硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  21

2013-07-29 15:00:08 | 日記
「実を言うと、僕もイタリアに渡ってから知った事が多いんだよ。バイオリン作りってクレモナが有名だけれど、ドイツのミッテンヴァルト、フランスのミルクールも有名なんだよ。でもね、修復、鑑定に関して言えば、イギリスのロンドンなんだ。」

「へ~。イギリス。」

「そう、イギリス。修復技術を学ぶにはロンドンが良いと学校の先生が教えてくれてね。卒業したらボスに頼んで3年間ロンドンで修復の修行をさせてもらったんだよ。」

「ええっ。手紙にはそんな事書いてなかったじゃない。」

「そうだっけ・・・。まぁいろいろ大変な頃だったし、報告しなくてもいいかなって・・・。」

「ひどい!! 天沢君のいぢわる!!」

天沢君は隣で笑っている。悔しいけれどなぜか憎めない。そんな自分が嫌だなと思いながら、また天沢君の運転する車の助手席に座った。ハンドルを握る天沢君の手をじっと見ると、ごつごつとしてまさに職人の手である事に気づいた。

「イギリスも収穫が多かったな。なにしろ素晴らしい名器が次から次へと集まってくるんだからね。とても刺激的だったよ。それでね。イギリスのボスに美術館も見ておけと言われてね、工房の近くにあるアシュモリアン美術館にいったんだ。そしたらね。ストラディヴァリの「メシア」が展示されててね。それを見た瞬間、魂が揺さぶられたんだ。そして、僕もただ「バイオリンを作る」のではなくて、いずれは「メシア」のようなバイオリンを作りたいと思ったんだよ。」

「ストラディヴァリ? メシアって?」

「雫も一度は聴いた事があるんじゃないかな。ストラディヴァリウスというバイオリン。ストラディヴァリウスっていうのはストラディヴァリのラテン語の名称。メシアというのはその人が作ったバイオリンの一つなんだよ。」

「バイオリンが美術館に展示してあるの?」

「そう。おどろきでしょ。でも、ストラディヴァリが作るバイオリンの美しさはアートなんだよ。だから音色も含めて誰にも真似は出来ないといってもいい。」

「贋作は贋作だと分かってしまうの?」

「そう。そうなんだ。一流の職人ならコピーできるけれど、そのものにはならないんだ。なぜかと言うと、ストラディヴァリという人物はバイオリンを作るための木を自分で探したり、ニスの処方もストラディヴァリ特有のもので、しかも、五月の終わりの晴天の日という限定された期間のみに塗っていたというんだ。だから音を奏でた時、聴く人が聴くと明らかに違うというんだ。」

「へぇ~。バイオリンも奥が深いんだね。」

とても生き生きとバイオリンの話をする天沢君はあの時の天沢君と同じだ。何も変わらない。変わったと言えば二人の間に18年という歳月が過ぎてしまったという事実。戻す事の出来ない時間。でも、天沢君は秘密の場所で語ったように私に話しかけてくれている。

「そうなんだよね。後ね、バイオリンを奏でる「弓」にも、「名弓」というものがあってね。それはイタリヤ製よりもフランス製のものがよかったりするんだよ。その理由の一つとして、18世紀のフランス革命が大きく作用しているらしいんだ。面白いでしょ。」

「うん。すごく面白い!! なんだか物語が描けそうなくらい!」

「でもね。どんなに時代が経とうと、どんなに突き詰めていってもストラディヴァリという巨人が僕らの前に立ちはだかっていて超えられない。でも、現在のバイオリン職人は巨人を越えようと努力し続けているといってもいいよ。」

そういって遠くを見る天沢君は、私がどんなにあがいても見る事の出来ない風景を今でも追い求めているんだなと思った。