日、葬儀を行った教会で結婚式を挙げたのよ。今考えると不思議なものね。 でも、あの時の二人は本当に幸せそうだったわ・・・。」

私は西さんの事をよく知りたいと思っていたけれど、此処まで知ってしまっていいものだろうかと思い不安になっていた。